この張り詰めた空気は何なのかしらね。
二人とも平素を装っているつもりだろが…、何かあったのはバレバレだ。
フランはともかくパンネロは…。表向きの表情だけはいつも通りだけれど、彼女の幼馴染と同様に装うことに慣れていない素直な瞳は動揺に揺れている。
常ならばここでアーシェが何かする必要は無い。何かするとしたらフランだ。
なのに彼女は静観を決め込んでいる。
貴女たち仲が良かったんじゃないの?何これは、喧嘩??だったら外で罵りあいでも殴り合いでも決闘でも好きなだけしていらっしゃいよ。その方がスッキリするでしょ!?
元来、白黒はっきりしないのは好まない王女。
本人は無自覚だが男前な性格からか、苛烈な解決手段ばかり思い浮かぶ。
よほど妙な雰囲気を醸し出す二人に言ってやろうかと思ったが……。そんなことをしたらパンネロが悲しむ。
あのハニーブラウンの大きな眼を曇らせて「ごめんなさい…」と謝られるだろう。
想像するだけで、感じなくてもいい罪悪感を感じてしまう。
その後、すー…、と怜悧に眼を細めたフランに無言で凝視されるのも勘弁して欲しいところ。
結局は何かしたくとも、する必要があっても、何も出来ない八方塞り。
アーシェは手入れをしていた両手剣を乱暴に床に投げ転がし、舌打ちして眉間を押し揉んだ。
はあ、と何度目になるかわからない溜息を胸の内だけで吐き出す。
…クランに寄ったヴァンが勝手に依頼を受けてしまい、パーティーは止むを得なく港町バーフォンハイムに宿を取っていた。
ようやく資金も溜まったことだし、と出発間際だった一行を足止めする形になりヴァンはさんざんアーシェに説教されて頬っぺたを抓られていた。
自業自得なのでパンネロは見てみぬ振りである。…アーシェの機嫌を損ねて頬っぺを引っ張られるくらいで済んだのだから運が良かった。
本当なら得物でボコられても仕方ないところだ。
そんなこんなで明日は、旅先で荷物を奪われ難儀している依頼人のヴィエラと共にヴィラール討伐である。
ちょうど戦闘組だし何と言ってもAランクのモブだ。…今さら怖気づきはしないが、備えあれば憂い無し。準備は入念に…、と同じく明日は戦闘組のアーシェと共に宛がわれた部屋でガンビットの調整とアイテムの確認をしていたパンネロ。
次は武器を整備しておこうとダガーを磨いていると。
それまで無言で弓弩の弦を縛っていたフランが音も無く立ち上がった。
どこへ、とは聞かない。詮無いことだ。
今夜はバルフレアから酒肴の誘いも無かった、それなのにこの時間帯に外出すると言う事は…、そういうことだろう。
男であろうと女であろうと関係ない、至極まっとうな摂理だと知っているパンネロは軽く会釈しただけで再びダガーに目を落とした。
心の何処かで部屋から出て行こうとするフランにホッとしている。それでいて、心はすきま風に吹かれたように寂寥を訴えていた。
そんな自分に嫌悪を感じながらも、パンネロはわだかまりを遠ざけることが出来てほんの少し呼吸が楽になったようだった。
このところフランとパンネロはお互いに不即不離を通していた。何となく近まっていた距離は旅の初めの頃に戻り、気がつけばいつも二人並んでいた立ち位置は間にアーシェが挟まる形になった。
ラバナスタに寄って一晩過ごした後にはこうなっていて。
今の今まで干渉は控えてきたが、わけも解からず二人に緩衝材扱いされた王女の苛々はもう極限まで達していた。
俯いて必死に翳った表情を隠すパンネロに問うのは酷だが、フランならば相手にとって不足は無し。腹に据えかねていた王女は、自分の喧嘩ではないのにやけに好戦的な気分で立ち上がった。
「フラン、ちょっといいかしら」
ドアノブに手をかけたフランが振り返る。
その肩を手で押すようにしてアーシェは部屋の外に押し出した。
「貴方たち変よ。どうしたっていうの」
腕組みして単刀直入にものを言う殿下に、フランは少し眼を見張った。
自らの志向に精一杯だと思っていた王女が目配りをするとは意外なことだ…。いや、こうしてアーシェに不協和音を「悟られている」と察するのが遅れた自分が鈍っているだけか。
変わらず泰然としているように努めていたつもりが、まったく果たせていなかったことにようやく気付き自嘲が込み上げてくる。
思っていたよりも、自分はあの日のことを引き摺っているらしい。
「…どうもしないわ」
どうもしないで、パンネロがあんな表情をするはずがない。
何も無くてフランが彼女の側を離れたがるはずがない。
よく白々しくそんなセリフを言えるものだ。もしかして私を盲だとでも思っているのかしら。だとしたら失敬極まりない。…眼が無いわけでは無いのだ、これでも自国の民で仲間の少女を可愛く思っているつもりだ。
時折、耳にも心にも痛い諫言が容赦ないが、その度に焦る自分に思考を促し思慮することを思い出させてくれる年上のヴィエラを邪険に思ってはいない。
肩を竦めただけで応える気は無いフランをしばらく睨んでいたアーシェだったが、苦々しげに嘆息する。
「私を緩衝にして何とかなるような事態なら放っておく。でもそうじゃないでしょう」
自分より遙かに年上のヴィエラの紅茶色の瞳を見据える。
いつもと変わらない静かな面差しに、僅かな、ほんの微かな、苛立ちと悲しみがある。
パンネロにしろフランにしろ、両隣でそんな顔をされてみろ。知らないふりなど出来ようか。
どのくらいそうして二人で黙り込んでいただろうか。
何か拗ねたような…寂しいような侘しい気分でアーシェが眼を伏せていると、フランの手が躊躇いがちにその肩に触れた。
「…時間が必要なの」
珍しく感情を露わにした、疲れたような声だった。
「それはパンネロに?それとも貴女に?」
「両方よ」
「………なるべく早く解決してちょうだい。どっちが泣くのも見たくはないから」
こんな優しげなセリフをまさか自分がフランに対して言うとは思っていなかった。
それはフランも同感だったらしく、見上げた彼女の顔は虚を突かれた表情を浮べている。ああ、失敗した。らしくない、こんなのは私の本分と外れている。私はやはりいつでも豪邁で勝気でいなければ。
顔に血が上る感覚を覚えながら、アーシェは唖然としているフランに背を向ける。「明日は貴女も戦闘組なんだから、朝には宿に帰りなさいよ」と早口に捲くし立ててさっさとパンネロの待つ部屋に逃げ込んだ。




