三年前も大忙しだった気がする。

 自分の店もそこそこに、フィロとカイツを連れて砂海亭へと手伝いに借り出され、厨房で腕をまくって下拵えをした。祝宴に出す料理はどれもこれも初めて見る珍しい食材がふんだんに使われていた。ナルドア海産の鮮やかな鱗を生やした一角鮫、セロビ産のラディッシュやシューシノワ、お米もツィッタ産のブランド物。とても一般家庭の台所では触れられない高級食材の数々は、空輸されてきたそのままの木箱の中で艶々して見えた。
 その後、レックスに手を引かれヴァンと一緒にパレードを見に行ったのに、すっかり料理に興奮してしまった私は、不遜だけれど当時のことを振り返る時どうしてもアーシェの晴れ姿より真っ先に野菜を思い出してしまう。
 ナブラディア全土から婚礼式典の祝賀のために運ばれた、と言われるほどにたくさんの白い花が建物の壁を飾り、風に吹かれて舞い上がる花弁は蒼穹に吸い込まれて。
 色とりどりの廂の下、ヒュムもバンガもシークもモーグリも勿論ヴィエラも、皆等しく降り注ぐ陽光に肌を火照らせ、最良の日を過ごしていた。
 それはとても美しい日だった。

 でも、きっと今日がもっと素晴らしい日になる。そう願っている。

「うーん、晴れてくれて嬉しいんだか厄介なんだか…」

「この分じゃ、夜陰に乗じて王宮に忍び込むのは、考え直した方がいいかもね」

 戴冠式に向けて祝宴の仕出しで盛況するミゲロの店を、ヴァンともども手伝いながら。合間を見てこっそり夜に向けて準備をしていたパンネロは、いつになくたくさんの飛空艇が行き来する空を、翳した手の隙間から見上げて目を眇めた。晴れ渡る青空にはどこを探しても雲ひとつ見当たらない。
 この分では夜になっても一群の叢雲すら望めないだろう。
 ギーザ草原も今は乾季で、おまけに今夜は素敵なことに満月だった。
 ラバナスタの星空はただでさえ明るいと言うのに。

「やっぱ『君の小鳥になりたい大作戦』でいくか」

「えー、でもさ、それミゲロさんに露骨に怪しまれてるから、無理かもだよ」

 王宮の下働きとしてミゲロの雑貨店の店員に紛れて潜入し、中から手引きしてエアバイクで颯爽と…してたらバレるのでコソコソとアーシェを誘拐する。こっ酷く怒られそうだけれど、眉間に皺を寄せながらも黙って一緒に来てくれるはずだ。
 餌としてバルフレアも用意したし――バハムートの墜落地点が地下水路の真上だったことで、アーシェは怒り心頭に発していたので絶対にこれには喰いつくはず――ほんとは彼だけでは無いけれど。
 会いたいなら会いたいで、何も警備が厳重になる戴冠式を狙って来なくても、と文句を言われそうだが。ヴァンもパンネロも王冠を戴いたアーシェを広場の隅から眺めるのではなく、ちゃんと会って間近に見たかった。

「ね、やっぱりあのタペストリーみたいな王冠を被るのかな」

 パンネロの視線の先には、先代のダルマスカ国王ラミナス・バナルガン・ダルマスカの肖像を模造した壁掛けがあった。王宮の廚と取引のあるミゲロの店には、二年前に剥がされたそれが今は再び壁に掛かっている。明日からはアーシェのタペストリーが隣に飾られることになるのだろうが、まだ届いていないので二人とも盛装した彼女の姿を絵ですら見たことが無い。

「王冠はいいとしてあの衣装はやばくないか。上半身裸…」

「あれは盛装は盛装でも男物でしょ。アーシェは女王様なんだから、きっと婚礼祝賀パレードの時、御輿の上で着てたみたいなドレスを着るんだよ」

 と言っても思い出されるのは米・肉・野菜だったりするパンネロ。
 こんなことならちゃんと三年前のパレードもしっかり目に焼き付けておけば良かったと思う。
 ターミナルに戻ってからも、ついつい本筋から離れた所で話し込んでいた二人の耳に微かな電子音が届いた。外で作業していたヴァンがドックに入るなり「暑い!」と言って脱ぎ捨てた上着の隠し、今時珍しい魔道波技術を使った旧式の通信機がある。対になったそれからの入電、それはたったひとつの線としか繋がっていない。
 短い合言葉のあと軽口を叩いて笑うヴァンを見て、バルフレアさんかな、と漏れ聞こえる会話を聞き流していたパンネロは、急に慌てて「い、いい!代わらなくていいから…、フランっ!」叫んだ言葉を聞いて振り返った。
 貸して!と言う間も惜しんでヴァンから通信機をもぎ取り、

「フラン!」

『ヴァン!』

 思い切り脱力した。
 恐らく向こう側で通信機に噛り付いている男も同じだろう。
 お互いに当てが外れ、肩透かしを喰らった気分で言葉少なに挨拶を交わす。用件は既にヴァンとフランの間で済んでしまっているので他に言うことも無く、パンネロが肩越しに「かわる?」と通信機を指差してみせると、ヴァンは首振り扇風機になった。嫌だ、と顔中で言っている。
 いつもならば「挨拶くらいしなさいよ」と橋渡しをしてやるところだが、そんな気力も起きないし。向こうは向こうでフランを出してはくれないし。

