久々、と言うほどご無沙汰だったわけではないが。
戦前も戦時下も戦後も変わらず目まぐるしいまでの活気に満ちて変化に富む国は、新たな指導者を得てさらに英気を汪溢させているように思える。
人々に空を仰ぐことすら躊躇わせた赤と黒の帝国の紋章が消え、代わりに紺碧に映える青と金のダルマスカの紋章が掲げられ。燦燦と降り注ぐ陽光を浴びる額に、悲しみと憂いは無かった。
拭いきれない痛みは今もどこかにはあるのだろうけれど。
例えば王城からも王都からも望むことの出来る黒鉄の要塞の、楔のように深く根を下ろして傾く姿に。
「よくまあ生きてられたもんだ」
モグシーを使えば一瞬で砂海亭まで着くだろうに、今日に限ってフラフラと歩きだした男の背中に否やも無く黙ってついて歩くヴィエラは、ボソッと呟かれた言葉を追って深く地表に突き刺さる空中要塞の成れの果てに目をやった。
あまり深くにめり込み過ぎて水が湧いてしまったのか、周囲にはちょっとした湖ができてしまっている。この景色、王女は…いや今は女王か…さぞや怒り心頭に発したことだろう。
砂漠の中のオアシスを中心に栄えるこの国は、ガラムサイズ水路を基盤として発達した巨大なカレーズ(水利施設)によって成り立っている。戦後処理でてんてこ舞いしている時分に、そこへもってきてこんなデカブツのせいで水量や流れに変化が出れば、治水事業まで頭を悩ませなくてはならなくなる。
戴冠式の後こっそりと内輪で集まった時、無事に再会できた喜びに男を抱き締めた女王は、ついでに「どうしてもうちょっと遠くまで行ってから墜落してくれなかったのかしら〜」とギチギチぎりぎり万力の力で骨も折れよと絞め上げた。
背骨が砕けるか胴が半分になるんじゃないかと思った、との言は失神寸前で解放された男の言葉。
右に少年、左に少女、といった具合に両脇を花で固めて始終ご満悦だった新生ダルマスカ王国の女王陛下は思う存分、年下の彼と昵懇を結んであてこすり。
男はと言うとせっかくの二人っきりの夜にまでも「こ、腰が…」と呻くことしきりで文字通り「腰が立たず」手も足も出せない有様だったそうな。
その時の様子を思い出して、思わずヴィエラの唇に笑みが浮かぶ。
「いやらしいぞフラン。思い出し笑いか」
なんとはなしに彼女が何を思って含み笑いを漏らしたのか勘付きながら、嫌そうに眉間に皺を寄せる男。
笑いを収めたフランはサラリと男の視線をかわして、強い日差しに濃い影をつくる街の情景を目を眇めて眺めた。
「ほんとによく生きていられると思うわよ。普通死んでるわ。
最速の空賊バルフレアに更に『不死身の』なんてご大層な飾り文句がついてるの、あなた知ってる?」
「いや知らん。マジで?」
「マジよ」
「ダセェな」
厭人厭世な性質では無いが、必要以上に群れるのは嫌う。
だから徒党を組んで一家を構える空賊とはソリが合わずに、隣り合うのを許すのはフランだけで通してきたが。男は船乗りとしての才も、舵を執る船にも恵まれている。おまけに彼を釣り上げれば目にも心にも麗しいヴィエラの航海士もついてくるとあっては…。
名が売れてきてからは、引き手搦め手あの手この手でお誘いがあったが、男は頑として節を曲げなかった。そんな一匹狼風来坊を好む男にとっては、これ以上余計な箔がつくのは邪魔なだけ。
むぅ、と唇をへの字にした男の耳に更にからかうような声が降って来る。
「なまじルックスがいいものだから、今まではご婦人がたの黄色い声が多かったけど。厳つい風評も得たことだし、これからは野太い声援も恣にできそうね、バルフレア」
「野郎のむさ苦しい声援なんざいらねえよ…」
考えるだに鬱陶しい想像を頭を振って追い散らす。
色が零れ落ちるような窓辺の花壇の花びらが、赤に黄色に垂れ下がる布に混じって壁を飾っている。
何より景観を重視して、建築物に付随する植物はその種類や彩り方までも細かく形式のある帝国に比べて、王都を飾る花々はまさに自由奔放、天衣無縫。
ありのままに、けれど美しく品格を忘れない。
斜陽に照る建物の壁に沿って見事に統一された赤の花卉は全てガルバナだった。周りを彩るのは砂漠に出れば摘むことができるような薄紅色の野草や、白い綿毛を飛ばす小花。
女王の戴冠式に重用されたとあって、ラバナスタでは国花扱いされている。
力強い原色に命の色を感じて、奥へと続くムスル・バザーを眩しく見遣った男はつい感嘆の声を零した。
路地を抜けて拓けた視界に容赦なく映りこむ、色、匂い、音、熱…。
異国の食べ物や料理の匂い、産地直送のさまざまな香料の馨り、ロザリア産の白ワインの樽の横にはビュエルバの火酒とアルケイディア地方の田舎でしか見かけないモルトウィスキーの樽が所狭しと置かれ、綾に錦に色とりどりの織物、どこからか爪弾く撥の音に乗って音曲までもが聞こえてくる。多種多様な民族が交じり合い、目眩がするほど沸き立っていた。
「不羈自在と言うならバーフォンハイムでしょうけれど、自由闊達というならばここを置いて他には無い」
いろんな旅をした。
隣り合う彼と出会う前も出会ってからも。
初めてこの街を訪れた時、確かに感じた胸の高鳴りは今も全く変わりない。
少し前に契機となる旅をした。そのさなかにもこの街は変わらず私の心の琴線にに触れてきた。