誰も居なくなった部屋の中で、パンネロは何やら不穏な空気で出て行った二人を追おうかとも思ったが。何となく気力もわかなくて、ダガーをなおしてベッドの上で膝を抱えていた。
丁度良い、このままグズグズとわだかまりを抱えたままでギルヴェガンへ旅立つよりは、ここで自分に整理をつけてしまおう。今は誰もいないのだから、気兼ねなく思考できるから。
あの日、フランの手を振り払ってしまった日、彼女に言われた言葉を反芻する。
『それだけでは駄目なのよパンネロ』
ヴァンの眼差しの中に自分を見て、それに安堵することを否定はしなかったフラン。無条件な肯定も時には必要だ、と人の弱さを…パンネロの弱さを否定しはしなかった。
けれど…。
「『それだけでは駄目』なんだよね…」
それはわかってる。
それだけじゃ、もう、ヴァンの歩みには…皆の歩みにはついて行けない。
ヴァンの眼差しの中にだけ住んでいてはいけないのだ。安らぐ場所は必ずしも留まる場所ではないのだと、理屈ではわかっている。
父に母に…兄達に、愛された記憶があるから…その眼差しを覚えているから、今も私は自分の足で立てる。ヴァンと一緒に歩くことができる。
でも、彼らの眼差しを想って泣いて過去に縋り付いていた時は、辛いこと悲しいことに蓋をしてあくせくと生きることに必死だった時は、とてもとても苦しかった。
その苦しみの底から引き上げてくれたのは「一緒に行こう」と言ったヴァンの眼差しだった。
今はヴァンがいるから…、だから、逝ってしまった人の面影を想うことはこんなにも懐かしくて…愛おしい。
そこまで考えて、ハッと気がつく。
「あ…」
私、また同じことしてた…?
もう動かない、もう眼差しを投げてはくれない過去の代わりに。それに縋る代わりに。
「私…、ヴァンに…」
ヴァンの眼差しに縋ってしまっていたんだ。
もやもやと胸に巣食っていたものが晴れていく。パンネロは脱力してベッドに倒れこんだ。
情けない。こんなんじゃ、置いて行かれて当然だ。ついて行けなくて当たり前だ。
「ほんとだね、フラン…。『それだけでは駄目』なんだ…ね…ッ」
安らげる場所に縋って、先へ進むことを厭ってしまった自分がヴァンの隣に立てるはずがないじゃないか。
水を得た魚…と言うか、檻を解き放たれた鳥のように。
同じスタートラインに立って旅立ったはずのヴァンは、いつの間にか加速度的にぐんぐん歩みを速めて先へ先へと走って行ってしまうようになった。
長旅なんて初めてで、おっかなびっくり同行していたヴァンと自分。
でも、ある時を境にヴァンは恐れを捨てた。…いや、捨てたのでは無く開き直って飲み込んでしまった。その強さを旅の中で確かに学んでいった。
私はただ見ているだけで、一緒にいただけで、ヴァンがいつまでも私が追いつくのを待っていてくれるものだと思い込んで。
今も、もう少し待ってたら、ヴァンが気付いて振り返ってくれるかも。そんなこと思ってる。
いつも、いつも、周囲に眼を向けて気を配ることに終始していたのは裏を返せば自分と向き合うのが怖かったからだ。こうして気がついてしまうのが厭だったからだ。考えたくなかったからだ。
フランが「駄目よ。考えなさい」と言ってくれなかったら、思考を内側に向けることを促してくれなかったら…また蓋をして同じあやまちを犯していたに違いない。


