ゼルテニアン洞窟のミストに当てられて、まだ体調の優れないフランとパンネロをシュトラール残し。男二人は「情報の切り売り」などと姑息な真似をした情報屋を吊るし上げるべく、向かい風の路地の三叉路の廃屋へ向かった。探し人は相も変わらずどこを見ているのか解からない、何を考えているのか掴めない、滑瓢の態で座っていた。
「へ〜えぇ?あんたらよくよく縁があるんだねぇ」
伏せるところは伏せてかいつまんだ経緯を話すと、情報屋はわざとらしく目を瞠って見せた。狡すっからい男のこと。大方、情報を切り売りした段階で予想はしていただろうに白々しい。旧市街に入った時点で機嫌の悪かったバルフレアの表情からすとんと感情の抜け落ちた。
据わった目つきで男を一瞥したバルフレアの手がガンベルトにまわっているのを知ってギョッとしたヴァン。ひとまず彼の足を踏んづけて発砲は思い止まらせ、ニヤニヤしながらこちらを眺めている男に残りの地図を問い質す。
「残念ながら俺の手元にゃ無い。…何処に在るか、凡その見当はつい」
「くださいなっ!」
八百屋じゃないんだけどねぇ。
情報屋は苦笑して勢い込んでさっそく商談にかかろうとする少年の肩を叩き宥める。
「はいはい、がっつかないの。在り処の見当はついてる。だがそこに入るには、ちょいとばかり難所があってね…。ブラックフェザー以上の認証データが要る。それも個人のね。
時間さえあればパスを偽造できるが…、そんな手間はかけたくねぇんでしょ?」
つまり政民階級の出自を保障する身分証が必要だと言われ、眉間に大渓谷を刻みながら黙っていた男が痛烈な舌打ちを漏らす。今の一言で見当がついてしまった。
「…抹消済みだ。復元はできない」
「そいつはどうかな?これに見覚えがあるでしょう旦那」
ぽい、と放られた小さな銀色の棒を咄嗟に受け取る。
顔色を変えたバルフレアと、依然として人を喰った笑みを浮かべている男を見比べ、ヴァンが疎外感を味わっていると。少年を差し置いて睨み合い、低い声で会話していたバルフレアがいきなりガツン!と情報屋を殴った。
「わー!ちょっとアンタら何やってんの!何事?」
「あいたたた…、旦那ったらほんと可愛くないんだから」
「………」
受身も取らずにわざと殴られた男は「起こして〜♪」と少年に向かって手をひらひらさせ、額に青筋を浮かべたバルフレアに今度は蹴られかけるが、それはスルリとかわす。
「えーと、よく解かんないけど。それで、全部あわせておいくらまんえん?」
「おいくらまん…、いや懐かしいねぇ。その響き」
その後三時間ほど二人は白熱した商談を繰り広げ…結局、男が少年に花を持たせてあげる形で纏まった。
ビリビリと不機嫌を放電し低気圧を背負ったバルフレアに引き摺られるようにしてエアタクシーに乗り、ゼノーブル区のゲートクリスタルへと向かう。
暖かな橙色の光に手を翳し、銀色のキーを差し込むと毛細血管のように差込口から放射状に赤い蜘蛛の巣を描いたゲートクリスタルから掌に収まる小さなカードが現れた。
裏表にびっしりと文字の書き込まれたカードをに目を落とした男は、一時的に復元したこのカードが間違いなく「ファムラン」の認証データであることを知って舌打ちしクリスタルに背を向ける。
「そんなにかっかすんなよ」
「………」
返事は返ってこないだろうと思っていたけれど。
ヴァンはむっつり黙ったまま先を歩く男を見上げ、肩を竦めてその後ろに続いた。
帝都の狭い空は薄絹を何枚も重ねて透かし見ているような浅葱色。のっぺりとした白い膜が張っている印象を受ける。時折風に流されて来たミストの塊が黄金色を佩びて、こうして目を凝らすと見えてしまうと言うことは、いよいよ帝都の上空までもミストの濃化現象が及んでいるのだろうか。
エアタクシーは今のところ運行しているようだが、あまり数を見かけない。
「上を見上げると口開ける癖、どうにかしろ。アホが更に馬鹿に見えるぞ」
締りの無い口をぽかんとあけている少年の頭を小突いて、人影も疎らなドラクロア研究所の入り口に立つ。以前は騒乱に乗じて真正面から潜入したが、今回は奥まったドッキングポートの裏手から。エアタクシーや小型輸送機の着艦所の遮蔽板が覆いとなって、二人の姿は見咎められることなく、前回とは比べ物にならないほど簡単に研究所内に入り込むことができた。
