青に赤に白に黒に。
いくつもの光を抱えて揺れる揺り篭のなかには、たくさんの命が流れている。



白に銀の紋様を綯いだ小さな飛空挺が、薄くのびた雲の峡間を縫うように飛んでいる。
東ダルマスカの晴天と言えば、群青をといたような深い青空。
なのに、飛空挺のフロントガラスいっぱいに広がる空は薄雲がかかって、こんなに高く飛んでいるというのに時折、重たい濃霧の固まりにぶつかる事すらある。
右翼がその裳裾に触れるか触れないかでけたたましい警戒音が鳴り響いた。自動操縦から舵切り替えたばかりで眉を寄せて操縦桿を握り締めていた少年は、舌打ちして警報を鳴らす探知機を乱暴に止めた。
「また探知機がイカれちまってるぞ!どうなってんだよ!」
機関に内線で怒鳴りこめば『また壊したクポ?信じられないクポ。まだ直して三日も経ってないクポ!今度は何してくれたクポ、また叩いて直そうとか無茶なことやったクポ?この馬鹿!』「俺は何もやってねぇよ!」『言い訳は聞かないクポ〜!直すのにも部品がいるのに、タダじゃないってそこんとこわかってるクポ?馬鹿アホとんま!』「そ、そんなに怒鳴らなくてもいいだろ!」『先に怒鳴ったのはそっちクポ!』…毎度お馴染みのやりとり。
呆れ顔で「いい加減にしてよ2人とも。喧嘩なら船降りてやって頂戴!」と小言を言いつつ、副操縦席に座る少女も些か困惑気味に砂嵐の混じるコンソールパネルを見つめていた。
ヤクトの心配のないはずの空域でも探知機から警報が出る。
グロセアリングにミストを循環させる炉のジェネレータが頻繁に誤作動を起こす。
コンソールパネルや通信機器に磁気嵐が混じる。
船の機関室に篭っている機工士によれば「船の各機関は正常に稼動しているクポ!」だそうで。
このところ飛ぶたびに起こっている原因不明の計器類の異常。
今は飛ぶぶんにはさほど問題ないからいいけれど、日に日に悪化しているとあっては…。
「せっかく久しぶりの航海なんだから、そんなムッとした顔しないでよヴァン」
大事にしてる船のことだから、心配なのは解かるけど。
一方的にガミガミ言い負かされて仏頂面で内線を切った少年は、やっと航海の目的を思い出したらしい。「悪い」と肩を竦めて緩やかに高度を落とす船体を傾けた。
心躍るような冒険がそこかしこに転がってくれているはずもなく、やっと船を手に入れたばかりの新米空賊二人の目下の仕事はひたすらひたすらおたからハント、クランのハンターとしての賞金稼ぎ。日がな一日モブモンスターの尻を「おたからー!」と叫んで追い掛け回すのも珍しくなかった。
カイツやフィロにそんな姿を見られた日には「ダサい。兄ちゃん達、ダサいよ」と言われてしまっても仕方ないくらい。
ダサいなんて、そんなことはよく解かってる。
世の中、きらきらしたものばかりでないことくらい、とうに承知の上で空賊稼業に足を踏み入れた二人だったが、それでもちょっとは期待していた。
何かって、何かを。
これまでと違う、何かが始まるんだと。
けれど、今も昨日のことのように鮮明に思い出される旅を経てみれば、どれもこれもが味気なく感じて。
ヴァンもパンネロも元来、根っこは真面目な性質だったこともあり、空を飛ぶより地べたを這いずっている時間の方が多い泥に塗れた下積み生活にも堪えていた。
少々、煤けた気持ちになるのは止められなかったが。
「…………………すまない。突然、こんな形で呼びつけて」
兜を取って現れた懐かしい顔は、たっぷり過ぎるほど溜めた後で眉をハの字にしたまま謝った。
そんな調子で船の通信機にも連絡があったものだから、パンネロは「私のパンツはミッドナイトブルーです。もう電信してこないでね」と危うくその手のお断りを言ってしまうところだった。

