ダラン爺の助言に従って砂海亭に向かったが、そこにバルフレアとフランの姿は無かった。
バザーや武器屋など目ぼしい場所を探してみたが見当たらない。
「どこ行ったんだろ…。しばらくはラバナスタに滞在するって言ってたのに。
まさかもう出発しちまったとか…」
ヴァンが途方に暮れたように俯くと、飛空挺ターミナルを思い浮かべて首を振った。
ラバナスタ市民だけでなく外国人も多く混雑しているターミナル内はバッシュには都合が悪かったので、ヴァンが先ほどひとっ走りして様子見をしてきたばかりだ。
「…これだけ探して見つからないということは、今二人は王都の外に出ているということだろう。出発したと考えるのは早計だ」
「え、どうして」
顔を上げて見つめて来る青灰色の瞳に言葉が詰まる。
彼の瞳はこんなに青かっただろうか。と考えて、ふと彼の顔をまともに正面から見るのが初めてであったことに気づく。斜めに睨まれたり、鼻の頭に皺を寄せてウーウー唸る狼のような顔つきをして、眇めた双眸で嫌そうに目を合わせてくるばかりで。こんなふうにまじまじと顔を覗き込まれたことは無かった。自分もまた負い目からかレックスとよく似た面差しの彼の顔を正面から見つめることは出来なかったのだ。
ヴァンは己の行動を意識の範疇に置いていないようだが、東ダルマスカ砂漠をラバナスタ目指して進むにつれて急速に軟化し、とうとうほどけてしまった感情のしがらみをバッシュは当惑気味に受け取っていた。
「先刻、探したターミナルは出航前の飛空挺が詰まっていただろう。パレードのあおりをくって閉鎖されていた反動でかなりの人出だった。あれでは今すぐに飛び立つことはできまい。空賊が自分の船を置き去りに出発するなど有り得ないからな」
あ、そっか、そうだよな、と表情を明るくさせたヴァンを見下ろし、ほんの少し眩しそうに目を細めたバッシュはそっと視線を余所へと逃がす。鉄面皮に思えるほど感情の起伏の乏しい男の表情には顕れない微かな狼狽をヴァンが察するはずも無く、思案げに王都外に通じる門に目を向けた。
「と、なるとー…」
「「ヴァン兄ちゃん!」」
背後からの声に振り返る間もなく腰にタックルされてヨロめく。
ヴァンの腰ほどしか無い少年達だった。
どうやらダウンタウンの仲間だったらしく打ち解けた様子で話し出すヴァン。
咄嗟に壁際に身を引いたバッシュは、笑顔で少年達の頭を撫でるヴァンを眺めながらも反射的に気配を抑えた自分に自嘲した。
俯けた視野の片隅で石畳の上に差す子供の影がヴァンの影に纏いつき、しばし楽しげに交わるのを眺める。無関係を装ったバッシュにほんの一瞬、物言いたげになったヴァンを見て、彼に纏いつく少年達に気取られないよう注意深く首を振って見せた。すると犬の仔を愛撫するようにくしゃくしゃと手荒く少年達の頭をかわるがわる撫でてやりながら「あっちぃから噴水の近くで話そう」と言って傍を離れて行く。
影に背中を預けながら茫洋とした眼差しで光の中のヴァンを見ていると、口元が引き攣るのを感じた。片手でひと撫でしてから違和感の原因に思い当たり、無意識に周囲の目を意識して強張っていた肩から力が抜ける。
ああ、笑っていたのか、私は…。まだ笑うことができたのか。
口元から上顎の緊張が解け、頬の筋肉が動き目元にじわりと皺が刻まれる。一連の表情の動きは、この2年ですっかり失われてしまった穏やかな感情や心の動きまでも呼び起こす。
「わかってるって、ちゃんとミゲロさんのとこにも顔出すから…。
ほら、これちゃんと皆で分けるんだぞ。今度はワイルドザウルスのなめし皮を取ってきてやるからな!」
ヴァンは懐から脱走後に得たおたからを少年たちに惜しげもなく散財する。
売ればかなりの額になるだろう。
「本当!?すげーや、さすがヴァン兄!」
「うわぁ、これサボテンの実だ!俺これ大好き!!」
特にサボテンの実は大好評だった。
ラバナスタへ向かう途中にタイニーサボテンに、追い剥ぎの如く襲いかかって盗みまくり他の二人に呆れられていたヴァンを思い出して知らず知らずバッシュの頬にはいっそう深い笑みが浮かぶ。
またねー、と元気良く走り去って行く少年たちを見送っていたヴァンは、壁際に立っているバッシュを振り返って驚いた。
「あんた笑えるんだ」
思ったことは口に出てしまうタチなので何も考えずそう言うと、バッシュはさっと片手で口元を隠した。
「…おかしいか?」
実は身なりを整えた際、髭を剃るために鏡を見てあまりの野蛮人面に愕然とした。
もともと強面ではあったが牢獄生活でさらに厳しさが増してしまっていて、これは女子供に泣かれてしまうかも、と内心では暗澹たる思いを味わっていたのだった。
裏切り者の謗りを受けるのは現状では仕方ないとしても、不審者並みに子供に指を指されたりその母親に「見ちゃいけません」とか言われたり、それはちょっと…いやかなり辛い。
微笑んでいるつもりで傍から見れば悪人笑い、というのはよく聞く話だ。
自分には関係ないと思っていたが、今は自信が無い。
そんなことを思いつつ硬直していると、それをまじまじと見ていたヴァンが笑い出した。
弑逆者の汚名を着せられ明日をも知れない身だというのに、どこか泰然自若として落ち着いて構えていたように見えるバッシュが、こんな些細なことで取り乱しているのを見るとどうしても笑ってしまう。
兄の死を忘れた訳でも、今までに強いられてきた苦渋の一端にバッシュの存在があることを完璧に許せた訳でも無い。
それでも、今こうして自然と湧き上がった笑みを止めようとは思わなかった。
「全然。いいよ、そっちのが」
青みを増したようなヴァンの深い青灰色の双眸が初めて笑みの形に眇められ、やや釣り気味の勝気な眦を柔らかく下げる。真正面から向けられた笑顔。バッシュは不意に胸郭の内側で不整脈が起こるのを感じて拳を握り締めた。心臓にじわりと沁みる安堵感と同時に、刺すような鋭い慙愧の念が去来した。
「こんな状況じゃしょうがないけど、いつも不景気そうな顔されるよりさ。そっちの方がカッコイイし」
ヴァンはさり気無く酷いことを言っているのだが自覚は無し。
バッシュも短い付き合いながらヴァンのソレがいつものことなのは承知しているので気にも留めない。
というか「カッコイイ」の一言しか聞いていない。
「そうか…」
ホッとしたものの率直に褒め…られてどういう顔をしていいか解からない。
未だかつてこれ程に人の言動に度を無くしたことがあったろうか、というほど内心ではうろたえ(でも顔には出てない)ているバッシュを尻目に、ヴァンは腕組みをして何か思案している。
そして何やらピーンときたのか頭上に裸電球がピカリ!という勢いで「わかった!」と叫んだ。
「多分、おたから狩りだ。バルフレアが『新しい武器でも揃えるか、LPも消費しねぇと貯まりまくってるし』って言ってた。
二人に見合うだけの武器って言ったらけっこうお高くつくからな。
アレくらいのおたからじゃ賄えないだろ」
「…一理あるな。装備の強化…か」
バッシュが呟くと急にヴァンが顔を強張らせる。笑みを消してバッシュの方を伺い見た。
何だろう、と首を傾げるもなぜか言いにくそうにしてもじもじしている。
「あのさ」
「どうした?」
ヴァンは同情的な表情で一言。
「もしかしてあんた貧乏?」
「は…?」
思わず目が点になったバッシュだった。
言葉を無くした様子で間違った確信を得たヴァンは「やっぱり、そうじゃないかと思ったんだ」としたり顔で頷いている。
「そんな露出度高い軽装備だからきっと困ってるんだろうなって…」