目まぐるしく変化しながら、何に圧されても拉がれることのない変わらぬ強さ。停滞することを惜しみ怠惰を嫌う気風は、緩やかに流れ落ちる時を受け入れるだけだった自分にとっては強い刺激だった。
里を出てここを訪れるヴィエラの大半が、一度は立ち往生して息を飲んだことだろう。
砂海亭の扉を開けると、ひんやりと冷えた空気に圧されて鼻腔の奥を熱くする酒気の芳香が心地よい。どの卓にも食欲をそそるスパイスの効いた料理が並べられ、二人は喫飯する気はなく軽めの酒だけを注文するつもりだったが、馨りにつられて何品か頼んでしまった。
頬を薄く赤らめてこっそり値引きしてくれた女給に如才なく笑いかけ、バルフレアはこれからもっと込み合うだろう店内をぐるりと見渡した。
「磨きがかかったんじゃねぇか?…女王様の治世は順風満帆てとこか」
軽口を叩きながらも口で言うほど簡単ではないことは重々承知している。
ウォースラを喪い、バッシュを失い、オンドール侯の後ろ盾と解放軍の少数のみを支えに玉座に返り咲いた若き国主。
西にロザリア北にアルケイディアに挟まれ、和平を結んだとは言え列強を相手取って裸の王様を演じているようなものだと揶揄されていた時期もあった。
「あの娘はやんごとなき身分の人間にしては清廉実直に過ぎる。猪突猛進のきらいがあるから、敵を多く作りそうだわ」
「若い主君ならば与しやすし、傀儡にしたてるのも造作もなきこと…なんて勘違いする馬鹿も涌きそうだな。
特に戦時下に帝国側に癒着してた一部の貴族だとか政治家だとか」
何だかんだで今も折に触れて旅の仲間の動向は気にしている二人は、新女王の施政には特に注意深く目を向けてきた。何と言っても彼女の傍には誰もいない。忠烈無比であるバッシュが傍らに控えていてくれればそこまで危惧せずとも済んだだろうが…。
「きな臭い連中の頭を片っ端から永蟄居に追いやっておいて、肥やしに肥やした資財を一切合財没収=国庫行きした時は目玉が飛び出るかと思ったぜ。えらく思い切った処断に出たが、波風立ちまくっただろうに」
「表向き平穏を取り戻しつつあるけれど…、その実、内情は光風霽月に程遠いでしょうね。でもまったく先が見えないわけじゃないわ」
何もかも官僚頼みのお飾り聖女では無いのだと、近い将来徹底的に実力を持って知らしめるであろう女王の勇姿が目に浮かぶようである。
フランはバルフレアに合わせるつもりでいた。微かに寂寥を感じえぬでもないが彼が「終わった話だ」と切るようならば、酒の肴にたまに思い出すだけに止めることも。
だが、予想に反して彼は積極的に関わることさえ避けるものの何の衒いも無く旅を振り返りかつての仲間の「今」に思いを廻らす。その様は楽しげですらあった。
必要以上に関わることを嫌う、肩の力みが取れたというのか。
毛嫌いしていた政治の話をからかい混じりに話すバルフレアに相槌を返しながら、フランは彼と似た境遇を持つ己自身を振り返っていた。逃げて逃げて…振り返った足元に変わらずのびる影の意味を考えてきた。今の自分は過去にどんな意味をおくのか、と。
劣化した記憶は歪で、愛憎も好悪も混然と交じり合っている。私はその中で今も悲しみと寂しさだけを拾うだろうか。それとも、彼のように私も変わっただろうか…。
グラスの縁をなぞった指の先に、二人のテーブルの前で止まった足を見つけフランは耽っていた思索から顔を上げた。
「言伝です。この手紙をお二人に、と」
白い封筒の中身に目を滑らせた男は眉根を寄せる。
嶮のある目で誰何されて「あ、わ、若い女の方でした…ッ!」と言い足した給仕が逃げるようにテーブルを去るのを待って卓上にカードを放る。
一瞥したフランの表情には表立って変化は無かった。
瞳だけをほんの少し瞠って、次いで細く眇める。男の表情にチラリと視線を向けたのは、伺うためではなく確認だった。
「アマリア、ねぇ」
またえらく懐かしい名を。
素っ気無いカードに記された場所は旧ダウンタウン市街地のとある酒場。
立ち上がって後ろも振り向かずに歩いていくバルフレアに、やはり否やも無く黙ってついて歩くフラン。枷を押し返すように肩で風を斬って歩く真っ直ぐ伸びた背中は、いま少し柔靭な空気を纏うようになって。
その後姿はどことなく誰かに似ている。
口に出しては言わない。ただ慎ましく黙って思っているだけだ。
言ってしまえば彼らは二人して「うえぇ」という顔をするに決まっている。男にいたっては臍を曲げてしばらく口を利いてくれなくなるかもしれない。
旅は偉大だ、時の力だけではどうにもならないことも、確かに変化させる力を持つ。
同時にその魂を鍛え上げ、変わらぬ信念を突き通す力を与える。
「何してる。行くぞ」
「ええ」
さあ、今度はどんな旅になるかしら。
傍らの男が訝って首を傾げても、彼の相棒はただ笑うのみで語らなかった。













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2011.05.01(再掲)


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