舞い込んだ仕事はささやかだが空賊らしく「お宝探し」

「これと対になっている翼を捜して来て欲しい。
いや、果たしてそこにあるのかどうかは確証は無いのだが、おそらくあると思う。もうここしか考えられん。探しに行きたいのはやまやまなのだが、私が行くわけにはいかないのでな」
首から外した鎖の先に鳥を模した飾り。装飾品としての価値は薄そうだが、古めかしい繊細な銀細工にところどころ入った皹には年代が感じられた。宝飾としてどうかと言うよりも、伝えられていくことに価値が見出される類のものなのだろう。
何で行けないのか、とは二人とも聞かなかった。
そこが男にとってどんな場所であるか、知らないわけではなかったから。
自分たちの後ろにもそれがあるように。この男にも踏んできた、もう帰ることは許されない、轍がある。
誰が何を許すのか、この男がどう思っているのかは知らないが。
パンネロと話す穏やかな男の眼差しを見ていると、考える前に口をついて言葉が出ていた。
「あんたがあんたを許すしかないんだよ。…もう居ないんだからさ」
そう、もう居ない。
憎い仇も、大切な兄弟も。
男は昔から何も言わず、時折歩いてきた轍を振り返るだけで、今も曲がることなく真っ直ぐに歩いて行く。以前はそれに酷くイライラさせられたり、寂しかったりしたものだ。
雁字搦めに囚われているだとか、わざと不自由を買ってでているみたいだとか、そんな運命全部を受け止めて真正面から立ち向かう生き方はしんどいだけだろとか。
知れば知るほど「もう将軍なんて辞めちまえよ」と腕を引っ張りたくなった。
心のどこかで、男が今も昔も立場は変わってもレックスの憧れた将軍でいてくれることに、ずっと安堵していた俺だけれど。でも。
何かの犠牲になる人はもう見ていたくない。
思ったら黙っていられない性質なので「あんた見てると苦しい。泣きたくなる」と言ってみたことがある。その時も、男は今のように瞠目して。それから伏目がちになる。そして…
「ありがとう」
すまない、なんて重たいこと言わなくなっただけマシか。
今は何となく、この男が自己犠牲の為だけに縛られて痛みに耐える生き方をしている…なんて世を儚んだ見方をしないでもいいとわかってる。
飛ばなくたって自由なんだと。
何からも逃げずに取捨選択せずに、受け入れる受け止める豪胆さがあれば。多少の不自由なんて、苦にはならないんだと。
男は黙って背中で実証してる。
ちょっと縁があったからって知った気になって偉そうに「肩凝んない?辞めてもいんじゃないの?そういう生き方」なんぞと旅の合間に機会さえあれば説教くさい事をぶちかまして、突っかかったり揺さぶったり。当の男はただ笑うばかりで、時折見かねた誰かに「ぴよぴよ煩せぇぞ糞ガキ。お前が嘴突っ込む義理はねぇだろが」と拳骨を喰らったものだった。
2年前の自分は…あれ…今もそんなに変わってないか…穴掘って埋めてやりたい。
いつの間にか男の隣に立ったパンネロが後ろに手を組んでニヤニヤしながらこっちを見ている。
「あ、ありがとう、とかいらないよ。空賊とジャッジ、商売敵同士で仲良しこよしも無いだろとは思うけど。あんたと俺とは…そのー…アー、アレだ、旅の仲間。だろ?」
だから辛気臭い顔するなよ。
切ないじゃん、俺は逢えて嬉しいのにさ。
あんたがダルマスカの為に帝国に居ることは重々、承知してるし…黙っていろいろ気ぃ回して、いつまでも俺達をガキ扱いすんなよな。くすぐったいっつーか、痒いっつーか。
何か言いかけて飲み込み、棒立ちになった男は溜息一つで諸々の感情を押し流す。ずっと硬かった目元を漸く笑ませて、相変わらず鳥の巣のようにくしゃくしゃな少年の頭を掻き撫でた。
「土産話たっぷり持って来てやるから。楽しみに待ってろよ!」
「小父様〜、私達まだ駆け出しなので前金無しの出来高報酬でけっこうですから〜」
報酬の話も聞かずに飛び出していくヴァンと、商魂逞しくきっちり凡その金額まで提示して幼馴染を追いかけていくパンネロ。
飛空艇に乗り込んだ彼らの胸はドキドキと高鳴っていた。
依頼人が知人で帝国の人でジャッジマスターで臨時独裁官ゆくゆくは皇帝の側近で額に刃傷のある渋い小父様で今回の依頼もお宝探しと言うか失せ物探しと言うか要するに面と向かって逢う口実が欲しかっただけだという理由が透かし見える、ということにはサラッと蓋をする。
待ち望んだ航海のチャンスを掴んだ今、糞の役にも立たないプライドなんかペッという気分だ。
もっとこう劇的に、ドラマチックに、とか冒険の序章に煩く文句をつけるのはそれなりに名が通った空賊になってからでいい。
貴賎は問わない、選り好みなんて持っての外。
仕事はピンからキリまでスマイル0G!がモットー。
帝都の空をふわふわ飛んでいく飛空挺を「気をつけて行ってくるんだぞ〜!」と、その小さな影が彼方に消えるまで手を振り続けるジャッジマスターに見送られて。
今に至る。
目指す目的地は東ダルマスカ砂漠を抜けた峡谷地帯の向こう、ネブラ河の支流に位置する草原の中の廃国。今はもう戦禍の爪痕を深く刻んだ廃墟しかない、旧ランディス共和国の王都。
二人は実に半年振りになる久々の航海に繰り出していた。
操縦桿と足の間、強化ガラスの足元に広がる雲の波越しには見渡す限りの草原が広がっている。