「…じゃあ、また今夜」

『……ああ』

 義理一遍の口上を述べ合って通信を切る。
 ある程度覚悟はしていたつもり、でもいざ避けられるとやっぱり辛い。
 あーあ、と肩を落としてしゃがみこんだパンネロの隣にヴァンも揃って座り込んだ。慰めようにも励まそうにも己自身、そっちの方面はどちらかと言うと門外漢だ。もごもごと口篭って、結局黙る。

「私、ヴァンのこと好き。愛してると思う」

「あ?なんだよ、そんなこと知ってるよ。俺もパンネロのこと好きだし、アイシテルぜ!」

「…でもそれとこれとは別なのよ。フランは別腹なのよ!」

「そうか!じゃ、捕まえとかないとな!
 あと別腹よりは特別って言ってやれよなんか誤解を生むだろ!」

 パンネロの魂の叫びに合いの手を入れつつ、ヴァンはさり気なく倉庫の扉を閉め、こっそりと厳重に鍵をかけた。…よし、これで本人は隠しているつもりの片想いを余人に聞かれることもなく、長年面倒を見てきた年下連中からの『いつでも優しくてしっかり者のパンネロお姉ちゃん』というイメージを叩き崩さずに済む。

「警戒もされずに意識もされないなんてつまらないって思ったの」

 最初は妹のように思われているのかと、それならそれでそのほうがまだマシ。彼女の視界に入れるように、いくらでも背伸びするのに。

「認められたい、ってやつ?」

 フランがパンネロの大事にしなかったことがあっただろうか。大事にするだとかされるだとかの前に馬鹿だアホだとド突きまわされるのが常の自分から見れば、いつだってフランはパンネロを尊重していた。
 首を傾げる少年を見て溜息を吐き、首を横に振った。
 確かにフランが私を拒絶したことは今まで無い、かといって迎え入れられたことも覚えが無い。いつも、透明な膜が私と彼女の間にはあった。それはとても柔らかくて、けして私を傷つけないし不安にはさせなかったけど、その代わり安心も満足も感じなかった。
 彼女がたまに見せる、目を眇める仕草がくすぐったかった、そのうち大嫌いになった。私はそんなんじゃない、貴女が考えてるほど廉潔じゃない。

「正直言って私とフランに運命なんて無いと思う。行きずりと変わらない程度の、細い細い線しかない。どうにかしないとどうにもならない。追いかけなきゃ、離れて行っちゃう。
 時折思い出すだけで、フランはそれで足りるかもしれない。
 でも私はヒュムなんだよ」

 欲しいと思ってしまったら、耐えるのはとても辛い。
 今まで種族だなんて何の隔てにもならないと思っていたけど、もうヴィエラではないと言いながら他のどのヴィエラよりもヴィエラらしいフランを見ていると苦く思い知る。疎まれてしまったのかな。だからフランは…

「泣くなよ」

「泣いてないよ」

「嘘吐け」

 ぐいぐいと乱暴に掌で頬を擦られて「痛いよ、ヴァン」と呻く。

「グズグズするな。ひとりで片付けるな。どうにかしなきゃってんなら、足踏みなんかするなよ。考えたって、もう、決まってるんだろ?どうしたいのか。だったら飛べばいいじゃん」

「…宇宙語」

「煩い。伝わりゃ何だっていいんだよ」

 そう、伝わればなんだっていい。言わないで失くすのと、言って後悔するのと、どっちがいいかなんて。もうとっくに私は決めてしまってる。どれだけ心で思ってたって、やらなきゃ『何も無かった』と同じことだもの。

「フランはパンネロ次第なような気がする」

「それってどうでもいいって思われてるってこと?」

「うわ、何だその薄暗い考え方。らしくねーなぁ」

 日頃やられているお返しとばかりに大仰に呆れられてカチンと来たが、言い返すだけのバイタリティが足りない。
 恋って心ひとつっきりじゃ形にならないんだって初めて知った。
 綺麗な気持ちと汚い気持ちはフォーバーみたいな色をしていて、今まさに私はフォーバーだ。フラン、貴女がいないと全く形にならないよ。

「フランも今、ぐらぐらなんだよ。たぶん」

「…引いて引いて駄目なら押してみろって?案外、あっさり流されてくれそうだったりすると思う?」

「流されるっつーか、うーん、なんて言うか…」

 ときめくと思うよ。
 普段言わない子が言うと効くんだよ。ギャップにグッとくるんだよ。

 自分で言って自分でうんうん頷いているヴァンに、釣られて頷きそうになりながら複雑な気分で曖昧な相槌を打つ。
 隣り合いたいとのは違う、背中合わせでお互いを任せるのはこの馬鹿で可愛い幼馴染が居る。そういうことではなくて、心が一緒にいたがっている。たま〜に身体もくっついていられたらいい。
 攫う気も無い、攫って欲しいとも思っていない。
 貴女は貴女の相棒の隣で、私は私の相棒の傍らで、道ははっきり別れていていい。約束も、何も無くても、それでもいい。私は貴女がいい。

「面倒臭いこと一つも無いから、私と好き合ってくれないかな」

 零すパンネロに、ヴァンは「あー、もー。じれったい。鬱陶しい」と仰向けに引っ繰り返った。

「それ、ここで腐って言うんじゃ無くてさ。本人に当たって砕けろよ」
ごもっとも。













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2011.05.01(再掲)


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