酷い有様だった。
少年は頭っから生ゴミを被った上に豪雨に降られました、というようなヨレヨレべちょべちょ。少女はと言うと綺麗に編んだ三つ編みがほつれて頬に張り付き、二人ともそれぞれビターンと目の前のバルフレアとフランに引っ付いている。抱き付くというより、死んでも放さん!とばかりにへばりついている。
「何があったんだ」
そもそも何でお前らがこんなところにいるんだ。
依頼されたゼルテニアン洞窟の調査に入ったバルフレアとフラン。洞窟から地表に隆起する具現化したミストの帯を見てフランは「吐きそう…」と唸り、バルフレアは「吐く時はエチケット袋に。…無理はするな、しんどくなったら言えよ」と肩を支えた。
洞窟内は視界が歪んで、どの種族よりも感覚の鈍いヒュムであるバルフレアですらこめかみが痛くなるほどだった。この感覚、この空気。濃いと言ってもギルヴェガン程度だろうとたかを括っていたが、これほどとは。リドルアナ大灯台よりも酷く濃い濃度のミストが立ち込めていた。
影響で地形が変わったのか洞窟には真新しい細逕が貫通しており、そこを進む頃にはフランの眼は完全に据わって心なしか耳も斜めに垂れ気味だった。いよいよビニール袋の出番かと思っていた矢先、二人は人の手で刳り貫いた形跡がある場所に行き着いた。
地上からの落石で入り口は塞がれてしまっているが、明らかに怪しい。
袋を顎の下に構えているフランに確認を取ると、手をわなわな震わせながら無表情に頷く。流出するミストはそこから溢れ出ている。
進むのを妨遏するように聳える岩を撃ち砕こうとした、まさに間一髪で「向こう側から」岩が爆破されたのだ。
哮り立ち追いかけてくる巨大なドラゴンを背に猛然と突進してくる二人の少年少女。
見紛いようも無くお互いを確認した四人は無言で踵を返し、HPが三分の一以下で全身真っ赤なドラゴンを情け容赦なく袋叩きにした。
「うぅっ…あいつの喉ちんこが見えた時はここが往生際かと…っ」
ヘイストプロテスシェルブレイブリジェネ…、と補助魔法をこれでもかとかけられデュランダルに源氏の小手を装備したヴァンは泣きそうな顔でバルフレアに引っ付いている。
バブルチェーンとガストラフェテス装備のままガンビットが全て「ヴァン→補助魔法」になっているパンネロも、さすがに抱きつきっぱなしでは無かったがフランの横にくっ付いたまま。
エクスポーション2本で回復したところで落ち着いたのか、まだしっかりバルフレアの袖を握ったまま「あ〜、マジでドラゴンのウ○チになるかと思った…」と呻く。
「てことは何か?このべちょべちょはさっきのデカブツの涎か?」
そんなもんに塗れた格好で俺にしがみついてたわけかこの糞ガキは。
露骨に顔を顰めて膝の上からヴァンを追い払い、疲労困憊しているパンネロと交互に見遣って嘆息を漏らす。彼らとは落ち着いて再会した例がない。どうしてこう、二人揃ってトラブル体質なのか。
もう半分以上は諦めているが、たまには落ち着いていい雰囲気で逢いたいもんだ、と儚く思う。
「……何がどうしてこうなったのか説明しろ」
「話せば、長く、なる、んだ、けど」
「取り敢えず…」
お腹空いた〜ぁ、と泣く子には勝てない。
セーブクリスタルのある砂時計の谷まで戻り、事の顛末を聞けば。
死ぬ物狂いで走りに走り、一旦はボスから逃げ切ったヴァンとパンネロはもと来た道を引き返すわけにもいかずに仕掛けられたギミックを解きながら道なりに進んでいた。おそらくは一の廓の王宮の地下から続く通路の一部で、所々は崩壊して通れない場所もあったらしい。
徘徊しているモンスターもそれほど強いものがいなかったのが不幸中の幸いで、ほぼ一本道にここまで辿って来たらしいが、途中で妙なものを発見したのだと言う。
「銀色の皿みたいな器。このくらいの」
ヴァンが両腕を広げて囲ってみせる。
燻し銀の平べったい器いっぱいに細かな白磁の紋様がびっしりと描かれた皿を覗き込んだパンネロは、それが錬金術で作られたものだとひと目でわかった。一つ一つが細かな古代文字で編まれた紋様と、凹凸を消してつやつやと磨かれた骨のようななめらかな質感には覚えがあったからだ。
