花守り








(おれ)は足が悪かった。
歩くことはできる。走るのは遅かった。
跛足を曳いて皆の後ろを()いて歩くのを、苦に思ったことは無い。ただ敵を屠るのに、引けを取り仲間の背に庇われるのだけは我慢ならなかった。その時ばかりは歯痒く思った。己は、剽悍に動く脚、矢を矧いでけして揺らがず標的を射る腕、どこにでもある平凡で頑健な四肢が欲しいと思った。欲しい欲しいと思っていた。
だが、ただでさえ何も無い海は、己から奪ってゆくばかりだった。
繭が襲われた時、羽化を狙われた時、二度とも己は貧乏くじを引いてしまった。あれさえなければ、と何度も思ったがそのうち既往の不幸を嘆くよりは、今よりマシにと思うようになった。そうでなければ生きていけない。
侮りもせず見捨てもしないが、自分の足で立てないような弱き者を助けることはしない。我らの流儀だ。そこで生まれ、そこで生き、そこで死ぬなら、そう望むなら、誰でも従う掟だ。
掟は絶対無比なのだ。そう思っていた。




おおお、おお、ひょうお、おお、唸りながら、視界いっぱいに拡がる広大な黄白色の波がぐらぐらと揺れ海原を轟かす。風が強い。砂嵐の前はいつもこうなる。甲殻さえも削る鋭い刺の生えた背鰭を掴み、砂の波涛に揉まれて引き千切れる襤褸を掻き寄せる。
胴巻きにした深い紺色の布を剥ぐって、刀の柄を握った。ガチガチと尖った指先が抜き身のままの鎬を擦り、砂粒に揉まれても磨耗しない鋭利な刃を確かめる。
ゆぅん、と弓形に反った剣は偃月刀のようだが刃渡りは細く、とうに綻びて丁度身に纏っている襤褸と同じに成り下がった柄巻からはなかごが見えている。この業物は備前長船と言うらしい。東から来た敵が落として行った。東の何処かは知らない。
追い払った余所者の武器だが、戦利品としては悪くなかった。
硬い甲殻の下のさらに奥、哺食する以外は外気に触れることのない(あぎと)から溜まった砂を吐き出す。同時に飛沫を上げて海面から仰ぎ見た蒼穹は、絶好の狩り日和だった。
10年ぶりに姿を現したエメラルタス、さんざん食い荒らすだけ食い散らしてくれたお陰でずいぶんと仲間の数が減ってしまった。忌々しい天敵の居なくなった畔に降り立ち、"女王の治める砂原"へと向かう仲間と逸れて独りとぼとぼと"砂魚たちの汀"へ向かう。知らない者は「そこへ行くのはもう止めろ」と言い、知っている者は「ほどほどにしておけ」と言う。今日もこれからも、どちらの諫言も聞く気にはなれまい。