ここ周辺一帯が空襲で焼け野原だったのは二十年以上も昔。焦土と化した草原にはやっと緑深き草原が蘇って、以前と変わらない姿を取り戻したかのように見えた。
そこにもうガルテア連邦の時代からあった人々の影は無くても。
「陸路と空路とじゃ大違いね…、私がママと救援物資を運んでた頃はまだ集落がいくつかあったのに今は道すら見当たらないし」
ダルマスカ戦役の前までは裕福な商家の娘だったパンネロは母親に連れられて、何度かこの地を訪れたことがある。
ダルマスカへと流れる最後の難民の一団と共に、ラバナスタへ向かう旅の途中で当時の様子を聞いた時はまだ両親も兄弟も健在で。「戦争」なんて、いくら真剣に考えようとしてもどうしても外の世界の絵空事に思えてものだった。
終戦直後は空が薄茶のスモッグに汚れて見えるほど、火薬と硝煙の匂いが漂う不吉な場所だったと。自分たちを最後に、ここは地図どころか人の記憶からもいつか忘れ去られる都になると。
憎しみも悲しみも擦り切れてしまった、溜息のような告白。
今にして思えば、ナブディスが夜光の砕片の実験場にされたというなら、この地は軍用飛空艇製造の急先鋒である帝国空軍の実地演習場にされたのだろう。
草原の中の小さな都市国家を侵略するのに不必要なほどの艦隊が組まれ空を埋め尽くし、首都どころか領土全域にわたって無差別に火の雨が降り注いだと聞いた。
「結局、国そのものが解体されてバラバラになっちゃって。ダルマスカも隣国の災難ってんで、いろいろ手は尽くしてみたものの今度はこっちが帝国と事を構えなきゃならなくなって…復興どころの騒ぎじゃなくなっちまったんだよな」
言いながらブルオミシェイスで痛ましく身を寄せ合っていた難民の姿を、空に押し潰されるように項垂れるあてどない人々の蹌踉とした歩みを思い出す。
救いを求めて天を仰いだ人々は、再び空から降り注いだ戦火に絶望してしまったのか。
誰一人として空を見上げようとしないことが、ヴァンにはひどく痛々しく思えていた。今は、今のところは、人々が争う兆しは無い。燻ぶっていたり、なかなか消えない火種はあっても、きっと消えると信じている。
「バッシュもさぁ、もうちょっと新しい地図を寄越してくれれば空路の目算もつきやすかったのに」
沈みかけた思索を振り払ってわざと明るい調子で、舵の横に広げた地図に文句をつける。
地図の他にも、いやいやいくらなんでもこんなにはいらないよ、と言うくらい補助アイテムやら食料やら燃料やらひと航海に入用な物をヴァン宛にごっそり送って来たバッシュ。いらん、と言ったところで「そうか…」と悄気られるのは目に見えているので、有り難く貰っといたが…。
船の収納庫には入りきらずに機関室にまで置いてある。
そのせいで機工士の機嫌は斜めに下りまくりで、ヴァンにやたらめったら風当たりが強いといった次第。
「パンネロが道を覚えてなかったら、とてもこの地図だけじゃ辿り着けなかったぜ」
「仕方ないよ。もう世界図のどこにも存在しない場所なんだもの。
この戦火を免れて残った地図の切れ端だって小父様が苦労して手に入れてくれたんじゃない。
本当なら私達がリサーチするとこなのに、ここまでして頂いたんだから感謝しないと」
「うー…改めて言われると子ども扱いされてるみたいで更にムカつく」
口を尖らせて、どうやら本気で面白くないと思っているらしい少年に、少女は呆れた視線を向けた。
「も〜、もっとマシな地図寄越せって言ったかと思ったら、今度は過ぎた施しだってへそ曲げるの?
そんな素直じゃない口はこれですか!」
「い、イテテテ、馬鹿!今、操縦桿握ってんだぞ?」
フン!とそっぽを向いてヴァンから地図をひったくったパンネロは、眼下に広がるうねるネブラ河と手元の地図を照らし合わせた。
「着艦地点はここでいい?もう少し、河よりのとこにアンカー降ろす?」
「ん〜、そうだな。もうちょい下まで行ってみようか」
くるくると廃墟の周りを旋回して、やっと羽根を休める場所を決める。
機関室に「留守番よろしく〜」と声をかけながら、搭乗口を開くと一瞬だけ強く吹き込む風の、草いきれの匂い。もう砂漠の乾きとは程遠い。東ダルマスカの向こうにこんな場所があるだなんて。
靴の裏に踏みしめた下草は湿気を含んで柔らかいのに、さくさく、と硬い小気味いい音がする。
この曇天と、空いっぱいに赤銅色の帯を広げる濃いミストの靄さえ無ければ。踏青して遊ぶには恰好の場所だろうに。
勾配のなだらかな丘陵を野生のチョコボが草を食むのを横目に越えて行けば、やっと城壁らしき建物が見えてきた。間隙に吹き込む寂しい風が土埃を舞わせるだけの静かな佇まいに、時折鋼を擦り合わす耳障りな音と細く伸びる獣の吼え声が聞こえる。
どことなく幻妖の森に似た空気に、それまでの物見遊山な気楽な気分が引き締まる。
「よっし!行くか」
「うん」
朽ちかけた観音開きの城門が開く重々しい音。
長く微睡んでいた時が、ゆっくりと廻り始める音だった。














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2011.05.01(再掲)


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