崩落した市街地を抜け、辛うじて城壁といくつかの建物を残すのみの王城へと足を踏み入れる。王宮の構造は同じ王国のダルマスカより政庁に囲われた皇帝宮を構えるアルケイディア帝国に似ていた。一の廓、二の廓、三の廓の三層に固められ、本殿はそのもっとも奥の見櫓塔に囲われた形で高く聳え立っている。
今でこそミストに塗れた不吉な場所だが、昔は華美ではなくとも白磁色に輝く荘厳な宮殿を仰ぐことができただろう。
妖鳥の一群が旋回する見櫓塔は、今にも倒壊しそうに傾いで墓標のように黒い影を落としていた。
「あ!あった。ヴァン、あそこよきっと」
敷地の大半を占める二の廓は王族直轄の近衛騎士団の宿舎と共に、地方貴族や豪族が王宮に伺候した際に滞在する別宅が並んでいる。その大半が焼け落ちて雨ざらし野ざらしの廃墟と化していたが、最も奥の小さな森に面した双頭の鷲の紋章を掲げる館だけはまだしっかりと門構えを残していた。
「ここが小父様の、ご生家なんだね…」
「ダルマスカに落延びて平民になるまでは、貴族だったってことだよな」
「貴族の邸宅って言ったらもっと大きいお屋敷かと思ってたけど、なんだかこじんまりしてる」
帰りに道に迷わないよう今までの道のりをしっかりとマッピングしていたパンネロの呟きに、ヴァンは草木が茫々に伸びしきる庭を見渡しながら思う。
この小さな噴水のまわりで、手入れをしていなくとも所々ふかふかと柔らかそうな下草を残す庭で。レックスと俺みたいに、バッシュと…あの男も転がって遊んでいた頃があったんだろうか。
想像もつかないはずなのに、己の腰ほども無い小さな男の子が二人裸足で芝生を踏んで走り抜けていく幻を見る。黄金色の薄布を重ねた歪む視界は濃すぎるミストのせいなのだろうが、それが在りし日の斜陽のように思えて、とても切ない。暗褐色にくすんで、崩れていく。
不幸なことには堪えられる、悲しみは乗り越えていける、けれど暖かな過去の面影は…。
「幸せって、たまに辛いよな」
「え…?」
「なんでもない。行こう。もたもたしてたらまた雑魚が集まって来ちまう」
「うん」
俺ですらこうなのだから、バッシュはここへは来られないはずだ。
館の中は思ったとおりモンスターの巣窟で、たまにエルヴィオレに集団でたかられたりウォーロックにドッキリさせられたりしたものの、以前たった二人きりでヘネ魔石坑突入→アビス狩り→マラソン→アビス(以下、力尽きるまで)に挑戦した戦歴を持つヴァンとパンネロは多少のことではもうビビらない。
出没モンスターの傾向が死都ナブディスに似ているのでオーバーソウルが出やしないかと警戒していたものの今のところは出て来ていないし。
こまめにマップを確認しながら、背後を警戒しつつ一部屋ずつ探してみる。
「うー…ッ!まずい!もう一杯」
「パンネロ。そのネタ古すぎる。骨董品。寒い寒い」
どうしても開かなかった二の廓の城門をミストナック連携で叩き壊したせいでかなりMPを消耗してしまっていた。ゲージが心許ないまま歩き回りたくはない。
腰に手をあててごくごくエーテル3本一気飲みしたパンネロは、ぶるぶるっと武者震いして「ちょっとお台所で瓶を洗って来るね」と言い残して行く。
相変わらず言葉は通じないが、身振り手振りでボディーランゲージを試みる物怖じしないヴァンを気に入ってくれたのか、瓶をバクナムスの商人に返却すると5本につき1本、サービスしてくれるのだ。こんなわけで、日頃MPの回復はマラソンで補っていた二人も、最近はリッチにエーテルでMP回復!なんて贅沢なこともできるようになった。
別行動はヤバイんじゃないのかなぁ、と思いつつ二階へと階段を上っていたヴァンは「きゃあぁぁ!」という悲鳴を聞いて慌てて階段を転がり下りた。
すっ飛んで台所に駆け込んでみれば物の散乱した部屋の中で、パンネロが蹲っている。
「どうした!なんか出たのか?」
慌てて片手剣を構えたヴァンの腕をガッと掴んで引き寄せ、眼前に差し出されたそれは。
「可〜愛いぃ〜い」
「はあ…」
そうですか。
あんまり凄い劈くような悲鳴だったから駆けつけたってのに、ああ壊れたテーブルにぶつけた向こう脛がシクシク痛い。
夢中になっているパンネロに憮然として足をさすりつつ、ヴァンも彼女の手元を覗き込んだ。
確かに割れた写真立ての中、仏頂面でこちらを睨む短髪の少年の腕を取って顔中で笑っているくせっ毛の少年は可愛いと思う。今のその人を知っていればこそ、さらに。
「うわー、髭がない。バッシュ、髭がねぇよ!つるつる!」
「当たり前でしょ、子供の頃から髭面なんて有り得ないわよ。それからつるつるは止めようよ、なんか別のもの想像しちゃう」
「なんで?いいじゃん、どっかの将来後退の危機に瀕するのが確実そうな誰かのデコとは違って今も昔もバッシュの生え際は元気だし」
「…それもそうね」
「デコと言えば、バッシュの眉の上の傷ってこの頃は無いんだな。あの傷は戦争で…、ってことか」
古い上に細かな傷のついた写真を指で撫でていたヴァンは、そこに捜し求める揃いの翼を見つけた。一つはバッシュの首に、もう一つはそっくり同じ顔立ちの隣の少年の胸にあった。
「ランディス共和国ってね、もともとは遊牧民族の興した国なんだって。
季節から季節へ旅から旅へ、人と別れる時にはその人が大事であればあるほど、大切な贈り物をしたそうよ。こんな風に対になる贈り物を。
また逢えますように、きっと帰って来れますように、貴方に私の心を半分残して行きます…って」
その名残がずっと風習として残っている。
彼女の手に埃塗れの銀の翼を見て「いつの間に」と聞くと「こんな所で見つけて私もびっくりしたけど。上から落ちてきたみたい」、二人の頭上にはぽっかりと大穴が空いていて二階三階まで突き抜け空が見えていた。
あっけなく見つかった探し物に肩透かしを食った気分だったが、「せっかくだから」とパンネロが言うので庭の柔らかそうな芝生を選んでお弁当を広げた。モンスターは影すら見えない、パンネロがコラプスコラプスコラプス…怒涛の魔弾爆撃をしてくれたお陰で。
庭の片隅がちょっとばかり焦土と化したけれど。
「まあ、なんだな。切ないよな」
「…いきなり何。主語はどこよ、主語は」
「バッシュとガブラス」
齧り付こうとしたサンドイッチから口を離して、両頬の餌袋の膨らんだハムスターみたいな顔でもぐもぐしている幼馴染を見つめる。
アホみたいだけど、ずばりアホなんだけれど、ヴァンはサンドイッチを噛みながらぼんやりと己の胸に沈んだ澱を溶かしているんだろう。人がうんうん唸って乗り越える、あるいは切り捨てる感情を、ごくんと飲み込んで消化してしまう。
涙を飲むのと同じくらい簡単に飲み込める小さな悲しみではなくて、もっと深くて痛いものをも。
「そうだね」
「うん」
捨てずに背負ったバッシュと、一切を切り捨てて黒鉄を纏ったガブラスと。どちらかと言うと囚われていたのはガブラスだったようにも思えたが、憶測には限りがある。バッシュの胸の内を知っているわけではない。あんなに一緒にいたのに、彼は本当に肝心なことは黙する男だった。
幼い頃を収めた写真にはなかった、バッシュの額を斜めに斬り裂き、耳の端まで及ぶ大きな傷。これはガブラスがバッシュに爪を立てた証だろう。なんとなくヴァンには確信があった。今度バッシュと直接会えたら、その傷跡に触れてもいいか聞いてみたい。

