神よ、
天地をあまねく統べる光の神よ、
悩める私に憐れみを。

『…隷属国の蛮民のためにそこまでするかぁ?正気じゃねえな』
『帝国兵なんてみんな人間の屑だ…ッ』
『見て。…まだ子供じゃない。よくもあんな酷い仕打ちを…』

私の祈りが届くなら、
厳しく私を罰してください。

『もし奴がこの街を襲ったら…。
私は帝国の人間だがこの街が好きなのだ!
皆が看過すると言うのであれば、私は私のやり方でこの街を守るだけだ』

厳しさを和らげた慈悲深い眼差しを、
彼らの上にそそいでください。




ラバナスタは珍しく雨だった。
ギーザの雨季の影響でこの時期はごく短期間ではあるが雨が降るのだ、と最近懇意になった武器屋の店主が言っていた。砂漠の国に降る天の恵み。
始終、灼熱の太陽に炙られる鎧に喘いでいる我々にとっても恵みの雨だ。
錆び止めを施した黒鉄の鎧は雨を弾くが、それでも長く降られていれば中まで水浸しになってしまうのが難といえば難だが。
「悪かったな、お前は武器屋の検閲が役目なのに」
南門外の番役に就く同僚は、砂を含んでザリザリする鎧に舌打ちしながら私の肩を叩いた。
相方が上からの要請で急遽、ナルビナ城塞へと転勤したので代わりが来るまで私に代行を求めてきたのだった。…本来は上を通さねばならない所だが、ヴェイン様が帝都に戻られてからと言うもの何やら物情騒然としている。
「かまわない。…私は一度、武器屋へ行ってくるから。先に宿舎へ戻っていてくれ」
「おいおい、今からか?もう明日でいいだろう…」
こんな天気だと言うのに、と呆れる同僚に断って雨の中を市街地東部へと向かう。
途中、ガシャガシャと聞き慣れた鎧の騒がしい音と罵声を耳にして、そちらへ踵を返した。ダウンタウンの入り口近くで、帝国兵と少年が言い争っている。
身形からして…アルケイディア風に言えば下層階級の貧民の子供だろう、少年は追いかけてきた同僚に狭い塀の上まで逃れて。
「…あ…ッ!!」
濡れた足場に、ぐらり、と体勢を崩す少年。
真下には空の酒瓶ケースが積まれ、あの上に落ちれば大怪我は間逃れない。
とっさに、何かを考える暇もなく、身体が動いた。

ガシャーンッ

両腕にズシリとかかる重さに踏鞴を踏んで、ケースの山に盛大に倒れてしまった。
腕の中の少年に怪我が無いのを確認して、激しく打ちつけた兜の中で脳震盪を起す頭を振る。…ああ、鎧に傷がついていなければいいが。たかが瓶ケースに傷つけられるなど、物笑いの種にもならん。
慌ててこちらへ走ってくる同僚を眼の端に収める。
「行きなさい…」
絶体絶命の窮地に緊張していた少年が、ひゅっ、と息を飲んだのがわかった。
その手に握られている財布に、この子の罪状を知る。
取り上げて代わりの物を握らせた。
「私は動けない。君は逃げる。それで全て解決だ」
「何で…」
「行きなさい」
逡巡したのは一瞬だった。
追われる狐のように素早く身を翻す少年の痩せた背中を見送る。
あっと言う間に小さくなる姿を見て、同僚が口惜しそうに地面を蹴った。彼に取り戻した物を渡そうと立とうとしたが…。何としたことか足に力は入らず、おまけに眩暈までする。
同僚では無い誰かの手に助け起された。
「…ーーール…ッ!シャルアール…ッ」
変声する間際の少年の声が、確かに私の名を呼んだ気がしたが。
水の中から陸を見上げているように、ぼんやりとして濁っている。視界が狭いのはバイザーのせいだろうか…いや…、もう、何も…見えない。耳ももう…。
あまりに切羽詰った声を出すから、大丈夫だ、と言ってやりたかったのだが…。
がくん、と脱力する身体と共に私の意識もぷっつりと途切れてしまった。




