「なあ、あの廃材置き場のデカい屑鉄、何とかならねぇかな」
「あー…、荷降ろしの邪魔だよなぁ。けどまあ、あれはゴミじゃないみたいだし」
仕事を終えた労働者が愚痴を漏らしながら、店の中に入っていく。
もともと貯蔵庫だった所を少しばかり手入れして、体裁を整えた店内はこじんまりとしていた。上の砂海亭には敵わないが、小さくとも落ち着いた雰囲気のあるこの店を男は密かに気に入っていた。
大衆食堂も兼ねた居酒屋の砂海亭とは違って、ここは昼と夜とでまるで様相を違える店。
明るいうちはカフェ、日が暮れるとバーになる。…明けても暮れても太陽など拝めない地下のこと、時計を持たない者達にはこの店の看板の差し替えが何となく時刻を見定める目処になっている。
扉の開閉を知らせる涼やかな鐘の音は、喧騒に紛れてしまいそうに小さな音だったが、マスターにはそれで十分だったらしい。
「おう。何だ、久しぶりじゃねぇか。こんな時間から」
いつもなら、昼間のカフェにガキを山ほど連れて遊びに来るくせに。
首をかしげのに男が何かを言う前に、マスターは何か思い至ったのか。気まずそうに男から目を逸らし、溜息を吐いた。白いものの混じり始めた髪を掻きあげ、そのまま首の後ろを叩く。
「……すまん。忘れていたわけじゃ無かったんだが」
「いいさ。わかってる。…それに、あんたは少しくらい忘れた方がいい」
「サマル…」
「ラムを一杯、頼む」
サマルはまだ盛りの賑わいには程遠い店内をぐるり、と見渡して開いているカウンター側のスツールに腰を下ろした。
グラスにとくとくと注がれた酒が氷をゆるゆると溶かす。
そのさまを茫洋と眺めながら、無意識に胸もとの隠しの上に手をやっていたのに気がついて苦笑した。今日と言う日に、あれを手放すことが出来たのは天啓だったのかもしれない。
若い翼に託せ、という。
奴の想いが私と少年を結び合わせたのかもしれない。
昼間「掲示板の張り紙を見て来た」と言ったヴァンは、少し前までフィロ達と変わらない幼い目で空に憧れる男の子だった。
『どんな時も、志を高く持つようにするんだ。帝国の反抗するだけが志じゃない。
言い換えれば、夢を持ち続けなさいってことだよ』
と、答えを急ぐ彼らから挫折を遠ざけ、彼らを漠然とした夢に押し止めるために。…正直に言えば怖かったのかもしれない。
踏み出した先を知っている、空にあるものが必ずしも彼らの憧れる自由では無いと知っている、生半な覚悟では生きていける世界では無いことを知っている。
戦火に焼かれても曲がらずひねもせず、奇跡のように真っ直ぐに生きている彼らの、まだ柔らかな芽が踏み拉かれるのは見たくなかった。
いつからこんな保守的な人間になったのか、自嘲せざるを得ないが。
エゴだ。これは私のエゴ。
わかっていても、真綿で包んであやすような言葉をかけずにはおられなかった。
いつか飛空艇を手に入れて空賊になるのだ、と語っていたヴァンにも。
…ダウンタウンにいる子供は戦災孤児が多く、彼は年下の子供達の兄貴分的な存在だった。面倒見がいい、というよりはガキ大将気質で、よく施療院や孤児院にも顔を出していた。
思えば彼と初めて会ったのも施療院だった気がする。
ダウンタウンで見る彼とは少し様子が違って、どこか翳りを感じさせる強張った表情で「見舞いに」とか細く答えた。それに自分は「弔いに」とだけ、答えたのを覚えている。
施療院の裏手は墓地になっていて、そこに静かに眠る友人に献花を捧げるために。
ぐっ、と一気に呷ったラム酒に喉を焼かれ、噎せる寸前の痛みを伴う爽快感に目の奥が熱くなる。
明日は奴の命日だ。




もともとここは小さな孤児院だった。
ランディス共和国が国体ごと解体され、大量の難民はブルオミシェイスだけでなくこちらへも流れてきて。そうこうしているうちに同盟国ナブラディアの首都崩落…、行くあての無い戦災者や難民への施設の開放に伴い改築がなされた。
度重なる戦乱の為に傾いた国庫はあてにならない。ここを建設したのは国では無く、町の名士を筆頭とするバザーの経営者や道具屋・武器屋・防具屋などの商店の店主達…市民の中から募られた有志者たちだった。
まだその頃は、アルケイディア帝国の内政干渉も始まったばかりで緩く。
侵略国に略取される前に、と死に物狂いの突貫工事で今の施療院がある。
案の定、侵攻してきたアルケイディア帝国軍はダルマスカの施政を奪いラバナスタの自治権を帝国側に譲渡させた後、税金をつり上げて街の有力貴族や名のある豪商から資財の搾取を始め…結果的にラバナスタ市民の殆どが、地下街・ダウンタウンへの移住を余儀なくされた。
