港で仕入れた未登録モブの情報。
 恋人に立て続けに誘いを断られて拗ねに拗ねた挙句、宵越しの金を持たないみたいなヤケっぱちな遊び方をする相棒を見兼ねてお尻を叩いたのは自分だが、狩場がここだと知っていたら安請け合いはしなかった。
 悔いてみても今更、請けた仕事を無しにすることはできない。空賊稼業はともかくハンター稼業は腕っ節だけではどうにもいかない。信用が第一だ。入り用な際に懇意にしている口入屋の心象を悪くするのは面倒。
 木漏れ日すら届かぬ深い森、絡み合う蔦からは細かな樹気が雫をつくって漂い、湿潤な気候の下で多種多様な植物群落が鬱蒼と叢生している。昏い細逕を仄かに照らす灯りの光暈は、おぼろげに木々の輪郭を浮かび上がらせていた。肌が湿るほど温く湿気を含む空気に触れていると、少し身体を動かしただけで発汗する。
 以前は当たり前として馴染んでいた気候も長く森を離れて体質が変化したのか、フランが握ったり開いたりを繰り返した掌はほんの少し湿っていた。
 目の前を行く男の首筋にも汗が滲んでいる。

「モブの飼い主とやらがつけた発信機はあてになるのか?」

 獲物の首に埋め込まれた発信機から、絶えず生体反応だけは信号として送られてくる。少なくともモンスターの餌にはなっていないことは確かだが。

「さあ、私に訊かれてもね」

 手前に迫っていたクァールを撃つ。
 独特の重い連射音に未だ耳が慣れない。
 やめて欲しい、と言ったのに新しい玩具に夢中になる子供のように聞き分けの無い相棒は、肩を竦めて「実践である程度慣らしたらフォーマルハウトに持ち替えりゃいい」と言って聞かなかった。

 けれど、まあ良い良好なのかもしれない。

 あまり愉快とは言い難いが、遮二無二銃の命中率に拘ってそれしか扱いたくないと言う風に自分を追い込んでいた彼よりは。
 出逢った頃より背も高くなり胴も厚く肩幅も太くなった相棒は、6年経っても変わらずどこか怖がりだった。
 それが旅を終えて、少しは鍛えられたらしい。
 彼が袖口で銃口を拭ったのはエリニュス。3点バースト式、連射型の大型銃。トリガーを引いて飛び出す弾丸は全部で3弾、今まで扱ってきたどの銃よりも厳つい容姿をしている。もともとは遙か遠方の軍事国家バロン王国で発明された型式の古い銃だが、武器製造でも急先鋒を往くアルケイディアで何度も改良され、今では片手のレバー操作だけで連射から単発に切り替えることもできる。一時期は軍で採用されたこともある銃だ。今まで船の武器庫で埃を被っていた。
 連射型と単発型の大きな違いは命中率と確実性。
 エリニュスの射程範囲は横に広く、広範囲を一度に射撃する。彼に言わせれば連射型に設定した時のこの銃は「数撃ちゃ当たる」という銃なのだそうだ。範囲が広がる、使い勝手がいい、その代わりに単発型に切り替えた時にはフォーマルハウトと比べると数段、命中率と威力が鈍る。確実に獲物の命を奪う、その精度が落ちる。

 彼はそれを嫌った。
 若くして彼が奪ってきた、奪い過ぎた命。その重さを知っている。恐れるからこそこれ以上目の当たりにしたくなかったのだろう。
 臆病な心だ。肉迫することなく決着をつけるのは、対象から自身までの距離を保ちたいからだ。苦しむ姿からも奪われる者の断末魔もからも離れ、冷徹でいたい。

 一撃必殺の殺傷能力、それが彼の求める銃。

 ドン、と腹に響く重い音。黒い硝煙に混じる血と、一閃させた槍に残る手応えにフランは僅かに眉を寄せる。あまり愉快とは言い難い。
 それでも追い詰め生き急いでいた頃よりいま少し泰然と、己に寛容を許す相棒の姿勢は羨ましく思う。

「チッ、詰まりやがった」

 鋼を擦るような妙な軋みを指先に感じた男は歩みを止めて銃を検める。
 験しに撃つような下手は打たない。予想が当たっていれば暴発する。慣れ所作でザッと目を通し、再び男は舌打ちを漏らした。ばらす必要がある。