君に言われたくは無いのだが。

ここでバルフレアあたりなら「お前に言われたかねぇよ」とどついている所だろうが、バッシュはそれより誤解を解くことを先決とした。
「ヴァン、これは軽装備に見えるが実際は…」
「わかってるから。言わなくていいから。
金欠ってツライよな…俺、ダウンタウン育ちだからよく解かる。
すっげーよく解かる!」
だから隠さなくていいんだ!!と力いっぱい慰められた。
金欠という(間違った)事実によほど親近感を煽られたのかヴァンは「ここでじっとしてても仕方ないし、ギーザ草原あたりに繰り出して稼ごう」と意気揚々と南門へ走って行ってしまう。
バルフレアたちと遭遇する確率は3分の1。
じっとしていても仕方ないのは事実だし…あんなに張り切っているのに水を差すのは可哀そうだし…。
バッシュは予想もつかない事態に天を仰ぎつつ、仕方なしに南門に足を向けた。




「バッシュー!あんたまたやったなー!?」
一見のどかに見える草原に少年の威勢の良い怒声が響いた。
その声にビビってギーザラビットが一目散に逃げ出した。
「やってしまった…」
叱り飛ばされた方の男の前には昇天済みのハイエナ。おたからは無し。
傍から見ればモンスターを倒したのだから文句を言うところでは無いだろうと思われるだろう。
だが、少しでも腕に覚えのある冒険者なら頷ける状況かもしれない。
「戦う前に盗む!これで一匹倒すのにも二倍のおたからゲットのチャンスがあるって言うのに、あんた強すぎだよ」
一撃必殺だよ、とガックリ肩を落とすヴァンだった。
この辺一帯は一部を除いてレベルの高いモンスターはいないのでおたから稼ぎには良い場所のはずが。バッシュが咄嗟に切り捨ててしまってオシャカにしたモンスターは両手で足りない数になってしまっていた。
「じゃあ今度から俺が先陣きって盗むから。HP減らした方が成功率高いんだけど仕方ないし。その後バッシュがばっさり殺るってことにしよう」
「ああ」
困ってもいない金のためにおたから狩りをしていて、さらに思い切り年下の少年に盗みの極意を説かれている。
本来こんなことをしている場合では無いのだが、当事者の自分より夢中になってせっせとおたからを収拾するヴァンが微笑ましく…水を差すのも気が引けて、集落までと範囲を決めて付き合っていた。


グルルルル…ッ

「来た…っ」


獲物…ハイエナリーダーをターゲットに捕捉してキラーンと目を輝かせるヴァン。
たとえ素早くモンスターの死角を狙うその目が、鷹の目より鋭く輝いていても。


ギャウウ!?