前々から孤児達の面倒を見て来た商会長のミゲロの呼びかけと、いち早く不穏を察知して対応策を取ることを促したダランの助言がなければ、ラバナスタは今頃は戦災者と難民が溢れて街全体がスラム化していただろう。
小高い丘に建つ建物は平屋で、身体の不自由な者への配慮から階段は殆ど無い。緩やかなスロープと背の低い植木が白壁に沿うようにしてあり。敷地だけは広々としていて、芝生の中庭を四角く囲う形に、手前の方に病棟を奥に寄宿舎を設えてあった。
片手に下げたバケツの中には、珍しくバザーで手に入れることのできたガルバナを一輪。
茎の切り口は水をたっぷり吸った脱脂綿に包まれて上から布を巻かれている。
下の切り口じゃなくて茎の部分を摘んでね、と包装してくれた顔見知りの少女の顔を思い出して苦笑する。あまり塞いだ気分がしていたわけでは無かったが、子供というのはこういう時とても機微を察するのに敏感だ。
手押し車に花を乗せて売っていた少女は、男がその花を贈るのではなく捧げるために買ったのだと、何となく気づいていたようで。元気を出して、と言ってくれた。
いつもなら奥まで行って孤児院時代から世話になっている人に挨拶をするところだが、毎年のように今日だけは何も言わずに真っ直ぐに裏手の墓地へと回る。
「おお、お前さんも弔いか?」
意外な人の声を聞いて、驚いて花から目を上げると。
ダウンタウンの南部で猫と暮らす老人は、燦燦と照りつける太陽を眩しそうに仰いで「やはり、何は無くとも…お天道様の光はいいもんだな」と暢気に笑っている。
お前さんも、と言う事は…ダラン爺もまた誰かの弔いに訪れたのだろうか。
軽く会釈を返して、老人の隣の砂埃に塗れた墓石にバケツに汲み上げた水をかける。
乾いて枯渇した砂利に吸い込まれる水に、足元がほんのすこしだけヒヤリとした気がした。けれど、それも強い日差しに熱せられた焼け石を潤わせるには足りない。
たちまちのうちに乾いて、じわじわと茹だる砂利の熱がサンダルの裏から足を焼いた。
真っ白だった布が黒ずむまで、何度か外付けされた貯水槽と墓地とを往復して、墓石を拭き水をかける。砂埃も生した苔も綺麗に落とし、拭き上げてしまうまで。
常ならば無口な性質ではないはずのサマルは無言だった。
老人も話しに接ぎ穂はつけずに、すぐ傍の大樹の根元に腰を下ろす。
強い日差しは濃い影を生む。
陰に入るだけで、2〜3度ほども涼やかに思えるのだから不思議だ。
木漏れ日のちらちらと踊る陰を眺めながら、ダランは黙々と作業している男の汗の珠を浮かせたうなじから、汗染みを滲ませる丸まった背にかけてを感慨深く見守っていた。
いつでもどこでも、どんな局面でも。
自分の目は常に誰かの背中を見守っていた。時に引きとめ、後を押し、折れてくずおれそうな肩を宥め、叱咤して、導くことも、諭すことも、……どうしようもなく見送るしかでき無かった時もあった。
目の前で跪く男は、雛の頃から知っている。
やがて羽ばたき、見上げるだけの狭い空では我慢できずに、片翼の友と共に大空に翔け上がったことも。
さて…、わしは何を言うべくして、今ここでこの男と出逢うたかの…?
癒えない傷を抱えて、それでも弱音ひとつ吐かずに…吐けずに空を見上げ続ける彼に、言うべき言葉はあるか。あるとするなら、何と諭すべきか。
どのくらい経っただろうか、ふ、としゃがみこんだ男の肩が落ち、すっくと立ち上がる。
跪き許しを請うように丸められていた背中は真っ直ぐに伸びて、見違えるように綺麗になった墓石を見下ろしている。
「…こんな風に、汚くなるまで放置しないで、定期的に来ればいいと思いますか」
些かの照れと自嘲と…、何かを言い澱むような躊躇い。
問いかけているようで、その実、答えは求めていない。淡々とした物言いに、老人はやはり何も答えなかった。さらさら、とまた?ぐには青い小さな実を結んだ木の枝葉が風に揺らぎ。
撓むごとに、男の足元まで手を伸ばした陰がゆらりゆらりとそよいでいる。
「若者よ、好機というものはな…熟考することによってしばしば消滅する」
「………。」
「いつからそんなに尻が重うなったんかのぉー…、昔は空を切り取る勢いでブイブイ言わせとったんだろうが」
「ブ…。ぶいぶいって…、そんな、それほどじゃありませんて」
「少なくとも、今より身体は軽かったろうが、え?」
杖でペシペシと脛を叩かれからかわれて、肺が空っぽになるくらい大きな溜息を吐く。
振り返った先で手招きをされ、サマルはしぶしぶ老人の隣に腰を下ろした。
日に当たりすぎて火照った肌に、日陰の柔らかい風が心地いい。
若い頃を知られている、というのは急所を握られているような何とも居心地の悪い気分と…同時に妙な面映さがあって。けれど、その感覚を自分が嫌いでは無いことを知っている。