「忠告を訊かないからよ。長く倉庫に放置したままだったのだもの、一朝一夕でメンテできるとは思えないわ」

 やれやれ、と首を振るフランを顧みたバルフレアは、ばつの悪そうな顔をして肩を聳やかす。
「ああ。諫言、耳が痛いぜ」

 来た道を戻ろうと踵を返したバルフレアは、つと袖を引かれた。わざわざアンカーを下ろした地点まで戻る必要は無い。ここから陽光は望めないが、森に入る前に見た空合いはとっくに中天を越えていた。日暮れ前には森を出たい。
 補充と点検ならばこの先を少し進めば事足りる。

「…そんな顔しないのよ。色男さん」

 フランは眉間に皺を寄せて口角を下げた相棒の肩を叩いて、苔生した木々の合間を縫うように先導する。そして、密集した梢に埋もれる秘密の道に問いかけた。
 心臓の裏を舐めるひやりとした感覚に、緊張しているのだと知って自嘲した。指先がジンと痺れてそこから体内を循環するミストが細い糸になって流れ出た。爪の先が誘われるように奥へと引っ張られる感覚。薄ぼんやりと描かれた森の結界、それを施した術者の指の跡をなぞらえて、何度やっても不思議な陶酔感を覚える、自身がまだヴィエラなのだと実感する瞬間だ。

「私は入り口へは行かない。ここで待つ」

 里の入り口へ繋がる回廊の途中で留まったフランに、男は「すぐに戻る」と言い残して背を向けた。
 森をうやまう道から洩れる白い靄がなだらかなドレープを刻み、暗がりへと続くこちら側にまで微細な光の粒子を飛ばしている。何とはなしにその裳裾を眺めていると、小さな何かが視界の隅をひょこひょこっと動いたように見えた。

「あれは…」

 大樹に差し掛けられた橋の影からこちらを盗み見ているもの。
 小さな耳をピンと立ててしきりとこちらを気にしているヴィエラが二人。
 本来なら里の最も奥に居るはずの幼い同胞の姿に瞠目する。上手く隠れたつもりで揃って耳が隠れていない彼ら。欹てた耳が揺れて、好奇心に負けた片割れが顔を覗かせる。それを隣のもう一回り小さいのが引っ張って窘めている。…掟破りが橋の向こうにいるよ、と森に囁かれたのだろうか。

 ふ、と思わず笑みが零れた。
 あの子達は今どうしているかしら。つい最近、航海を共にして別れたばかりの少年少女の面影が二人と重なる。

 あの旅のさなか一度だけ、一宿のみならば廂を貸そう、と言われて五十年ぶりに故郷であった場所から星を眺めた。今でこそ思うことだが、里から見上げた空は狭い。梢の隙間からちらちらと覗く丸い粒、外へ出て初めて平原から見上げた渺茫たる星海に圧倒された。ひと目で空に恋をしたことは、面映くて相棒にも明かしていない秘密だ。
 草いきれと濃密なミストは、感覚の鈍いはずのヒュムにも何かしら障りがあったらしい。彼らは「眠れない」のを理由にこっそり寝床を抜け出して、里の中ではさほど必要もない見張りに立つ私の後を跟けて来た。
 けして正直に言いはしなかったけれど、おそらく心配されていた。故郷を…ダルマスカを愛する彼らは、里に身の置き所の無い私を見ていられなかったのだろう。小癪な、とも思い、可愛い、とも思った。
 梢の間隙からごくごくうっすらと覗く夜空を見上げ、普段よりも濃い昏黒に肩を寄せ合う彼らのために、自分には必要の無いカンテラに火を入れてやった。

『ここは昼間の銭湯みたいだ』

 きょろきょろと周りを見回し首を捻っていたヴァンが素っ頓狂なことを言い出した時は、呆気に取られた。森を通り過ぎる旅人は数少ないが、皆一様に似たような印象を受けるこの森を…、昼間の銭湯…?そんな言い回しを聞いたのは初めてのことだった。
 二人とも身振り手振りで一生懸命に訴えてくることには、なんだかぼんやりしてしまうのだそうだ。自分の手足が自分のものでなくなるような、全てが繋がって一緒くたになって、足元に確かに延びているはずの己の影が薄くなって周りと溶け合ってしまうような。それでいて、ふと目を閉ざすと遠くで誰かの囁くナイショ話も溜息すらも、近くに感じてしまえそうに、目も耳も鼻も感覚すべてが鋭く尖る。
 調和する心、彩度を増す霊感。
 ここに居るとヴィエラが外を知らなくても世界を知っている理由が解かる気がする、そんな気がするだけだけど。ヴァンはそう言って肩を竦めた。
 パンネロはヴァンからは見えない反対側の手で、しっかりとフランの手を握った。確かめるように何度も、握り返して貰えるまでずっと。