機械技術の台頭に伴い、アクセサリーや鎧などの一部を錬成するのが主流となっている今、これだけ大きなものを錬成できる技術は伝えられていない。
ここで「こうやって伝承というものは滅んでいくのよね…」とフランがしんみりしたのに、パンネロも深く頷く。いつも一緒にいるのがアレだと、こういう話をしてもつまらないのだ。
ヴァンが不貞腐れてパンネロが話しに夢中になる前に「はいはい、それで?」と促すバルフレア。
その銀盤の上には浮遊石らしき白い装飾がされた水色のクリスタルがあり、よくよく見ると石の表面にも文字が刻まれていたそうだ。
「形はそこのセーブクリスタルと同じだったけど、もっと小さかったよな」
「うん、色ももっと薄くかった」
部屋には入り口の他に出口らしい場所が見当たらず、行き止まりに来てしまったのかと凹みかけたが、銀盤がずれていることに気づいたパンネロが駄目もとで位置を正してみた。
すると…
「クリスタルからするする〜って変な糸みたいなのが流れてきてさ」
「私の中に入っちゃったんです」
「入った?」
「うん、ここに…」
「…っ!つつかないでよヴァンのスケベッ!」
さすがにふっくらとふくよかな丸みは気が咎めたのか、少女の鎖骨の下あたりを指でつついた少年。それでも顔を真っ赤にしたパンネロはヴァンの手を叩いて怒っていたが、それより恐ろしいのはその後ろで彼らを凝視しているヴィエラの形相である。ああ、フランの奴…相当煮詰まってるな、とバルフレアは乾いた笑いを滲ませてヴァンの腕を取り隣に引き寄せた。
「いってー…。何だよ減るもんじゃなし」
言うと思った。
ヴァン、お前はもう17じゃないんだぞ。アルケイディスのキネマ劇場でR指定が観られる歳になったんだぞ。男女の機微以前の問題で躓いててどうする。
そこまでお前はアホ垂れなのか。
「自分に置き換えて考えてみろ。例えばいきなりお嬢ちゃんに『ちょっと触らせて』って握られたとしたら…」
「私そんなことしません!変なこと言わないで下さいよ!」
やぶ蛇だった。
今度は二人してパンネロに叱られる。
「話が逸れましたけど!…器を元に戻したらそれまで視界がぼやけるくらい濃かったミストが綺麗サッパリなくなっちゃって。
来た道をまた戻って別の通路を進んでたら…」
「ドラゴンに見つかった」
しつこく追っかけて来て、えらい目に合わされたよな〜。
ね〜。本当、バルフレアさんとフランが天の助けに思えたわ。
和やかに干し葡萄を食べるヴァンとパンネロを見ながら、そう言えばあのドラゴンには尻尾が無かったな、と何の気なしに思い出したバルフレアの背中に嫌な予感が走りぬけた。
つー、と冷や汗が流れ落ちる。まさかまさか、そんなまさか。
「…お前ら、地下に入ったのはいつからだ」
「三日、四日前?」
「その間、何食ってたんだ」
「……エヘへ」
彼らは文字通り喰うか喰われるかの死闘を繰り広げていたのか。
応戦しながらMPが溜まるまで逃げまくり、また応戦してを繰り返すうちにどこをどう駆け回ったのか、洞窟に迷い込んでしまったところ。バルフレアとフランに遭遇したというわけだった。
一通り事の顛末を聞き終えた男は少年の頭に拳骨を落とした。
「言いたいことは山ほどあるが一つだけにしておく。
なぜ迷った時点で地上に置いて来た飛空艇の機工士と連絡を取らなかった。通信機は無理でも魔道波技術を使った無線なら例え地下にいたって使えるはずだろうが」
「あ…」
何でシュトラールに救難信号を送らなかった、とは言えない。
それでは今まさに形成されかかっているヴァンの空賊としてのプライドを引っ掻くことになる。それでどうこう抉れる珠では無いのは知っているが、要は気分の問題だ。これからも「糞ガキ」と呼ぶだろうが、その実ヴァンをガキにはしておきたくない複雑な親心なのだ。
「返事は」
抑揚の無い声に、グッと唇を噛んで目を逸らさずに睨み返したままだった青灰色が揺らぐ。
「う…、はい」
真顔で凄まれて、勢いに飲まれた形でヴァンが俯くと頭上から舌打ちと掌が降ってきた。