ヴァンの心は、とっくに世界に向かって開かれている。

私の心は彼の眼差しの中に留まったまま、世界を恐れて閉じてしまっている。


気がついてしまった途端、瓦解した足元に墜落してしまうみたいな途方の無い恐怖を感じた。
「どうすればいいか、わからないんだもん…」
ヴァンのようには単純に進めないのだ。
いつだったか…ああ…ガリフの地でバッシュ叔父様に言ったっけ…。私は本当にトロい。何にでも時間がかかる。ライセンスを習得しても魔法を習っても、人の倍は時間をかけないととても使い物にならなくて…。
色んなことを消化するのに時間がかかるのだ。
ポロポロと零れる雫が眦を伝ってシーツに染みを作る。
ぎゅっと固く閉ざした瞼に、ほんの少し寂しそうな紅茶色の瞳を伏せて「貴女が、望むなら…」と背を向けたフランの後姿が浮かぶ。
厳しい、優しい、美しい人。
あの時、貴女の手を取っていたら、私はこんなに辛くなかったのかな。
きっとフランは上手にパンネロを導いてくれたんだろう。こんな風に泣かずに、でもちゃんと気付かせてくれたんだろう。
その手を振り払ったのは自分なのだ。
今さら彼女の手を思い出して、慰めを得ようと思うのは我侭だ。
乱暴に涙を拭ってパンネロはブーツを脱ぎ捨てた。そして三つ編みも解かずにノロノロとベッドに潜り込む。
アーシェを待っていようかと思ったけれど、もう寝てしまおう。
胸の前で握り締めた拳がブルブル震えているのを感じる。とても寒くて寂しくて、孤独だった。もう甘えてはいられない、私は私のやり方で走り出さないといけないんだ。
置いていかれたくなかったら、頑張るしかないんだ。
「どうすればいいのか、わからないけど」
だけどフランに「私のことは、私でちゃんと考えます」と言ったからには、必ず乗り越えなければ。そして必ず追いついて「あの時は生意気言ってすみませんでした」って、彼女に笑いかけることができるように。
そうしたら、きっと、フランと私は元通りになれる。
枕に頬を押し付けて言い聞かせていたパンネロは、いつしか自分で自分を抱き締めるように丸くなって眠っていた。
そっとドアを開けて部屋に戻ったアーシェにも気付かずに。
目元を微かに赤くして枕にしがみ付いているパンネロを見て、アーシェは深く溜息を吐く。板挟みになるのには辟易していたが、それも…この彼女の涙も…全てパンネロ自身のためになると言うのであれば。
……どうせ私は何かしてあげたくとも、する必要があっても、何も出来ない八方塞り。
見守ってあげるしか無いなら仕方ない。
けれど我慢するのはもうちょっとだけよ、と心の中でボヤキつつ王女は眠る少女の髪を解いて、そっと毛布を肩まで引き上げてやるのだった。