『我らは砂の海の王 誇りを穢すものは喩え同胞であっても赦しはしない』

誇りを打擲されれば何も残りはしないのだ。ここは何も無い海だから。それが解かっていただろうに。なぜ逆らったのか、なぜ掟を捨てたのか。己は、裏切りによって友を奪われ、同胞を喪った。
それなのに、なぜ。
己と同じ傷口を持つのが仲間ではなく仇なのか。
「おう、久しぶり」
ギザールの野菜を強請る逸れチョコボに丸ごとひと玉を与えてやっていた童がこちらを振り向く。肩には釣竿、傍らには大きな籐の魚籠びく、背後の砂地に下ろされたアンカーから繋がる空には奴が乗ってきた鉄の翼がある。理に逆らって鳥の真似事をする、その意味を聞いてみたい気もしたが、どうせ我らの言葉はヒュムに通じはしない。会話はいつも一方的に始まって一方的に終わった。全て童のほうからだった。
「今日こそ魚類モンスターじゃなくて本物の砂鯖を釣ってやる!」
それを言うなら砂鰆だ。淡灰青色の鱗に銀白色の腹をした砂魚。むちむちぷりん、とした食感だと噂だが食べたものはいないという。どうして食べたものはいないのに食感が伝えられているのか、甚だあやしい話だがこの大砂海に己の知らない魚が居るかと思うと、たとえそれが噴飯ものの与太話でも釣り人魂が騒ぐと言うもの。
大砂海にその人あり、ウルタン・エンサの太公望と呼ばれるこの己でさえ釣ったことは無い幻の魚だ。この童、妖竿マタムネの使い手だけあって腕はいい方なのだろうが、大砂海はそんじょそこらの塩辛い水溜りとはわけが違うのだ。
毎回毎回、宣言してはモンスターばかり釣り上げている童だった。
うっかりアクティブのエンサリーダーを釣った日には「売られた喧嘩は買うぜ!」と鈍器ですかたんに殴り倒した。どちらかと言うと餌で釣っておいて先制攻撃をかけるお前の方が喧嘩を売った側なんじゃないかと思う。つっこみたいがつっこむ術が無い。
LPをぶん取られて半死半生で逃げたその魚は運悪く仲間の飼っていた乗り物だった。背鰭の折れた悲惨な姿に「あのヒュム小僧、今度見かけたらぶっ殺す!」と息巻いてた同胞を見て、実はその場に居合わせていた事実は黙っていた。乗り物として飼いならしておきながら、放し飼いにする奴も悪い。
すっかり長居を決め込むらしい童は茣蓙を敷いて座り、辺りには無線やら地図やら水筒やらお菓子やらが早くも散乱している。その隣に敷かれた茣蓙はいつからか己の定位置になってしまった。
もともとは己の釣り場だったこの汀に現れるようになった童を、最初は斬ろうと思っていた。二度目に会った時も斬ろうと思った。三度目もまだ斬ろうと思えば斬れた。四度目からは飽きた。笑顔で「どうぞどうぞ先生」と砂パン勧めてくるアホ面を見ていると萎える。砂パンと言っても本当に砂で出来ているわけではなく、体温調節のできないヒュムが砂漠の夜を越すのに使った焚き火の砂の中で焼くパンだ。
「……。」
今日も一片だけつまんで懐に入れた。己は喰えないが子飼いにしているエンサリーダーなら喰う。好んで喰う。最近ではもの欲しそうに己の懐を尾鰭で叩いてくることもある。
「先生聞いてくれよ。俺さぁ、愛の羽一級じゃん?きっと修行次第でコッカトリス以外の鳥獣モンスターとも話ができるようになると思うんだよね!」
私に瞼と言うものがあったら半眼で、またこいつは酔狂なことを…、とあからさまに呆れてやったのだが…。しかし、微動だにせずとも己の心境を察したのか、童は「まあまあ」と宥めてくる。…仕方ない。そっぽを向いても勝手にべらべら喋りたくるのだろう。言うだけ言わせておこう。
己は釣竿をふって、遠くで連綿と漣を刻む砂の水面へと針を垂らした。
切り立った岩石が砂の礫を含んだ風の緩衝材となるのか、此処から臨む海は地平線までなだらかな漣を作って揺れている。乾燥に強い薄紅色のタマリスクが風にそよぎ、僅かな日陰に叢生する草木からほんの少し水気を含んだ空気が発散される。東にある岩石砂漠の向こうには河が流れ、豊潤な地下水に恵まれた国があると言う。そのオアシスから見ればこんな小さな湿潤など憩いにもならないだろうが。
「…でさ、アックスビークっているだろ?あいつ何となくコッカトリスに似てねぇ?似てるよな、そっくりだよな。あの丸まっちぃコロコロ体形といい、ちんまりした翼の形といい。ゴーキマイラもなかなか体形は似てるけどさ、あの顔面はさすがなになー。ちょっとハードル高いよなー」
赭ら顔のエテ公みたいでさ〜、と笑った童は、急に立ち上がったと思ったら膝を丸めた格好のまま腕を畳んで脇を締めた。嫌な予感がした。悪いほどよく当たる。しゃがんだ体勢のまま喉の潰れたカラスのような鳴き真似までして「こう!こんな感じ!確か!暗がりでばったり出くわした時なんか、至近距離であの顔見ちゃって。あんまりにも不細工だからすげービビった!」と。
…アックスビークにしたって、コッカトリスにしたって、面構えはなかなか厳ついと思うが。ここでも言葉の壁が己と奴を阻んだ。ああ、つっこみたい。
「"砂を読む丘"にちょうど手ごろなアックスビークがころころ転がってたからさ。この間、話しかけてみたんだよ」
なるほどな。今、合点がいった。あれがその状況だったのか……。…知っている。見ていた。
