「待ってろ、なんて言ったくせにさ」
「え?なに?」
「いや、何でも無い」
主翼である左右の翼、船腹と舷側を重たい雲がぶつかって流れていく。安定性抜群のビュエルバの炉と、速力・機動力では他の追随を許さないアルケイディア製のグロセアエンジン。規格に合わないわけではないが、多少無理をして改良し、積んだツケが妙なところに回ってきてしまっている。
このところ、自動操縦から操舵を手に戻そうとするたびに、重たくなる。舌打ちしてパンネロの前にあるコンソールパネルの赤い点滅を確認してみると、さっきまで縮んでいた距離が、またひらいていた。随分と引き離されてしまった。
「あー、もう駄目!離脱!」
「ちょっ…ちょっと!もう、ヴァンったら!無茶な操舵しないでよ、ただでさえ最近調子悪いのに!」
最短距離で追いつけると踏んで突っ込んだ雲の中から、スッポーンと小型の飛空艇が飛び出す。
「くっそ〜…。絶対、追い抜いてやる!」
忠告などてんで頭に入っていない様子で息をまくヴァンを見て、パンネロは「実はこの会話、非常回線越しに向こうに筒抜けなんだけど」と言うのを飲み込んだ。代わりに溜息を吐く。
冷たい視線を無視してひたすら前方を睨むヴァンの横顔、新しいエンジンの航続距離計算だとか記録だとか、測量に気を配る余裕は無さそうだ。いや、余裕がどうこうと言うより、このアホのことだから元から考えて無いのだろう。
パネルを確認しつつ、フランに手解きしてもらった通り小まめに飛距離と航続時間とを記録するパンネロだったが「見えてきた!」と叫んだヴァンに、思わず計測も何もかも放り出して前方に目を凝らした。
「シュトラール…」
もう肉眼ではっきり見ることができる。
あれは、あの日、盗まれて以来ぶりに見る最速の翼だ。ターミナルのドッグにあった時よりも、ずっとずっと美しい。
当然だ。あの船には今、彼女のマスターが、最速の空賊が乗っているのだから。
非常回線は繋がっているし、コンソールパネルには機影反応がちゃんと出ているし、シュトラールが目の前にいるというのはわかっていた。わかっていたのに、実際に目にした今、胸の鼓動が耳に煩いほどに高鳴って止まらない。
じわっ、と目の奥が熱くなって、唇が震えそうになった。
「パンネロの泣き虫」
「泣いてないもん。ヴァンこそ鼻水汚い。拭きなさいよ」
結局、二人揃って洟を啜っていれば世話は無い。
意固地に、泣いた、泣いてない、と言い合っていると、回線から忍び笑いを漏らすアルトが聞こえた。
続いて『よう、ルーキー。なかなかいい調子で名を上げてるじゃねえか』と軽口を叩く、耳障りのいいテノール。
約束が果たされた瞬間だった。
ヴァンは、それだけでもういいや、と思う。放蕩三昧なこの男がもし心移りしていても、あの日のことを無かったことにしても、約束を守ってくれたその事実はこの胸に残る。それだけが震えるほど嬉しかった。
またもや、ぐーっ、と込み上げてきたものを必死で飲み込んで、せいぜい平気なふりをして無愛想な返事を返す。
「よう、船泥棒」
『泥棒とはご挨拶…でも無いか。ま、泥棒っちゃ泥棒だわな、俺達。なぁ、フラン?』
『あら、一緒にしないで。私は強情張らずに会いに行きましょう、と言ったわ』
「もう!置手紙だけなんて、つれないじゃない!私達、ずっと待ってたのに!」
「整備だって抜かりなく、ちゃんとやってたんだ!それなのに、この恩知らず!」
ぴいぴいと囀る2羽に、親鳥は澄ました声で『一緒に仕事をするんだ、半端な空賊とは組みたくない。お前らのオシメがとれる頃合いを見計らってたのさ』と歌った。
これにはヴァンだけでなくパンネロも、かちん、ときた。
「パンネロ、ここ一帯のミスト濃度の計測値いくつだっけ。限界速度まで飛ばして追いついてやる」
「えっと、待って…。ここは」
身を乗り出して航路を確認するパンネロ。まだ豆粒みたいに小さいシュトラールに追いつこうと、焦れたヴァンは返答を待たずに二期のグロセアエンジンをフル稼働させた。
雲を突っ切ってから、まだ体勢を立て直す途中だったにもかかわらず。
案の定、機体は大揺れして、マップは宙を舞うしせっかく計測したノートは破れるし、操舵室は大惨事になってしまった。
海の上まで来てやっと追いついた小さな飛空艇に、シュトラールは白銀の両翼を大きく広げ、優美な船体を僅かに傾けるようにして寄り添う。
「ねぇ、ヴァン」
「うん」
もし再会したら言おうと思っていたことを切り出す。
恐らく呆れられるだろうけど、船を持った時に二人で決めたのだ。
「バルフレア!目的地にどちらが先に着くか、競争だ!」
『無謀と承知で挑んでくる、その度胸は買うぜ。…追いこせるもんなら追いこしてみな』
お先に、と合図して速度を上げたシュトラールを、すぐさま追いかける。
操舵桿を握る手にグッと力が入り、限界まで加速するスピードの重さを両腕で支えた。
こんな風に、空を翔けたいと思っていた。あんたと。
空を、雲を、綯うように。白い航跡を描きながら飛ぶ二艘の飛空艇は、高く遠くの物語を追って翔けていった。





大空に抱かれた世界の果てへ。
辿る航路が舞台となり、その翼が夢を語る。














end
2011.05.01(再掲)


inserted by FC2 system