昨日の酒場で、毎年の如く何かを言うべきでそれなのにやはり言葉が見つからず。
自分は…そしてきっと奴も、こうして昔を知る人がいてくれることを幸いと思っているのだから、だからあんたももう苦しむだけでなく懐かしんではくれないか。
そう言いたかったのに、その一言さえも伝えることができなかった。
膝の上で硬く握り締めた拳を開き、掌を見る。知らず知らず、強張っていた手首から力を抜いた。
重い。…確かに、重い。
まだ空から離れて久しい、けれどけっして遠くはないはずなのに…奴と一緒につるんでいたのがまるで何年も昔のことのよう。いつの間にかこんなにも重くなってしまった…俺の身体と心。
そう言えば、いつから『私』なんて体裁を取り繕う術を身につけたのかな。
これが、挫折を知って大人になる、ってことなのか。あの頃の俺達は、本当に直情的で滅茶苦茶で、ガキだったもんなぁ。だから出来たことも、得られた事も、たくさんあったけれど。
喪ったものもある。
砂に汚れてくすんでいた白い墓石は、強い日差しの下で輝き名前の刻まれた文字を濃い影で隠してしまっている。そこに刻まれた文字をなぞり、何度と無く膝を折って歯を食い縛った。やがて、その激情もなりを潜め、今はただ静かに面影を思い描きながら眺めるのみ。
しかし、サマルは知っていた。
何よりも誰よりも自分こそが、奴を懐かしい記憶にしてしまうことに呵責を覚えていることに。
昔を知っていてくれる人がいることを有り難いと思いながら、だが自分だけは救われてはいけないと…忘れてしまってはいけない、時に任せて暗褐色にくすむ記憶にしてはいけないと。
近しい他人の痛みをわかったようなふうをして「あんたは少しくらい忘れた方がいい」などと。お為ごかしのご高説。まったく、自分の口ほど信用ならないものは無い。
年に一度しか弔いに来ないのは、来られないのは。今もまだ過去から目を逸らすだけで精一杯で、喪った片翼の名前を唇に乗せることすらできないほど苦しいから。
「引き摺っておるようだな」
「………。」
「ヴァンに会ったか?」
「…話が飛びますね。彼が、何です?」
「会ってみろ。ちぃとは、かるくなるかもしれんぞ」
話は終わった、とばかりに立ち上がった老人は男が引き止めるのも聞かずに飄々と「わしゃ、墓参りに来た。お前さんには用なんぞ、端から無いわい」とのたまって行ってしまった。
勝手な、一体何がしたかったんだ…あの爺さん。
小さくなる老人の背中を呆然と見送り、おそらく説教を喰らうだろうと覚悟していたのに…あっさりと引き上げられて、何だか肩透かしを食った気分だった。
最後に意味深なことを言い捨てて行くし…。
「ヴァン、か…」
奴が遺して行った、託して逝ったものを譲り渡した少年。
翼をたたみ地に足を踏みしめて、空を抱くのではなく見上げるようになってから。ずっと、この胸の隠しに重く硬く存在していた欠片は、重い重いと思っていたのに失ってみるとあっけないほどで。
渡してしまった時、何かから解放されたようなホッとした安堵を感じた。
重く胸に沈んだものは僅かばかりの寂寥を残して解けて行った。
ダランの言葉につられるように、少年の勝気で…いつの間にか幼さが抜けてしまった眼差しを思い起こしていたサマルは首を振って思考を打ち払った。
感傷的な思惟に囚われて結論を出すのは嫌いだ。昔から、エモーショナルに動いて良い結果が出た験しがない。
立ち上がりバケツを拾い上げ、墓地に背を向ける。
施療院から出てきた初老を過ぎたくらいの孤児院の教師が懐かしい元教え子を見止めて話しかけようとしたが、息を呑んで思い止まった。気づかずに通り過ぎて行く男を呼び止めようとした若いスタッフを手で制する。
「いいんですか、先生?」
「ああ。…いやはや何と言うか、火のついたような目だと思わんか?」
「……何です先生、嬉しそうな顔しちゃって。サマルがどうかしたんですか…?彼、ちょっといつもと雰囲気が…こう…、何だか恐かったですけど」
「若いというのはいいもんだなぁ」
「はあ?ちょ、待っ…先生!一人だけ納得して…ずるいですよ!!」
後ろでそんな会話が行われているとは知りもせず、男は施療院を後にした。





骨董品と言ってもいいくらいの、古いくすんだ金属の欠片。
貰った時にはさほど気にも留めていなかったけれど、くれた男があまりにも大事そうにして優しい眼で歪な欠片を撫でていたから。そんなに大事なものを、貰っちゃっていいのかなぁ、と気がかりだった。
俺にはただのくすんだ欠片に見えても、サマルにとっては大事なものだったのかもしれないのに。そういうの、わかるから。俺もだから。