こんな簡単に潜入できる方法があったんなら、前のときにもそうすれば良かったのに…と思わなくも無かったが、懸命にもヴァンは口には出さなかった。言ったら間違いなく拳骨でぶん殴られるに違いないからだ。
放蕩三昧に生きているようでしがらみだらけの男のことだ、いろいろ思うところがあったんだろう。
「迂闊にレポートを踏むなよ。下に何があるかわからんからな」
「了解〜。じゃ、俺こっちから探すから」
立ち入り禁止の掛札を跨いで入った研究室はあの時のまま、物が散乱して足の踏み場も無い状態だった。首筋が凝るようなぴりぴりと産毛が逆立つ緊張を感じることも、熱い鉛を飲み込んだ胃の重たさも、今は感じない。
堆く積まれ、天井に届きそうな蔵書の数々の殆どが魔石研究の第一人者モルガン氏の研究ノートや著作…すべて原本で取り揃えている拘りがあの男らしい。研究論文から民間伝承に至るまで凄まじい量の本で埋め尽くされた書架の片隅、ほんの狭い一画に忘れ去られたように埃を被った書籍が押し込められている。
褪せた背表紙には見覚えがある気がして引っ張り出すと、ひどく懐かしい機工学の専門書だった。アカデミーで見たことがあるのだろうか、いや帝都を出奔した後だっただろうか。それより何より、どうしてそんな物がこの場所にある。
裏表紙に書かれた「684 B.I 落暉の木陰にて幼き翼に」の文字に、ページを捲ろうとした手が止まる。強い筆圧の跡に窪んだ字面を撫で、そのまま本を閉ざした。
シドルファスが魔石の研究を始める前、破魔石の…不滅なる者の存在など知らなかった頃。彼の探究心と情熱の矛先には機工学を最たる鋭鋒とする機械科学があった。
天与の秩序、神から下賜された理を読み取ること、それこそが科学の真髄であるとされ、時に背信者として技術者たちが足枷をされた冬の時代を経て。シドルファスはこの機械科学隆盛の時分、まさに時代の寵児であったと言える。
琥珀の中で凝ってしまった暗褐色の面影には、家族も貴族として家長としての役目も忘れ、ついでに寝食も忘れて書斎に篭る背中だ。
己の技倆の全てを注ぎ込む姿勢は何を目的としていたのだろうか。
目的。
彼が目指していたもの。
それはいつもどんな時も変わらなかった。
結果はさまざまに枝分かれしようとも、善行として賞賛されようと悪行として怨嗟の的とされようと。
設計し生産する。
より良いものを、より進化したものを。
突き当たる限界に、幾度と無く頽れる挫折に、懸崖の淵に立たされる絶望に。ひたすら挑戦し続ける。
究極の性能を、最高の速度を、常に時代の尖鋭を往く翼を。
「ああ…」
何も変わっちゃいないのか。
気も漫ろにレポートの束を漁りながら耽っていた思索の果てに気がついて、バルフレアは低く笑った。
変わったのだと思い込んでいたが、何ひとつ昔から変わってはいなかったのだ。
ただ機工学から魔石へ飛空艇から生命へ、と志向を変えただけ。
あの男は人間を設計し生産し、人が与えられることなく自分の足で歩く最初の轍を、己の手で生み出したかったのだ。
その情熱を満たす為にあらゆる犠牲を払ったくせに、当人は犠牲などとは思いもしなかったのだろう。
まったくどこまでも傲慢で自分勝手で許しがたい。だが…。
勝手に期待し勝手に夢を抱き、勝手に失望して勝手に怨んだ。あんたは「ファムラン」に、俺は「親父」に。…お互い様だ。
「あ!あった〜!」
素っ頓狂な声を上げて両手を挙げたヴァンの手には古びた本が二冊。
ページの隙間に挟まっていた地図は、二人の持つ切れ端と境目がぴたりと一致する。その下には唐草模様がダサいことこの上ないこ汚い風呂敷包み。二人は顔を見合わせ、結び目を解いてみた。
「……」
「………」
目が点になる。
ごちゃっと出てきたのは、しわしわに丸められた羊皮紙とここにあるはずの無い銀盤、浮遊石を取り外されたクリスタル。まるでぞんざいな扱いを責めるかのように、黒曜石輝きを放つクリスタルの中心では刻まれた古謡がゆらゆらと揺れている。あまりにも杜撰な管理だった。
「取り敢えず、持って行こうか」
「そうだな…」
元通りに無理から風呂敷にぎゅうぎゅう詰めにしたものを、ヴァンが「よいしょ」と肩に担いだ。立派な盗人の出来上がりである。頬かむりが無いのが惜しい。
「…古代ガルテア連邦時代の古文書か。こりゃ解読するのはほねだな」