翌日は快晴だった。
Aランクのモブ相手、という事でそれぞれ持ち得る限り最強の装備で臨む。
特に両手剣・ディフェンダーを背中にした殿下は勇気凛々パワー全開だ。
雰囲気までもが猛々しい。
彼女がこれを装備する過程で、剣を振り翳す姿がすんなり決まっていて…下手をするとバッシュより様になっているかもしれないのを見て、自分は振り上げた拍子に後ろによろけてしまうのが常なヴァンが凹んだり拗ねたり騒がしかった。
が、そんな幼馴染の様子を咎めるでもなくパンネロはチラっとフランを盗み見ていて。
フランはフランでそ知らぬ顔をしながらも、耳は少女の方に向いている。
二人の様子が妙なのは男二人も気がついていたが、何か言おうとする前に王女が首根っこを押さえたヴァンを二人に向かって突き飛ばした。
ちゃんと面倒を見ておきなさい、と説教される。…つまり、口出しするな、と言うことか。
様子のおかしいパンネロに近付こうとしたヴァンまでも、爪弾きにしたということは…相当である。
女の子の秘密☆と言うほど軽い内容ではないのだろうが、首を突っ込まないほうが無難なようだ。バルフレアは肩を竦めて、バッシュは目礼だけを王女に返す。
間に挟まって怪訝そうな顔のヴァンの腹巻きと襟首は、しっかり男二人に背後から掴まれた。
「ああ、よく来てくれた。…この先でヴィラールに荷を奪われたのだ」
私もできる限り助力する、と言う旅のヴィエラは身の丈ほどの大振りの弓を背負っていた。
これを見て弓装備だったフランが得物を変更する。
選び取ったのは長槍だった。槍を右手だけで持ち、切先を下へ構えた姿は長身と相俟って迫力がある。それなのに何処か秀麗で…。いつもバルフレアが立つ位置の反対隣に、弓の弦を撫でるヴィエラと共に佇んでいる姿は完成された一枚の絵画のようだった。
パンネロはそれを眺めて、不意に胸を締め付ける痛みを感じ、驚いた。
ゆら…っ、と焔に舐められたみたいに一瞬だけ胸を焦がした思いは何…?
私は今、何を考えた…??
目を逸らさなくちゃ、でも、嫌だ…逸らせない…逸らしたくない。
変に思われたっていい、嫌だよフラン、嫌だ、だってそこは…。