筆舌に尽くしがたい鳴き声を出しながら今と同じような格好で近付いて行ったところ、見事に警戒されてターゲットラインを飛ばされ激しく嘴で先制攻撃されていた。逆切れした童が「何だよ!バカバカバカー!肉ダルマー!!」酷いことを言いながら斧でごつんごつん殴っていたことも、散々殴り倒され這う這うの体で逃げて行くアックスビークを尻目に「LPゲット〜♪あ!虹色のタマゴだ!わーい!」とお下げの娘っ子と一緒に飛び跳ねて喜んでいたことも、調子っぱずれな声で目玉焼きの歌を歌う童の尻に銃士が蹴りを決めて「chain299をどうしてくれる!勝手に突っ走っていきやがって、このアホ垂れ!」と怒鳴っていたことも。
そしてchainとやらの次の標的がどうも己だったらしいことも。すべては己の目の前で起きていた。居たくて居たわけではないが、居合わせてしまった。
「めちゃくちゃ怒られた。で、気を取り直して今度はオウルベアに話しかけてみた」
ああ、両手を広げて何故か片足を上げていたな。一度見たら忘れられない珍妙な舞い。夢にまで出てきた。
そこでもまた速攻でビンタされて逆切れ。情け容赦なくLPを剥ぎ取り盗んだ土の石を見て「チッ!しけてやがる」と擦れた表情で舌打ち。背後で、それを目撃した戦士が如何ともし難い表情でそこはかとなくショックを受けていたようだった。
「走って追いかけたのに標的にしたウルタン・エンサは逃げちまうしさ。
エンサリーダー使って海に逃亡とかずるいよな」
もちろん 全 力 で 逃げさせてもらった。何が「ずるい」だ。このヒュムの皮を被った悪魔め。
男三人に追い回され銃や剣や鈍器で袋叩きにされるのは真っ平御免だ。
畔の近くでよかった。この跛足ではすぐに追いつかれてボコボコにされてしまっただろう。笛で呼ぶ前から岸で待っていた従順な子飼いにあの時ほど感謝したことは無い。
「あ!でも、先生は別だよ〜。尖ったメイスでボッコボコなんて酷いこと、先生にだけはできないよ〜。マブダチだもん!ね〜!」
どうだかな。
前科者から言われてもな。
鬱陶しいし、今となっては若干その笑顔も恐い。近寄らないで欲しい。抱き付くな。
シャーッ!と威嚇してやっと甲殻が軋むほどの激しい抱擁から逃れる。乱れた襤褸を掻き寄せて、取り落とした竿を取い再び風紋と時折訪れる波涛に大きく揺れる海原に糸を垂らした。童にとっては片手間の手遊びだろうが、己にはキャッチ&リリースの観念はない。キャッチ=哺食だ。砂海の深海魚を主食とするウルタン・エンサの中では"浅瀬喰い"と言って、己は如何物食い扱いされるが、美味いものは美味い。この両腕には俺と子飼いの今夜の夕飯がかかっているのだ。邪魔するな。
童は肩を竦めて隣に腰を据えなおし「ちぇっ…最近の先生はツンツンだなぁ。デレの部分もちょっとは欲しいよ」とブツブツ言っている。
己はツンデレでもデレデレでも無い。元から無い。素直クールでいたこともない。ウルタン・エンサの刀使いで太公望だ。それ以上でもそれ以下でもない。
一頻り騒いで気が済んだのか、ぽつぽつと近況報告をしたきり童は黙り込んだ。
ひたすらぼんやりと、地平線を眺めている。渺茫たる黄白色の波の寄せては返す、小さな波紋。穏やかだった。とうに中天を越えていた太陽が傾き、斜陽が黄褐色に水面を照らす頃になるまで童の竿はぴくりともしなかった。
まったく無頓着にただ茫洋とした眼差しを赤々と夕日に火照らせる。
己の魚籠にも片手で足るほどしか砂魚は釣れなかったが、まあ、今日を凌げば明日がある。いつもはここらでさっさと退散するところだが、今夜は腰が上がらなかった。竿を引いて最後に釣り上げた砂魚を童の魚籠に放り込む。
「気ぃ回してもらって嬉しいけど、俺、すんごくみじめ」
馬鹿者、誰がお前の為なんぞ。
そう大物でもないが奴の連れ合いなら、あのお下げの小娘ならどんな小さな魚でも見せれば「釣れたの!?よかったじゃない!」と手を叩いて喜ぶだろうよ。
「先生、優しいね」
有難う、と言いたかったのは己にでは無いだろう。
もうずっと、ずっと、言いたくて言えないで居るんだろう。お前は。
釣りが口実であることは随分前から…、最初から解かっていた。童は、弔いに来ている。
背後で風に揺られて儚げな馨りを漂わせる、薄桃色のイクシロの花。時折訪れては萎えていないか、枯れてはいないか、気にかけていた。
これが赦罪でも求める素振りであれば、容赦なく叩き斬っていただろう。だが、童は独りきりでいつまでも汀に座っていた。己が隣に来るようになる前も、なってからも、変わらず泣き言は漏らさなかった。一言も。
弔いは口でするものでも涙でするものでもない、それが我らの流儀だ。
その我らの流儀、誇りを、種の枠を踏み越えて逸れ者を助けた童が、皮肉にも掟に添って友を弔っている。同じ繭に包まれ、同じ揺り篭から羽化した同胞が、悼むことすら放棄した…己のたった一人の友を。
だから己は、
「*****…」
「え?なに?わかった、これ食いたいんだろ〜!パンネロ特製、アルラウネのパンケーキ!さすが先生、お目が高い!いいぜ、魚のお礼にそれやるよ」
カラカラと大口をあけて笑う、額面どおりに愚か者ならば、こんなに心は掻き毟られまい。
魚籠を拾って踵を返す。背中に「またな!先生〜!」と声がかかるが、振り向きもしなければ手も振り返さない。どうせ半月もせずにまたひょっこり顔を出すだろう。出さなくとも、出すまで待てばいい。この汀はもともと己の漁場なのだから。
砂海で生まれ、砂海で生き、砂海で死ぬなら、そう望むなら、誰でも従う掟。
しかし掟は絶対でも無比でも無かった。
友よ、砂に還った同胞よ、今ならお前がどうして掟を越えても報いたかったか、少しだけ解かる気がする。