そっと胸元の、だいぶ留め金の緩くなった廉価なアクセサリーに手をやる。
少年の面差しが翳ったのは一瞬のこと。
ぎゅっと欠片を握り締めると、おそらくフィロ達と一緒に居るだろう男の元へと走り出した。ヴァンの走りっぷりは上でも下でも知らない者はいないほど、韋駄天も裸足で逃げ出す俊足、というやつだ。
今日は幸い安息日、多少下で長居をしたところでアーシェの往復ビンタもバルフレアの拳骨も降ってこない……はず。歩いて行っても良かったけれど、やっぱり走った。塞いだ気分がした時は走ったほうがいい、そんな気がする。
途中、何人かの知り合いにぶつかりそうになって「気をつけなさいよ、ヴァン!」「まだ忙しくしてんのか!今度ゆっくり話聞かせろよー!」と言うのに生返事を返し、ダウンタウン南部の広場へ向かう。
目当ての人物はすぐに見つかった。
今日もまた広場で遊ぶ子供の相手をしながら、時折、広場を擁する天窓を見上げている。
いつもと何ら変わりない風景であったのに、どうしてかサマルだけがどこか様子が違うような気がして。ヴァンは首を傾げつつ、何となく足音を殺して近寄った。
「…じゃあ、進行方向から接近した追っ手を掻い潜るにはどうしたらいい?」
なぞなぞでも問うような気軽さでサマルが言えば、ハイ!ハイ!!ハーイ!、と元気良く子供達が手を上げる。一番先に挙手した男の子が自信満々に答えた。
「雲!雲の波に紛れるんだ!」
「それで船影は消せるよね!……でも…、その場合ミストが問題かも。
ヤクトに近い空域は雲だと思って突っ込んでみたら、ヤクトの上空から浮遊して来たミストのカタマリでした…とか。そういうの、あるんでしょう?」
「馬鹿だなぁ。そういうのは探知機ですぐわかるに決まってるよ」
慎重な意見を出した女の子に対して、横槍を入れられた男の子がこ馬鹿にした顔をする。
昔は「船乗りの勘」という甚だあてにならないものでヤクト近郊の空域を飛んでいた命知らずな空賊たちだったが、今はどの船にも最低限ミスト反応を察知できる探知機と解析を積んでいる。
そうでなければ造船所から船籍登録済みのどんな規格の飛空艇であっても、就航許可は下りないことになっているのだ。得意げに知識をひけらかす男の子に、ムッとしてつっかかる女の子。
「だから、あたしは『逃げてる時』にそういうのを確認する暇が無かったらヤバイじゃんって言ってるの!…雲以外にかくれんぼできる所って無いのかな…」
うーん、と二人して頭を捻った子供達の肩を、サマルが苦笑して叩いた。
小さいなら小さいなりに一生懸命、飛空艇の知識を吸収しようとする彼らがいじらしくて、ついつい難しい内容まで突っ込んで話してしまった。
答えを教えて、とせがまれるまえに答えようとしたが、それは後ろからかけられた声に阻まれる。
「船影隠匿装置を使えばいい。
光学迷彩…ステルスシールドは巡航体勢か停船中でなきゃ出力の問題で使えないけど。船影隠匿装置なら、たとえ最高速度でかっ飛ばしてても使用可能。だけど、ステルスより精度は落ちるから完全には隠し切れない」
「…だから、形勢を立て直す又は逃亡から迎撃に転向する際の場繋ぎに使われる。
よく知っていたね。君は机上の知識だけでなく、なかなかに空を知っているようだ……ヴァン」
いつの間にか隣に立っていた少年は「ヴァン兄!」「お帰り!」と騒ぐ子供の頭をぽんぽんと撫でて肩を竦めた。
「俺が空を知ってるわけじゃ無いよ。
ただ、バル……っと、あー…、えーと。知り合いの船乗りが、さ。
よくやるんだ。飛んでる最中、商売敵とかに因縁つけられたりした時に船影隠匿装置を起動した状態のまま、こう、ひゅぅぅー…って飛んでたかと思ったら、急に速度を落としてクルンッ!…で、追っ手のケツに向けてズガガガガーーーッ!!」
傍で聞いていた子供達は何がなにやらサッパリで、首を傾げていた。
けれど、サマルにはその光景を鮮明に思い描くことができる。実際、そうした「ひねり込み」は荒っぽい空賊たちの常套手段で、自分もここは負けられないという時分にはやったことがある。
ただし、非常に高度な操船技術が要求される技なので、生半な技倆ではやれない。
…ヴァンに同行している、いや、ヴァンが同道している船乗りはかなりの手練らしい。
それから熱心に話し込み始めた二人は、飛空艇の構造や…果ては今時の機体のここが良いどこが気に喰わないまで。余人が口を挟めないほどコアな会話を繰り広げ、とうに話しに飽きてしまった子供達がさっさと他へと遊びに行ってしまったのに気がついたのは、ずいぶん時間が経った後のことだった。
「ごめん。邪魔しちゃったみたいで…」
居なくなってしまった子供達に気がついたヴァンは、肩を縮こまらせてうな垂れる。