「やった!火の石ゲット!」


たとえ追い剥ぎさながらに情け容赦なくおたからをぶん盗る姿が、水を得た魚のように生き生きし過ぎていても。
一瞬だけ脳裏に守銭奴という単語がチラついたが黙殺した。
「よし、この意気で稼ぐぞ!」
楽しそうなヴァンの様子を見ると、まあ狩りとはこんなものでいいのかも知れない思えてしまうバッシュだった。
集落で休憩を取り、その場で行商人からおたからの換金をしてみるとけっこうな額になった。武器だけでなく防具まで揃えても充分足りる。
「すまない、すっかりつき合わせてしまった」
飼い慣らされてすっかり大人しいコッカトリスをからかって遊んでいるヴァンに話しかけたバッシュは、柵に置かれた手に血が滲んでいるのを見た。手甲の隙間から覗く指や手の平が赤くなっている。バッシュにとっては見慣れた…というより嫌というほど経験した痛み。
「いいよ。俺も分け前はもらったんだし……バッシュ…?」
手元に視線を感じたヴァンが怪訝そうにバッシュを見ると。彼はそれには取り合わず、ヴァンの腕を掴んだ。
「…だいぶ無理をしているな」
そう言って傷の具合を見分するためと掌を返そうとするバッシュに、ヴァンは咄嗟に拳を握って赤く熱を持った皮膚を隠した。
手の平がピリリと痛んで眉を寄せる。
「手を開くんだ」
「…嫌だ」
「酷くなるぞ。さあ、手の平を見せてみろ」
「大丈夫だって」
強情に手の平を見せようとしないヴァンにバッシュは嘆息するといきなり自分の手の内に収まっていたヴァンの手にグッと圧力をかけた。
「痛っ…!」
たまらずヴァンが拳を弛めると強引に手の平を上向かせた。
思った通り、皮膚が擦り剥けて肉刺が潰れタコができて少し腫れていた。こうなるまで放っておいて痛がりもしなかった根性は認めるが、この状態はまずい。バッシュがもう片方の手も見分するのを見て、ヴァンはバツの悪そうな顔でふくれた。
「最初は痛いけど肉刺が潰れて皮膚が固まれば手の皮だって厚くなるし、慣れれば妙な所にタコができることもなくなるって……」
ボソボソと呟くヴァンに手の平に落としていた視線を戻した。
武器や盾は慣れるまでひたすら鍛錬するか実戦で鍛えるしかないのは事実だが、何のケアもせずにいれば傷口が膿んで酷いことになる。本当ならすぐに消毒したいところだが手持ちは無いし、今ポーションを使うとせっかく固まりかけた皮膚組織ごと元に戻してしまう。
仕方なく王都で購入したばかりの布を裂きあてがって包帯のように巻いていく。これで傷薬をつけるまで凌ぐしかない。
居心地悪そうにしているヴァンに聞いた。
「誰が君にそんなことを?」
おそらくバルフレアだろう、と思う。
あの男も玄人であるはずなのにそれをヴァンには忠告しなかったのだろうか。
考えながらバッシュは無意識に眉間に皺を寄せていた。
「兄さん」
いっそう小さい声でポツリと言われた思いがけない言葉に、一瞬思考が停止する。
「…すまない」
短く答え、再び手元を見る。バッシュはそれきり口を開かなかった。
黙り込んだ相手を見てヴァンは内心、あーあやってしまった、と思っていた。兄に言われたのは本当だがここで引き合いに出すべきじゃなかった。きっと「すまない」と言われると思っていたのだ。もうそんなこと言わなくてもいいのに。
今なら理解できる。兄がバッシュを信じたことは間違いじゃない、目の前にした『真実』を…それでも信じようとはせず最期まで「ちがう」と否定し続けた兄は正しかった。レックスが心を壊しても信じ続けたバッシュをこの目で見て、知って、そう感じた。
自分が兄を喪って辛いのと同じに、バッシュもおそらく彼の最後の部下であったレックスを喪った苦しみを背負っている。普通なら避けて通るべき話題なのに、今ヴァンは不思議とバッシュに兄のことを話すのを苦と思わなかった。