過去は歪んでいく、振り返る人の想いに歪められ、勝手に意味を与えられて。それを止めるすべはない。
だったらせめてその中で優しい面影だけを拾い上げて欲しい。それなら往き過ぎた幸福を振り返っても辛くはないから。

さらさら、と風が吹き抜けて草花を揺らす。どこからか飛んで来た綿毛が涸れた噴水に落ちる前に手で掬い取り地面に落とし、ふと思いついて聞く。
「ここ、前に小母さんと来たことあるって言ってたよな」
「うん、そうだけど?」
「歌って。なにか」
遠出するときはいつも旅先で知った歌を習ってきては、レックスやヴァンの前でお披露目していた。
パンネロは歌とお料理は同じものだと思っている。
どちらも人が生きていくには欠かせないもので、そこで生きる人々の軌跡が刻まれるもので、受け継がれる色が絢を為すものだ。
百のオルギン、ブレイブストーリー、幻獣の姫君、べオウルフの騎行、…寝物語にたくさん読んだが、自分はエウレカや他の吟遊詩人の歌に滔々と紡がれる綺譚のほうが好きだった。
懐かしくなって記憶を辿れば、古謡の一節を思い出す。
「群青を追いかけて東の空、冷えた踵に水面は青く、鱗模様の銀の腹
谷を零れて川を流る、魚はどこへ…」

―――――青きせせらぎに

「え?なに?」
「俺は何も言ってな…」
ドンと腹に響く地響きがして、ついさっきまで尻の下にあった柔らかい芝生の感触が無くなった。背を凭れていた噴水の石積も無くなって、ぐらり、と身体が支えを失う。
とてつもなく嫌な予感に顔を見合わせた二人は、同時に「ええぇ〜!」と叫んでまっ逆さまに闇の中へと落っこちて行った。
咄嗟にパンネロを抱き寄せて頭を庇ったヴァンだったが、着地した場所は存外に柔らかかった。
「ぅおう!」
弾力もあった。
ボヨンと弾んで今度こそ硬い床にぶつかって転げる。
「ヴァン、だ、大丈夫?」
「だいじょばない」
よりによってデコから墜落するなんて。
いっそうアホになったらどうしよう、生え際が後退してしまったらどうしてくれる。
ピヨってお星様が飛んでいる頭を振る。チカチカする目を凝らすと、すぐ近くで頬に砂埃をくっつけたパンネロが硬直していた。ぶおぉぉ、と形容しがたい音と共に生暖かく生臭い突風が吹いて、薄暗がりにギラギラ充血した黄褐色の双眸が見えた。はるか頭上から差す朧げな地上の光に、巨大な爪と牙が照らし出される。
上からの「落下物」のせいで目を覚ましたらしい。
アクティブゲージは勿論、真っ赤っかである。
どうしていきなり地下ダンジョンに嵌まり込んでしまったのか、しかも初っ端からボスに当たってしまうのか、一本道の洞窟には果たして出口があるのか、は二の次三の次。
ひょーん、と伸びてくるターゲットラインに捉えられる前にくるりと向けた背中に、追いかぶさるモンスターの咆哮。
「逃げろっ!」
二人は一目散に走り出した。













next→
2011.05.01(再掲)


inserted by FC2 system