そういうつもりじゃ無かったのに…、あまりにも楽しそうな話題で盛り上がっていたものだから、ついつい。…だって、バルフレアが自分のことでいっぱいいっぱいで、最近アーシェと眉間に大渓谷を刻みながら辛気臭い顔つき合わせてウーウー唸ってる(ように見える)から…。全然俺と話してくれないから。つまんないんだもん。
久しぶりに飛空艇の話題が耳に飛び込んできて、目の前に人参をぶら下げられたヴィエラの如く爆走してしまった。
しょんぼりしている少年の落ち込みっぷりにサマルの方がうろたえた。
そんな、 可愛い …ゲフンッ!痛ましい顔をしなくても。
「いや、私こそすまない。君はあの子らに会いたくてここに下りてきたんだろうに…」
「あ、ううん、違う。俺は今日はサマルに会いに来たんだ」
「私に…?」
灰色がかったヘイゼルの瞳が見張られる。
そうしていると穏やかに微笑んでいるときよりも、幼く見えるから不思議だ。
ごそごそとズボンの隠しを探ったヴァンは、少し前にモブ討伐のオマケとしてサマルから渡されたくすんだ欠片を差し出した。
欠片を包んだ薄ピンクのハンカチは少年のものでは無いだろう、いつも一緒にいる幼馴染のお下げの少女を思い出したサマルだった。
「これ、大事なものなんだろ?あの時は何も考えないで貰っちゃったけど…」
何か気になってさ、返しに来たんだ。きっと、これはあんたがもってた方がいいと思うんだ。
ハンカチの上にころんと乗せられている欠片と少年の顔を交互に見比べたサマルは、不意に墓参に訪れた際に言われた「会ってみろ」というダラン爺の言葉を思い出した。
かの老翁が、ちぃとは軽くなるかもしれんぞ、と言っていたことも。
「君は今も、空に憧れているか?」
唐突に関係の無い問いかけをされて、ヴァンは棒を飲んだ表情になった。
これは何かのひっかけなのかな、と思って向かい側に座る男を伺ってみたが。その顔は冗談や言葉遊びを持ちかけているようには見えず。それどころか、いつもの優しげな微笑は影を潜め、引き結ばれた一文字の唇や眇められた目線の嶮しさは…別人のように精悍。
「空賊になりたい、と今でもそう思っているかい?」
ヴァンは今更、サマルの顔立ちがそれほど柔和なわけでは無く、むしろ真顔になった今の眼差しは鞘に収められた刀のような…剣呑さを感じる。
隙を見せれば、さらり、と音も無く斬られてしまいそうな。
けど、こっちのが、俺は好きだな…。
「思ってるよ。前より、ずっと、想っているよ…空が欲しいって」
「………そう、か」
「うん」
真っ直ぐに見合わせた視線から、曇りの無い曙陽のブルーグレイに何を見たのか。
サマルは、ふ、と小さく溜息を吐いてほんの少し笑った。自嘲だった。
やはり、ヴァンに欠片を託したのは間違いではなかった。…この子は、いや、彼はいつの間にか雛では無くなり、じきに両翼を広げて空へと羽ばたく者の眼差しを持つようになった。
しばらく、互いに黙ったままで向かい合わせに胡坐をかいていた二人。
何かまた知らないうちに失言しちゃったかなぁ…、と気が気でないヴァンが痺れを切らして何かを言おうとしたとき。向かいに座る元空賊は少年の頭を撫でようとし、思い止まって、プラチナゴールドではなくまだ丸みを残す肩に手を重ねた。
「空賊がスマートで格好いいってのはイメージだよ。
実際はそんなに甘いものじゃない。命の危険にさらされて、安らぐ暇もない。
…確かに自由かもしれない。
けれど、それは全ての責任を自分で負って、初めて得られるものなんだ。
本当の自由とは何か、よく考えてみるといい。
今の苦しみから逃れることが、自由になるってことではないよ。決してね」
可燃性直情気質なヴァンの性格からして、こんなふうに言い諭されるのは我慢ならないだろうと思っていた。すぐに反論されるか、悪くすれば傷を抉られた痛みに「あんたに何がわかるんだ!」と罵声が飛んでくるだろう。
覚悟していたが、それはサマルの杞憂に終わった。
静かにサマルの言葉を聴いたヴァンは、肩に置かれた手を振り払おうとはせず。
2、3度瞬きをした後に、何故か照れたようなはにかんだ笑みを浮かべた。
そんな笑顔を向けられたサマルの方が瞠目してしまう。
「嬉しーなぁー…、初めてだ」
「何がだい?」
「あんた、初めて俺を一人前に扱ってくれたじゃん」
今まではフィロ達に見せるような笑顔で、優しくやんわり危なくないほうに誘導するだけだったのにさ。
あっけらかんと図星を指したヴァンは、グッと言葉に詰まって居た堪れなげに視線を彷徨わせるサマルを見て「いひひ」とからかい混じりに笑った。