『フランは違うよね…?』

 何が、とは訊かなかった。
問いかけた少女自身が自分の言葉を判っていないようだったから。ただ酷く不安がっていたのを、どうにかしてやりたいと思って手を握り返した。


「…帰りなさい。私は貴女たちが触れてはならない者よ」

 目を閉じて意識を集中し彷徨う思念を形にする。遅ればせながら幼いヴィエラ二人がおっかなびっくりこちらの意識に触れようと働きかけていることを悟ったフランは、せいぜい怖い大人のフリをして二人に語りかけた。
 揃って鼻先を弾かれたラビのように顔をくしゃっと歪め、里の奥へと駆けて行ってしまう。
 溜息を吐き、眩暈を覚えた額に手を当てる。ほんの少しの「接触」だったと言うのに、思念を送るだけでもこんなに消耗するとは。
 同じものを見、同じものを聞き、同じ匂いに包まれて、同じように感応し合う、ひと繋がりの心。それが森と共に生きるヴィエラ。
 この里では個と言う観念が曖昧になり『私』の意識は融解する。幾重にも重ねられる薄布に、輪を作る半透明の丸い粒になって、あの白い靄の一部となる。皆がひとりであり、ひとりは皆と共にあること。深い緑と仄明るい大樹の腕の中、そこは私達の揺り篭であり棺でもあった。

 五十年前、私は確かに森の一部だった。

 いつからか感じるようになった齟齬、息苦しさ。里を出たことに後悔は無い、選んだ運命を悔いたことも無い。
 外の世界は音も色も匂いも洪水のように溢れていた。押し寄せる刺激を恐れたことは無い、むしろ私は好んで酔った。同胞は外の世界に触れ、ヴィエラでは無くなった私を見て落魄したと嘆くだろう。現に、今も鋭い棘を含んだ視線を時折感じる。
 視線を特定する前に、硬い足音がして意識を引き戻された。

「悪い。遅くなった」

 踵で橋を蹴るようにズカズカと歩いて来たバルフレアは、言うなりフランの肘を掴む。行こう、と半ば強引に引き立てる仕草は勘気を帯びている。里の中で何かあったのだろう。里に入る前はやや斜めだった口角は、今やへの字に見えるほど下がっていた。

「バルフレア」

「お尋ねモブなら葉ずれのしみる路で見かけたクポ、だそうだ。生意気に情報料まで取りやがる。あいつ、ガーティの親戚じゃねぇだろうな」

「…そうなるとルルチェはノノのお兄さんか弟ってことになるわね」

「七人兄妹か?冗談きついぜ、毎年ポチ袋やる側の身にもなれってんだ」

 本気とも冗談とも吐かない嘆きを零し、大仰に天を仰ぐ。
 整備したはずのエリニュスが装備から外され、代わりに背中にはフォーマルハウトがあった。早足に結界を踏み越えながら、弾丸を装填する。