乱暴に髪を叩くようにして撫でて「急ぐ旅じゃねぇんなら付き合え」と言って立ち上がる。ハラハラと男と少年を交互に見ていた少女は、軽く肘を掴まれて隣に立つ長身のヴィエラを仰いだ。
彼女の視線を追うと、ヴァンがバルフレアの背中に走りよっていく所だった。斜め後ろに間隔をあけて。後姿だけでも、必死に男の様子を伺っているのがわかる。
「素直なところがヴァンの可愛いところね」
「…だったら、意地っ張りなところがバルフレアさんの可愛いところかな」
足場の悪い洞窟内で足元も見ずにひたすら背中を追っかけてるものだから。ヴァンはお約束にズルリと滑りかけたが、あっさりバルフレアが腕を掬い上げた。
「行きましょうか。あの子たち、きっと私達がついて来てると思ってるわ」
「あー、絶対思ってる。ほんと男の子ってしょーがないんだから」
二人は苦笑していつの間にか小突き合いながら笑っている彼らの背中を追った。



アスダルは近頃ご無沙汰だった年下の友達の姿を平原に見つけた。
風水士のユグギルに頼まれて「森の友人」を迎えにグロムと平原に出てすぐ、日差しの落ちる小道へと向かう途中のゼルテニアン洞窟の入り口近くで。遠目にも奇妙なヒュムとヴィエラの四人組を見たのだ。
「アスダル!うわ、なんか久しぶりだなぁ〜…また角でかくなったんじゃねぇ?背ぇ伸びた?」
彼は隙あらば角を狙って跳びついて、ぶら下がろうとするので油断できない。
「頑張ってね、フラン。すぐジャハラに連れてってあげるから」
「有難うパンネロ」
肩に覆い被さるヴィエラに押し潰されそうになりながらと励ましている少女。
「フラン、それ以上わざとパンネロに甘える気ならお前は俺が横抱きして抱えて行くぞ」
具合悪いのにかこつけてイチャイチャしない!と叱りつける男。
皆知り合いだったので挨拶をすると、ヴァンは「あ、そうだ。聞いてくれよ!さっきゼルテニアン洞窟行って来たんだけどさ。あのクリスタルの奴とんでもないスケベ石なんだ!」と。訳が解からない。
「連れが具合を悪くしてな。あんた達の里に寄らせてもら……フーラーンー!お嬢ちゃんを敷物にする気か。いい加減にしろ。少なくとも里に着いてからにしろ」
「ああ、俺たちは構わないよ。ゆっくり休んで行ってくれ…それから、脇の下でヴァンが窒息してるんだが緩めてやった方が良くないか?」
うん、それ俺も言おうと思ってたよグロム。
男はアスダルとグロムに礼を言って、ヴァンの首根っこを掴んで残り二人を急き立てながらジャハラの入り口へと向かって行った。
「なぁ、あのヴィエラの姉さんさ。
パンネロ一人だと荷が勝ちすぎるんじゃないかな…俺ちょっと行って手伝ってこようかな」
騒がしく去っていく四人を見送るアスダルの一言は純粋に心配してのことだったが、こういう時には同意してくれるはずのグロムはぽんぽんと後輩の肩を叩いて「止めとけ」と言った。
「惚れたはれたに口を出す奴はチョコボに蹴られて死んでしまうと言うからな」
「え?チョコボ?あのくらい突進してきたって突っ張れるよ、俺」
「そういうことじゃないんだがなぁ。まあいいか」
「?」
そんなわけで、仲睦まじいヴィエラとヒュムの少女を見て来たものだから。
アスダルは迎えに行った「森の友人」もきっとヒュムを好きなんだろうと思って、ジャハラまでの道すがらいろいろと話してみた。見かけたヴィエラと同じくミストにあてられて体調を悪くしているのか、始終無言だった「森の友人」は、堪りかねたように「ええい、ただでさえ気分がすぐれんと言うのにヒュムヒュムヒュムと…っ!貴様ヒュムかぶれか!」と怒鳴り。
驚いて立ち竦んだアスダルに挑みかからんばかりである。
アスダルは何が何だか解かっていないしグロムも半分以上解かっていなかったが、怒髪天を衝いた「森の友人」の様子を見て、アスダルの何かが彼女の心の琴線に触れてしまったんだろうと思い当たった。
「謝れアスダル。取り敢えず謝っとけ」
「え、あ、ご、ごめんなさい」
「取り敢えずとはなんだ!貴様も言われて素直に頭を下げる奴があるか!」
じゃあどうすればよかったんだろうか。