上手に取り繕っていたつもりが見抜かれていた大人の打算、ヴァンはそれに対して気を悪くしたふうでもなく「認めさせてやったぜ!って感じだ」とはしゃいでいる。…器が大きいというか、豪放磊落と言うか…まったくこの少年には驚かされる。
「…でも、きっと、今でなかったら。今の俺じゃなかったら、多分、あんたをブン殴ってたと思うよ」
追われるように、逃れるように、空を見上げていた頃の自分なら。
こんなふうにサマルの言葉を受け止めることはできなかった。…まあ、サマルもそんなヴァンを相手にはしなかったろう。せいぜい傷つくことを惧れながら片意地を張る子供を宥め、優しい言葉をかけるだけだったろう。

空賊になる。

漠然とした夢を無理矢理に形にして、自分に絡みつく全てのしがらみから解き放たれたいと望んでいた。
空に憧れる気持ちは本物で、それなのに逃げるダシにして貶めた。
それに気づかせてくれたのは憧れてやまない空賊の背中。
どんな時も至心を曲げずに真っ直ぐに前を見詰め続ける騎士の眼差し、紕いながらも投げずにめげずにしゃんと背筋を伸ばして歩き続ける王女の歩み。
怯んだり、ちょっと凹みそうになるたびに「ここに居るよ、一緒に居るよ」と手を握り返してくれた幼馴染。
「君は良い旅をしているようだね」
そう言ってヴァンを見つめるサマルは眩しげに目を眇めていた。
望ましい成長を遂げる少年に暖かな気持ちになるのと同時に、胸に湧き上がる熱いものがある。もう忘れて久しいこの衝動を何と言ったらいいのだろう。
ああ、これは、情熱だ。
言葉にするのは恥ずかしいが、そうとしか言いようのない想い。
「良い…のかなぁ。俺にとっては良いのかもしれないけど、他にとっちゃあ洒落にならないくらい酷い旅なんだよ。もう、途中でいつ折れても仕方ないくらい、辛い思いしてる奴もいてさ…」
「だからこその旅の仲間、だ。
君は一人でないから、共に歩く…空を飛ぶ仲間がいるから、今の君になれたんだろう。
ならそれと同じことがきっと、君の大事な仲間達にも言えると思うよ。旅とはそういうものだ。誰かの足しになって、誰かの救いにはならない…そんなことなんか有り得ない。
あまねく皆の救いになっている。或いはそれに気づかない者もいるかもしれない、けれど、確かに旅は私達に何かを齎してくれるものなんだ」
言葉を重ねながら、何かが。
胸に長く巣食っていた重い澱みのようなものが、少しずつ形を崩すのがわかった。
「…ヴァン、今の君は空に何を求めている?」
「ほんとの自由!」
打てば響くように返された言葉。
いたって軽い調子で言われた言葉だったが、そこには深い含蓄が込められていることは、何も詳しい事情を知らなくともサマルには察することが出来た。
「俺、あんたが言った言葉、本当の自由とは何か?ってやつ、いっしょ懸命考えてみる。
実はさ、同じようなことでウジウジ悩んそうな奴がいるんだ。そいつは、自由奔放って言うか…もー、放蕩三昧っていうの?好き勝手やって生きてるんだけどさ…、あ、さっきの船乗りの奴ね。
それで、見た目は自由なんだよ。けど、中身はてんで雁字搦めでさぁー…。
俺より面倒くさい奴なんだよ、煮え切らないって言うか、もうグジャグジャ。
だから、こう、俺が自由のお手本と言いますか…コツってやつを見せてやろうと」
その煮え切らない雁字搦めな空賊が耳にしたら、迷うことなく足元を銃痕だらけにするだろうという発言をしたヴァン。言ってしまった後で、急に首を引っ込めて周りをキョロキョロする。
どうやら、当人に見つかって聞かれるのは怖いらしいその反応に、サマルは呆気に取られ。
次いで盛大に吹き出した。
穏やかな笑顔は見たことがあっても、爆笑するサマルなど見たことも無い周囲の人々がギョッとして二人に注目する。
「ちょ…ッ!そんな大笑いしなくてもいいだろ!?」
「ご…ごめ…、ククッ…あはははははっ!」
箸が転んでも笑えるお年頃に逆戻りしたようなサマルだったが、何とか悶死寸前で大人の体裁を取り戻し「ちょっと…、ま、待ちなさ…い…」と落ち着いた。
が、それもゲホゲホ咳き込んでヴァンに背中を擦られていれば大人の沽券なんぞどこへやら、だ。
「あ!そうだ、忘れるとこだった、これ…」
再びサマルに欠片を差し出した、その手を握り返しハンカチごと少年の胸へと押し返す。
やはり、これは彼にこそ持っていて欲しかった。
…今となっては確かめるべくも無いが、奴は「本物の勇気を持ちあわせた人物に」と言いながら…もしかしたら私にこれを託したかったのかもしれない。
けれど、これを受け取るには私はあまりにも脆く。奴の期待した勇気を持ち合わせてはいなかった。だが、彼になら。ヴァンになら、全幅の信頼をもって欠片を託せる。