時が流れ、時が来た。
もう己はここから動かない。
この汀で釣り糸を垂れ、釣り上げることなくただ崩れ落ちるだろう。
ヒュムの時の流れとウルタン・エンサの時の流れとはあまりにも違いすぎた。
青年となった童は砂へ還った己の骸を、それとは気づかず踏みつけるだろう。何と言っても生前ですら、己と他の個体とを判別できずともすれば襲い掛かってくるような馬鹿ぶりだった。天命をまっとうしたウルタン・エンサの最期がどんなものか、知っているとは思えない。
短く刈っても奔放に跳ねる髪を片手で撫で付けて「なんだよ。あーあ」と愚痴を零す。ほんの少し肩を落として、それから笑って、鬱勃と胸に去来する思いを黙って飲み込むのだろう。すっかり寂しくなっても、ここへ来てくれるだろうか。己がいなくなっても、友だけでなく己のためにも、弔ってくれるだろうか。いや、来ても来なくても忘れはしまい。それだけでいい。結局、お互いに一方通行な関わりしかできなかった己たちだが、言葉はなくとも繋がっている。
先に礼を言っておこう。結局、生涯一言きりしか覚えなかったヒュムの言葉だが、全てこれだけで事足りる。

「ありがとう」



















end
2011.10.16(再掲)


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