首を傾げることしきりのガリフ二人に、黒い皮の鎧を身につけた方が更にいきり立つと、隣で事態を静観していた白い装身具の方が同胞を宥めた。
「我らと平原の民とでは違う物差しもございます。ご容赦を」
「ハールラ様!」
「ここは森ではない。貴女も自覚を持った行動をなさい、カリス」
とても深刻そうな表情だ。
何故だろう、パンネロに圧し掛かっていたヴィエラはこの二人と同じく辛そうだったが何となく幸せそうでもあったのに。
愛があるか無いかで人間、同じ物事に際してもあたりがああまでかわるのかなぁ…と疑問に思いつつガリフの青年二人は「森の友人」をユグギルの元まで案内する。そこにはつい先刻別れたヒュムとヴィエラの四人組が座っていた。
少女が「森の友人」を見るなり表情を硬くして、身体を向き直る。どうやら隣のヴィエラを匿いたい気持ちらしいことは見て取れるが、絶望的に身長差があるので無理…というか無茶である。
「ようこそ参られた。本来ならば長老が挨拶をすべきところだろうが、今はこちらもなにぶん立て込んでいて叶わぬ。ご寛恕くだされ」
「いえ、我らこそ手厚い歓迎を賜わり有り難く思っています」
座ったままのユグギルに倣って茣蓙のうえに膝をついたハールラを見て、アスダルを嶮しい視線で射抜いてビビらせていたカリスも膝を折った。同席しているヒュム達以上に、異質なかつての同胞の姿を苛立たしく思うが、ハールラの言葉を聞かないわけにはいかなかった。
平原の民が彼らの同席を許すのなら仕方ない。
「今しがたこちらの友人にも薬湯を煎じたところでな。
我々の技で及ぶかどうかは解からぬが、入り用なだけお持ちなされ」
「有難う。これだけあれば里の者も助かります」
薬師同士で静かに語り合うハールラとユグギルを見守っていたカリスは、つんつん、と左腕をつつかれて振り向く。いつのまににじり寄って来たのか、最近になってよく里へ出入りしミュリンやネフィーリアにちょっかいを出しているヒュムの小僧だ。
「なあ、あんた達なんでジャハラに来たんだ?もしかして里を抜けて来た…」
「わけがないだろう!何を言い出す…ああ、申し訳ありませんハールラ様、ユグギル殿。お続け下さい」
私としたことが役目を忘れて感情に激してしまうとは。
ギロリと睨まれて首を竦めるヴァン。毎度毎度、話しかけてもけんもほろろに追い返すカリスとは、こっちだって何も無ければ話したくは無い。けれど、柔和な感じなのに口は貝より堅そうな大薬師に探りを入れるよりは、こちらの防人副長に水を向けたほうが話が早そうだ。…と、バルフレアが言っていた。
なるほど!と感心し、てっきり自分で聞くんだろうと思っていたら肘で小突かれて「行け!」と嗾けられて。バルフレアが行くより俺が行ったほうが効果的なんだそうだ。
「俺達、ゼルテニアン洞窟を調査しててさ」
「調査?…遺跡荒らし墓荒らしの真似事ではないのか」
「いや、それならもっと実入りの良さそうなとこでやるって。
最近、天気とか天候とか変だろ?長雨が続いたり、かと思ったら日照り続きだったり。そういういろいろの原因はミストの濃化現象のせいなんじゃないかって」
「天気も天候も同じことだろう。それをいろいろとは何だ、すべて同じ話ではないか。
異常気象と地形の変動に地下から噴出するミストが原因となっていることは確かなようだが…」
ヴィエラは他のどの種族よりも感覚器官が発達し、大気にあまねくミストの盛衰を肌に感じることができる。感知能力の冴え故にこうした局面では真っ先に打撃を受けるのだ。
この目の奥を焼くような痛みも絶えず頭を金槌で殴られるような鈍痛を覚える耳も、数歩先すら嗅ぎ取れない麻痺した嗅覚も、全てはヒュムがぞんざいに天与の石を扱ったがためだと思うと腹立たしたを通り越して悲嘆を覚える。
身振り手振りで話す少年を無視し続けていたカリスだったが、少年がポツリと漏らした言葉に耳をそよがせた。
「…で、この古謡に何か意味があるのかなぁ〜と思ったんだけど。俺、こういう古来からの伝承とか口伝で受け継がれる歌だとか、からっきしだからさー」
「………」
「フランは今しんどそうだし、他に詳しそうな人も知らないし」