キルティア教の教義が確立される前の、主神ファーラムをそれぞれの民族が独自のやり方で祀っていた時代のものだ。宗教と言う生臭い枠組みはまだ無く、ただ敬神のみを信仰のすべてとしていた頃のものらしい、光の神ファーラムの記述は無い。代わりにジャハラでカリスから聞いた「天つ女神」という言葉がちらほらと見て取れる。
御調歌が四つ、クリスタルも四つ、それらは何かの儀式めいたことに使われていたのだというのは容易に想像できる。いずれも地下に安置された銀盤の上にあり、パンネロが歌いフランが詠んだことで二つのクリスタルは正常に働き…つまりミストの氾濫を収め濃化現象を和らげた。
なぜ残る二つのうち一つがこんな所にあるのかはレポートを見てみなければわからないが…。ちょっとした調査のつもりがいつの間にやら大事になっている。
まあ、いつものことか。
大事になるのはヴァンが関わっていることを知ってから、何となく観念していたというか覚悟していたことだ。
奴が絡むと否が応でも何が何でも「主人公」をやって格好良く少年を助けなければならない(と勝手に自負している)男は大変なのである。だからと言って他の誰かに譲る気は毛頭無いが。
二冊をぱらぱらと捲ったバルフレアは眉間を押し揉んで嘆息し「よし、ずらかるぞ」と少年を引っ立てた。
ヴァンは男が脇に抱えた本が三冊なのに気がついていたが、やっぱり何も言わないで黙っていた。言いたいことを言わないのは気持ち悪い。口がむず痒い。むにゅむにゅと異口同音に疑問を噛み殺して埃っぽい天井を見上げる。
探す最中にこっそりと盗み見たバルフレアは、雨でも降り出しそうな不景気そうな不機嫌顔はもうしていなかった。擦り切れた背表紙を見る眼差しは茫洋としていて、ヴァンは急にここがバルフレアの父親の研究室だと思い出した。
結局、旅のさなかもそれが終わってからも、自分は何も聞かなかったしバルフレアは何も言わなかった。
凛然としていかにも自尊心の高そうな眉とは反対に優しい眦には、旅の途中はらはらとヴァンを落ち着かなくさせた危うさは無い。抜き身の刀みたいな陰鬱とした翳りも無い。
だったら、辛くないんなら、それでいいや。
つくづく面倒くさい男に惚れちまったなぁ、と思うが。いよいよとなったら、抱き締めるなりぶん殴るなり一緒に笑うなりしてやればいい。
最後に俺が隣に居ること、思い出してくれればいい。
もぞもぞ考えていたらまたポケー…っと口をあけていたのに気づいて、慌てて閉じようとした時。不意に腰を掴まれた。
「む!」
む!ってなんだ、可愛くねぇな。
どんぐりまなこで見上げてきた少年の頬を、ついでに一口いただいてから離れる。ガシャン、と音を立てて落としてしまった風呂敷包みに「おいおい、気をつけろよ」と男がいなした。声音には陽が沈んでからしか見せない掠れた色が綯い交ぜになっていて、ヴァンの鼓動はドッと跳ね上がる。慌ててバルフレアの胸を押し返した。
「急に何だよ」
「冒険にはロマンスがつきものだからな」
「うへぇ…気障ー。腐ってる」
「何だ。嫌なのか」
「嫌ってわけじゃー…」
視線をふよふよ彷徨わせた少年の唇をひと撫でした指で、男は己の唇をなぞった。
「好きだろう」
平然と返され、二の句が継げずにパクパクと喘いだ。
不意打ちには弱い少年は、場所を考えろって…、だのともごもご口篭る。フランとパンネロが臆面も無く引っ付いてるもんだから、妙に気後れしてそういうことを仕掛けられなかったとは口が裂けても言えない。言ったら絶対にからかわれる。
「好きって言え」
「あ、後でだっ!後で!!」
赧んだ頬をゴシゴシ擦る。
いつまでも少し乾いた柔らかなぬくみを頬に覚えていたら、変な気分になりそうだ。
びっくりして落としてしまった包みを、まるで防御壁のように胸の前で抱え警戒しながら男の脇を通り過ぎる。
「またアホ面晒して口あけてたら喰っちまうからな」
「もうやんねーよ!」
たったあれしきで赤面したの口惜しくて、ふくれっ面で憎まれ口を叩いた。













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2011.05.01(再掲)


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