今日改めて、そう確信した。
「君に持っていて欲しい。君にこそ、これを持っていて欲しいんだ」
「サマル…でも…」
「この前は、奴ならきっと君に渡すだろうというような婉曲な言い方をしたけど。
本当は俺が君に託したいんだ。…君の翼に託したいんだ。今はまだ飛ぶ術の無い、小鳥かもしれなが、俺は君に懸けたい」
真摯な眼差しに圧されて、ヴァンは頷くと欠片をズボンの隠しへと仕舞った。
そして、また少し照れた笑みで「あんたが『俺』なんて言うの、聞いたの初めてだ。今日はいいことばっかりあるなぁ」と言った。
その素直で何の気負いも無い柔らかい笑顔を見て、正直まいった…、と思うサマル。
これで口説いているつもりなどさらさら無いのだから、彼は本当にいろんな意味でタラシだ。見事に誑されてしまった自分は、さしずめヴァンの侠気に惚れた男第一号というところか。
「んじゃ、また寄ったらここに来るよ!」
「ああ、いつでも。…また空賊談義でもしようじゃないか」
「いいね。楽しみにしてる」
またな〜!と手を振って駆けて行く背中はあっという間に小さくなって。
いつものことながら、彼の気持ちが良いほどの俊足ぷりに感嘆したサマルは、溜息を一つと伸びを一つ。丸く切り取られた狭い天窓を見上げる。心なしか、表情は晴れやかだった。
エモーショナルに、情動にまかせて。
そうやって行動した先に良い結果が出たことはあまり無い、だが今こそ噴き上がった情熱に身を任せてみてもいいのではないだろうか。少なくとも、己の心に蓋をして何かを必死に諦めようと無駄な足掻きをし、燻ぶっているばかりの今よりは。
だって、カッコ悪いよなぁ。
お前もそう思うだろう?
長いこと封印してきた名前を、唇の上だけで呼んで目を閉じる。
サマルは夕暮れ前の広場を後にして、南部の片隅の廃材置き場へと向かった。
大小の鉄屑が堆く積み上げられた一画は、酒場の裏手にある。もともとマスターが所有していた倉庫を壁や屋根を取っ払って造った廃材置き場。
その一番奥に、一際目を惹く大きさの廃材がでんと鎮座していた。長いこと剥がされていないだろうから、ごつごつとした大きな鉄屑を覆うシートは饐えた臭いがして、さぞ酷い有様になっているだろうと思っていたが。
「きれいなものだな…」
「当たり前だ。俺が今まで世話してきたからな」
「……っ!?」
独り言に返答が返ってきてギョッとする。
振り返ると前掛けを外して肩に引っ掛けた酒場のマスターが立っていた。声をかけられたことにも、その内容にも目を見張っているサマルに「鈍ったんじゃねぇか?迂闊に背後を取られるなんてよ」と苦笑して。
それ以上は近付かずに、何かを放って寄越した。
「これは…」
燻銀の鈍い光沢のある鍵束。
もう随分前に捨てたはずの、愛機の鍵だった。
「今時、錠前と鍵なんざどこの中古探してもみあたらねぇよ。どこでもだいたいが認証式だ。」
「言葉に気をつけろよ。パハロアスールは中古じゃない、鉄屑でもない」
「じゃあ、何だ?」
「飛空艇さ。…俺の船だ、昔も今もこれからも」
マスターは肩をすくめ「そうか」とだけ返した。
大きな船体を隠すシートを紐解き、引き剥がすと青色のシートがふわりとほどけて地面に落ちた。
白銀にプルシアンブルーの紋様が栄える、船体の級はそれほど大きくない。中型貨物船よりも少し大きいくらいの、型式はマスターが言ったとおり古い。
相棒と空を飛び回っていた時分にも、まわりから「いい加減、新しい機体に鞍替えしろ」と揶揄されるほどだった。
「ロートル扱いなんて癪に障る」
俺もお前も、まだ翼を折るには早いよな…?
ほったらかしにしていた間、愛機の面倒をこっそり見ていてくれたマスターに対して何か言うべき言葉もとるべき態度もあるのだろうが。サマルにはもう飛空艇しか見えておらず、マスターは憮然としながらも、久々に見る古馴染みの犀利な眼差しを見てホッとする。
「サマル、もう『あんたは少しくらい忘れた方がいい』なんて言ってくれるなよ。
時に任せて過去にするか否かは俺が決める。…俺にとっちゃあまだお前は、お前らは昔じゃねえんだ」
「……すまな……、いや、有難う」
マスターは片手を上げるだけで何も言わず、さっさと踵を返してしまった。
その背中を見送って、鍵を片手にしたまま少し錆付いた搭乗口の下の船腹を撫でる。
長く地上に着陸した態勢のまま、魔石も炉も全て取り払われて完全に停止しているグロセアエンジンを起動させるには、そうとうな時間をかけての整備と調整が必要になるだろう。
やることはたくさんあった。
まずは、この船の識別コードと船籍登録がまだ生きているか確認しなければ。




五年後、王都ラバナスタ____...