「さっさと片付けて今日は早仕舞いだ」

 日暮れ前にはかたをつけるぞ、と先刻とは打って変わって急き立てるような歩みにフランは黙って従った。

 常に斜め後ろから見る彼の後姿。その背中に硬く尖った気配を嗅ぎ取る。
 外界の種族の嘘は巧みだ。特に、言葉を容易く扱う者…ヒュムは枚挙に遑が無く、更に他のどの種族よりも周到で抜け目無い。
 ヒュムと交わりだしてから、いつからか人を形で見定める癖がついた。
 例えばヴァンは先の細い流線型、パンネロはまろやかなまん丸、どちらも円の形に見える。
パンネロの描く円は私達ヴィエラのひと繋がりの心とどことなく似ている。彼女が笑うと周りも笑う。それは里を包む白い靄の、柔らかな粒子の輪に似ていた。彼女の描く輪は誰もひとりにしない。私は彼女の隣に居るとたまに森の匂いを思い出した。
 ヒュムふうに言えば彼女のまん丸さは朗らかだとか柔婉であるとか、そういうものなのだろう。発達した感応器官を持つあまり言葉に意味を見出さないヴィエラは皆総じて寡黙で、今まで私も他の同胞と同じく言葉に関心を持ったことは無かったけれど、あのまろやかな輪を表現するよすがに言葉があるのはひどく美妙であると感じた。
 バルフレアはヴァンとよく似た流線型、けれどその舳先は鋭鋒だ。触れるものを滑らかに流しながらも常に一線を引く硬さがあった。
 今の彼は触れたら斬れそうなほど尖りきっている。

「幻妖の森に近い場所ね」

「ウェアドラゴンが出たら面倒だな。最初に周りを駆逐しておくか」

 前衛のフランが敵を相手にする前に、バルフレアがその殆んどを一撃で仕留めている。
 何を言われたか知らないが、相当腹に据えかねているらしい様子を見て…、それがどうも自分に関係することと察しがついて、湧き上がった当惑と面映さが綯い交ぜに鳩尾を温かくした。

 あっけなく見つかったモブを麻酔弾で生け捕りにし、ケージに放り込む際も。大森林を抜けてアンカーを下ろした地点に戻ってからも。
 何も言わない相棒の背中に触れる。返事は無く、ただ耳元の髪を梳いてうなじに触れた手が、ぽんぽん、と軽く肩を叩いて離れた。
 私がバルフレアとくっついている理由は単純に好みだから、おもしろそうだから。最初の出だしはそんな軽いノリだった。里を出て五十年、それなりに繋がりを持ったヒュムは居たけれど、これほど心を砕き背中を任せることが出来る相手は居なかった。得がたいものを得たと思う。

「お嬢ちゃんから入電だ。漸く先延ばしになっていた戴冠式の日取りが決まったそうだ」

 かわるか?と顎で示された通信機に首を振って、副操縦席のコンソールパネルに目を落とす。隣で如才なく「ああ…、フランか?あいつは今、機関室にいる」嘘を吐くバルフレアの声に混じって、微かに少女の声を聞いた耳が震えた。

 私はバルフレアの隣で、過去の代わりに得た新たな生を生きる。
 時折彼女の匂いを恋しく思うくらいで丁度よい。囚われてはいけないし、捕らえてもいけない。彼女は私にとって森なのだ、懐かしむことも惜しむこともじき忘れる。

「フラン」

 声をかけられたのは船が目標高度に到達し、自動操縦にエンゲージしてからだった。計器類が安定していることを確認した後も、フランの視線はパネルに張り付いたままだ。

「…耳が垂れてる」

「っ!」

 くいくいと引っ張られ、思わず振り払うと笑われた。
 バルフレアも例に漏れず勘の鈍いヒュムだ。ヴィエラのようにフランの意識に触れて思念を通わせる感応能力は無い。無くても斟酌することはできる。それが的を射ていると確信できる程度には、お互いを知っているつもりだ。言わなくて良いことと、疎まれても言わなければならないことはわかる。
 ただの痴話喧嘩ならいい。それは必要な愉しみだ。
 満ち足りる、ということは、何も無いのと同じこと。いや、無いより悪い。停滞し澱んだ水はやがて腐る。些細な諍いは想いの防腐剤だ。

「お前がいいって言うんなら、それでいいさ。
 あいつの相棒よりてめぇの相棒の方が俺は大事だからな。だが、口幅ったいことは承知で言っとく、いい加減添う気が無いなら切ってやれ」

 嬲るつもりでやってるんなら話は別だが、あまりいい趣味じゃないぞ。
 珍しく拘っている様子のフランに告げると、ますます斜めに耳が倒れた。頼りになる年上の相棒はたまに可愛いから困る。どうにかしてやろうにも、それは俺がやったら意味が無いというか、本末転倒と言うか、今度こそ本気で本命に三行半を叩きつけられそうでそれは嫌だ。
 どうしたもんかね、と首の後ろを叩いた男の視線の先、電子パネルの右上には暦日がチカチカと点滅している。
 戴冠式まで半月を切っていた。













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2011.05.01(再掲)


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