隠したのは半人前だと思われるのが嫌だったからで、これが兄の記憶につながるからという意識は全く無い。本当に不思議なほど全く無かったのだ。
緩く手を繋いだまま無言で集落を後にした。
ここまでの道中、ヴァンと二人で乱獲…もとい掠奪しまくったためかモンスターの出現は極端に少ない。
が、気落ちしていてもターゲットを捕捉するやいなや猟人と化し、おたからをぶん盗るヴァンはさすがというより他にない。
黙々と進むバッシュに一歩遅れて歩いていたヴァンは不意に立ち止まった。
「なあ、話したら駄目か?」
主語が抜け落ちていたが、さっきの続きだろうと察してバッシュも足を止める。
振り返った先にいるヴァンは惑うような表情でバッシュを見ている。
あんなに青いと思われた瞳が、今は灰色が重く沈み陰って見えた。
「2年前のアレ以来、兄さんはいろいろ失って俺も…まあいろいろあった。
でさ、知り合いや友達なんかも減って…それでも会えば思い出したみたいに兄さんのことを懐かしんでくれたりするけど」
彼らの中ではレックスはもう過去なのだ。
ヴァンにとっては色褪せるどころか、今も夢に見るほど鮮明なのに。
言葉を捜して詰まるヴァンをバッシュは急くことなくただ見ていた。ただ見ていることしかできなかった。
自分が「すまない」と言う言葉で濁した苦しみと向き合っているヴァンと対峙するたびに、幾つもの言葉が喉元を競り上がってくるのに、バッシュは少年の真率な眼差しに対して詫びる以外の言葉を吐き出せた験しが無かった。
「レックスを忘れないでいてくれるだけ有り難いんだけど…、でもさ、こんなふうに思うの贅沢なのかも知れないけどさ…、そういう連中とはあんまり…話したくないっていうか…。
俺にもあんたにも二年前とこの二年間は『終ったこと』じゃないし。
あんたには話しても、何か…嫌じゃないし。
なあ、ダメか?」
言っていることが支離滅裂だが多分、言いたい事は伝わっただろう。
そう思ってバッシュを見つめる。ヴァンは、こちらを無言で見下ろす男が何か痛みを堪えるような表情をしたのに驚いて息を飲んだ。
突っ張っていた意地を張るのをやめた分、心が近づいたからだろうか。まともに正面から見上げたバッシュの顔を初めて見る思いがした。今まで自分が酷い言葉を投げつけるたびに、この男は今よりもっと苦しげな…、痛みを堪える表情を奥歯を噛み締めて必死に飲み込んでいたのかと思うと罪悪感が込み上げた。
「そう…だな。私も君の話が聞きたい」
うまく笑えただろうか。
どうやっても強張るのは抑えられないが、ヴァンの言葉には応じたかった。
ダルマスカに対する愛国心も忠義心も陰ることなく、たとえ逆賊の汚名を受けた今でも立場はともかく心は自分はこの国の騎士のままであるという信念がある。
ただその罪は冤罪としても二年前、そして二年間。自分の不甲斐無さ故に苦しめられた人がいた。
辛い思いをしてきた少年が目の前にいる。
バルハイム地下道では怒りを持ってバッシュの萎え衰えた身体に希望を注ぎ込んだヴァンを、今度は自分が守り導いてやりたいと思った。それは彼がダルマスカの民の民意の具現であるかのような錯覚をバッシュに覚えさせたものだが、今こうして向き合って感じた思いはその枠に収まりきるものでは無い。
真摯な目を向けるバッシュにヴァンもぎこちなく笑みを返す。
どうやら抑揚によって青みが増すらしい青灰色の瞳は、今は青く澄んでいた。
王都に戻り、バルフレアと合流した後はどうなるかわからない。
自分が往くのは修羅の道だ。何一つ約束することはできないのが辛かった。
取り留めなく語るヴァンの話しに耳を傾けつつ、バッシュは固く拳を握り締めた。













end
2011.05.01(再掲)


inserted by FC2 system