ラバナスタがアルケイディア帝国の圧政から解放され自治権を取り戻し、ダルマスカ王家再興とアーシェ・バナルガン・ダルマスカ王女の女王即位が成され…。
占領下にあっては、住人の大多数の居住区であったダウンタウンは大半がもとの地下倉庫に戻された。だが、変わり者というのはどこにでもいるもので。
未だに旧ダウンタウン市街南部には、当時のままの姿でうらぶれた小さな酒場が看板を出していた。
もう、今やダウンタウンへ通じる通用口で、人が行き来するための道は一本しか通じていない。他は全て貨物輸送用のエレベータに改造されてしまっている。
そのたった一つの通用口から、軽快な足取りで降りてきた青年。
くしゃくしゃのプラチナゴールドは、少し切って手入れをすれば見違えるほど見栄えがするだろうに、本人はいたって無頓着のようで。多少の寝癖もそのまんま、気になれば手櫛で掻くだけである。
軽装を好むのも以前と変わらず、知り合いには苦笑されるし相棒以外にたったひとり、唯一無二と思う男にも「少しくらい外面に気を使え」と呆れられるけれど。
これが楽で好きなんだから仕方ない。
青年は片手で木戸を押し開け、久しぶりに入った酒場のこじんまりとした店内を見渡す。まだ早い時間帯だからか、本当なら小さな店がいっぱいになるほど仕事帰りの労働者で溢れかえる店内は閑散としている。
2、3人ずつで談笑している組が一つ二つと…、あとはカウンターの片隅のスツールに一人で腰掛けている男が一人いるだけだった。
「……一杯奢らせてくれないか?」
いきなり背後から問いかけられた男は、からかうような聞き覚えのある声に破顔一笑した。
了解もとらずに勝手に隣のスツールに腰を下ろしてしまう青年を見て「ヴァン、そういうセリフは女の子に言いなさい」と言ってみると「なんで?俺はあんたと飲みたいんだよ」とアッサリ。
今もなお、彼の手当たり次第に無意識に相手を口説く性質は健在らしい。
「あんたの噂、よく聞くよ。
一度は一線から退いたくせに舞い戻ってきた。ロートルのくせになかなかいい腕をした船乗りだって」
「ははは、ロートルは酷いな。…私もこんな噂を聞いた。
小型貨物船くらいの小さな飛空艇で1500トン級の大型船舶を相手に大立ち回りで引けを取らない、小鳥の翼の下に鷲の爪を隠した可愛くて物騒な空賊がいるってね」
「可愛い、は余計だ」
「いいじゃないか。…君に空中戦で負けた連中はそうでも言わなきゃやってられないんだろうよ、こんな若造に手も足も出ませんでした、じゃあ格好がつかないからな。
これでも彼ら流の褒め言葉なんだ…、知ってるかい?彼らは『あの航跡だけは忘れられん。なんであんな妙なむちゃくちゃな飛び方してて堕ちないんだ』って言って感心してるよ」
「褒められた気がしない……。
そんなに変かなぁ、俺は普通に一所懸命飛んでるつもりなんだけどなぁ…」
自分の勘に従って操縦桿を切り回しているだけなのだが。
サマルは本気で自分の天賦の才に気づいていない青年を呆れ半分、諦め半分で眺めていた。
まあ、彼がいつまでも「俺なんかまだまだなんだよなぁ…」と言い続ける、その訳は知っている。彼の師匠が並々ならぬ船乗りだからだ。…弟子に追いつかれまいと尻に火のついた勢いで必死に自分の腕も磨いている…、なんて滑稽な噂も耳にするが。
何にせよ、切磋琢磨する若い空賊二人、なんて何だか可愛いやら微笑ましいやら。実に見ていて気持ちの良いものなので歓迎だ。
もっとも、こちらも負けてはいられない。
先ほどのヴァンのロートル発言には正直カッチーン!とキたので、そんな生意気なガキ共に先を譲るような真似だけはすまい、と笑顔の裏で決意を固める。
「サマル、乾杯しようぜ!」
「何に?」
「うーん、そうだなぁ…。どうしよう」
再会に、と仰々しく言うほど久しぶりに会うわけではない。
この間、バーフォンハイムに寄港した際も偶然白波亭で出会って酒を酌み交わしたばかりだ。
気の利いた文句を探して頭を悩ませる青年の、ゆらゆら揺れるグラスに自分のグラスを近づける。サマルは時が経っても変わらず真っ直ぐな、ヴァンの眼差しに目を眇めて言った。
「若き空賊の航海の無事を祈って」
ありきたりだが、一番大事なことを口にした。
それを聞いてヴァンも何か思いついたのか、嬉しげにグラスを傾ける。
「あんたの折れない翼を讃えて」
カチン、と軽やかに小さな口付けのあと。
二人の船乗りは夜更けまでずっと、楽しげに語らっていた。













end
2011.05.01(再掲)


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