「………歌ってみろ」
「え?なに?」
「一節でも覚えているなら歌って見せろ。先に断るが、解かるかどうか確約はできんぞ」
え…、うそ…本当に釣れた。
ヴァンは隣でそ知らぬふりをして聞いている男をチラっと見上げる。
「あー、えーと。
ぐんじょーをおいかけてひがしのそら、ひえたくるぶしにみなもはあおく、うろこもよーのぎんのはら、たにお…」
「あああ止めろ!わかった、もうわかった。貴様の音痴は充分すぎるほど知った」
そこまで酷くないだろう、と気分を害したヴァンだったが、フランも少し離れた場所にいるハールラも…それどころかガリフの里人達までも耳を塞いで悶絶しているのを見て切なくなった。畜生、みんなして、ちょっと音外したくらいで何だよ。
「群青を追いかけて東の空、冷えた踵に水面は青く、鱗模様の銀の腹…か。
四つの御調歌だろう。草原の中の国が滅んだのを最期に途絶えたかと思っていたが。懐かしいものだ」
「御調歌って四つあるのか」
「いや、正確には五つだ。四つは空を仰ぐ者達が、天つ女神に捧げる歌。もう一つは天つ女神から下賜される歌。その昔、旅を往く草原の民達が廻る土地土地で歌を捧げたと聞く。
我らに伝わる古謡とは違うが、どれも全て大地に感謝し空を尊び水を愛して森を慈しんだ歌だった。
お前の口から再び聞くことになろうとはな」
「あと、二つか…」
黙り込んだ少年を見下げたカリスは、フン…、と鼻白んだ。
何か賢しげに考えているようだが、ヒュムのやることにしては害の無いことのようだし、言い添えてやることにする。ここは森ではない、里ではない、ならば少しくらい己に寛容の心を許してもいいだろう。
「何を企んでいることやら。…御調歌を知りたいのなら古の道を刻む地図を手に入れろ。もしかすると王国と共に姿を消したやも知れぬが」
ちょうど言葉を切ったところで「カリス」と名を呼ばれる。
ユグギルに暇乞いを告げてソゴト川へ向かうと、ガリフの戦士達が川縁を盛り上げてその上に岩を積み上げていた。
ギーザ草原では異常気象で雨季が訪れず作物が枯れ、それなのに隣り合っているはずの平原では例年に無い長雨が降り続いて河川が増水している。見仰ぐ曇天は今にも大粒の雫を垂らしそうに昏い。
さきほど「またな〜」と手を振っていた少年の屈託の無い笑みを思い浮かべて嘆息する。ヤクトの増大と異常なミストの乱れに起因する災厄を止めるために何かするという少年。あの子供は何かに抗ってばかりいるように思う。いつでも騒がしく行動している。
里に居た時分にはただただ煩わしいだけだったが…、けしからぬ行いばかり目立つヒュムが何を為すのか。森を行過ぎる旅人達の噂に、風にまじる吟遊詩人の調べに聞くように、これまでの歴史とは違う新たな歩みを人が始めるというのなら、しばし眺めてみるのもいいかもしれない。
「収穫はあったかね」
森へと帰って行く二人を見送るユグギルに言われて、少年の後姿を見ながら視線をそのままに男が「まあな」と短く返した。
ゼルテニアン洞窟の地下で探し当てた古い遺跡の中のクリスタルは、ゲートクリスタルよりももっと濃い真紅のクリスタルだった。石の表面の古代文字はパンネロが歌った古謡の続きの一節で、糸のように解けて揺蕩う言葉はフランの胸の谷間に吸い込まれて消えた。そういう仕様なんです、と言ってしまえばそれまでなのだが。ちょっとイヤラしい。
男の手元には古い地図の切れ端が二枚。巧妙に細工されているが、二枚の地図の境目は人工的に引き裂かれたものだった。
「バッシュともアーシェとも繋がってる凄腕情報屋って言ったら…」
「…ねぇ」
「奴だよなぁ」
「そう見てまず間違いないでしょうね」
四人はシュトラールに乗り込み、里人達に見送られながら一路帝都を目指した。













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2011.05.01(再掲)


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