どこかで祈りの言葉が聞こえる。
神よ、天地をあまねく統べる光の神よ、…と。
この祈りだけはどこの国でも変わらない。
アルケイディアもロザリアもダルマスカも…今は亡き国々も。
誰もが口にし、誰もが希う。神の教えには人も国も関係ない。
語り継がれる古謡と同じ。
漆黒の闇夜と満天の星空を司る女神ラートリー。
暁の女神ウシャス。
二人の女神が擦れ違う瞬間…終焉と誕生が同時にはじまる。祝福された曙の空が、人に大地に新たな一日を贈るのだ。等しく恵みを与える女神に、そして恩恵を許した光の神に。
額ずき祈りを奉げる生命には何の境もない。
善悪はない、優劣はない、特別なものは何もない、今この時…祈りを奉げる人々の中には。
軍人では無く教師か牧師にでもなれ、と私に言ったのは誰だったか。
だが、私は剣を取り鎧を纏う道を選んだ。
世界に対して無関心で居られるほど賢明では無く、気鋭にそして果敢に挑みかかるほど勇邁ではない私は何処まで行っても半端者だが…それでも救えるものがあると信じる。
多くの後悔、多くの苦悩、生き甲斐を感じるより骨折り損の草臥れ儲けが多いけれど。
選んだ道を捨てようとは思わなかった。
ぼんやりと回顧する私の額に、ひやり、と冷たい布が触れた。
「おはよう。…大丈夫か?」
「君は……」
驚いた。まさか、彼が枕元に居るとは。
しばらく顔を会わせていなかった友人は、なぜか私の顔をじろじろと眺めている。
その視線で、今の自分が鎧を着ていないことを知った。…別に隠し立てするような疚しいことは無いので、顔を見られたところで構いはしないのだが。
こうもしげしげと観察されれば居心地が悪い。
「すまないな、世話になったようだ」
見渡せばここは一度、上役の視察で伴をした施療院の病室だ。
祈りに聞こえていたのは中庭で遊ぶ子供の、遊び唄のひとつだったらしい。
ろくな手入れもされていない芝生の、狭い庭には所狭しと洗濯物が干されていて、その合間を縫うように隠れんぼして遊んでいる。皆、裸足か継ぎ接ぎの履き古したサンダルを履いていた。
…おそらく殆どがダウンタウンの子供達なのだろう。
「いいって…。あ、コレ、あんたに返しといてだってさ」
彼の手の中には、あの子供へ渡したはずの……私の財布があった。
気まずい思いで受け取る。下町育ちの彼が私の…この不道徳を責めるとは思えないが、不快な思いをさせたかもしれない。
ほどこしなど誰も好んで受けたいものではないはずだ。
まして敵国の人間になど。
あの子も彼にこれを託したと言う事は、きっと私の独善な行為に怒ったに違いない。
「今度は店に来いよ、だって。ムスル・バザーの東側」
それから、有難うゴメンなさい、ってさ。
屈託無い笑顔に救われて、私はようやく無意識に詰めていた息を吐いた。
そして、彼が何処か落ち着かなさそうに不安そうな面持ちのをしているのに気付く。少しだけ躊躇した後、そっと頭を撫でてみた。
「ヴァン…?どうした?」
そんな、小さいな子供のような顔をして。
いつもの快活さが陰を潜めているさまは、見ているこっちがハラハラしてしまう。
黙り込んだ彼はベッド脇に腰掛けて仰臥した私の肩に額を押し当てる。その身体が微かに震えていて瞠目した。
「ここ、俺、嫌いなんだ。だから、早く、よくなれよな…」
「ヴァン…」
彼は多くを語らない。
旅先での出来事を面白ろ可笑しく語ってはくれる。だが、彼自身のことについては何も知らない私だった。それでいいと思っていた。
…私の黒鉄の鎧のように、彼の2年の月日のように、私と彼を阻むものは多い。
それでも、隣に立てば笑い合える。それでいい、それだけでいい。
しかし、今この時、私は心から彼を知りたいと願う。
私よりずっと年下の少年の胸を苛む何かが少しでも安らぐように。ただできることは、黙って彼の背中を慰撫することだけだった。




神よ、
天地をあまねく統べる光の神よ、
悩める私に憐れみを。

私の祈りが届くなら、
厳しく私を罰してください。

厳しさを和らげた慈悲深い眼差しを、
彼らの上にそそいでください。

もう哀しむことがないように、
涙することがないように、
神々の祝福がこの少年の上にありますように。













end
2011.05.01(再掲)


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