その場所は私のなのに。

視線を察したフランが少女に眼を向けた。
パンネロの顔を見たフランが少し眼を見張る。驚いたような棒を飲んだみたいな表情で何かを言いかけたが、言葉にはならなかった。
今の自分がどんな顔をしているか、おそらくパンネロは自覚していないだろう。
仔犬のような幼けない大きなハニーブラウンの瞳は咎めるような、どこか拗ねているようないじらしい色を浮べていた。閉じた唇が僅かに震えて「へ」の字になっている。
あの日以来、自分の視線を避け続けてきたパンネロ。
だから私も敢えて彼女に触れなかった。その肩にも、その心にも。
なのに、今はなぜ、そんな火の点いたような眼をしているの?…そんな眼をしていたら勘違いされてしまうわよお嬢さん…、それでもいいの…?
今さら、本当に今さら。
パンネロの瞳を見据えたフランは、自分がどうしてここまでこの少女に心を砕くのか、自身の胸の中で無意識に押し殺していた欲を知る。
ああ、そうか…私は、彼女が欲しいのだ。
だからこそ、放っておいても自分の足で立ち走る方法を見つけてヴァンに追いつくだろう彼女に、要らないお節介だと知りつつも手を伸ばした。
関わりたかったから。
ヴァンでは無く私に、彼女の眼差しが向けられればいい。
ヴァンはいい子だ、可愛い子だ。だが馬鹿で不器用で男の子だ。それが彼女を助けることもあるが、こうして傷つけ置き去りにしてしまうこともある。
けれど、彼女の眼差しの中にいるのが私なら……。
見詰め合うフランとパンネロに挟まれて訳の解からない顔で首を傾げたヴィエラの肩を、頭痛を堪えるようなしょっぱい顔の殿下が叩いた。
「アレは気にしないで。…さあ、貴女の荷物を取り戻しに行きましょう!!」
自棄っぱちで威勢良く叫び、両手剣を片腕で担いで勇ましく歩いていくアーシェ。
その後姿を頼もしそうに見たヴィエラは、「ヒュムにも素晴らしい戦士がいるものだ」と感心しながら後について行く。戦士では無く王女です!と心の中で血涙のアーシェだった。
程なくして、黒い巨体でカッコイイ系では無く…気持ち悪い感じのモブモンスターが飛来した。先陣切って最前線に躍り出たアーシェが、それこそ親の仇でも討つが如くヴィラールをメッタ斬りにする。
鬱憤が溜まっていたせいか、のっけから容赦が無い。
愛用の斧でボコるの殿下も迫力があるが、刃渡りの太い両手剣を振り被る王女も雄々しいものがある。
細い肩、細い腕、なよやかな腰……のどこにそんな猛々しさが隠されているのか。
待機組の男二人は「怖えぇ…」と遠い眼をして奮闘するアーシェを見ていた。
ヴァンは勿論、カッコイイー!!とアホ満開な笑顔で声援を送っている。
バーサク状態では無いはずなのに、多少の怪我などものともせずに真っ向からヴィラールに突っかかっていく王女の横で、パンネロは戦うと言うよりもっぱら回復魔法を唱えていた。
が、ようやく敵のHPを半分まで減せたと思ったら……。
「こ、の…ッ!蚊トンボがぁぁぁッ!!」
ビューンとすたこら逃げるヴィラール。
その後ろを猛然とディフェンダーを構えて追い回す殿下。
負けじと後に続いたヴィエラに置いて行かれて、フランとパンネロは同時に溜息を吐いた。
「長期戦になるわね」
「あー…アイツ回復しちゃった…」
やっと往生際をわきまえたのか逃げるのを止めたヴィラールに、パーティー総出で総攻撃を仕掛ける。全く自らを省みない…と言うか頭に血が上って回復に気を使わないアーシェにひたすらパンネロがケアルをかけているうちに。
アーシェの勇猛果敢な剣戟とフランの申し訳程度の槍の一閃でヴィラールを地に沈めた。
「世話になったな、有難う」
尊敬と感謝の篭ったヴィエラの瞳がアーシェにだけ向けられていたのも無理からぬことだった。
ストレスを発散したせいか幾分表情が柔らかくなった王女は「いいえ、貴女の助勢があればこそ早く決着がついたのよ」と、珍しく労いの言葉などかけている。
謝礼を渡したいので後で白波亭まで来てくれ、と言い残し去ろうとしたヴィエラだったが急に思い直してアーシェに向き直った。
長身のヴィエラの鎖骨ほどしか無いアーシェの頬に、屈んで自分の頬を合わせる。

すりすりすり。

硬直する一同を置いてヴィエラは満足そうに微笑んで去って行った。
ギギギ、と音が鳴りそうな感じでフランを振り替えるアーシェ。
「今のは…?」
「あら、知らなかったの…。ふふふ…、貴女の右頬は彼女に奪われてしまったのね…」
婀娜っぽい笑みを浮べて意味ありげに視線を逸らしたフランに、王女は全身鳥肌が立った。
嫌よ…?嫌よ…!?私の何が奪われたって言うの、どういう意味!?
私の夫はラスラだけよぉぉぉ…ッ!と混乱のあまり手近に居たバッシュの襟首を掴んで揺す振りながら亡夫の面影に縋ってしまうアーシェだった。
あまりに面白かったので、フランはアレが「貴女と親しいお友達になりたいです」と言う意味合いだけだったと言う事実を、当分は教えてあげないことにした。
大騒ぎする一同をバルフレアが呆れた顔で一瞥し、投げやりにパンパンと手を叩いた。その表情は、落ち着け愚民ども、とでも言いたげだ。
小脇には「何、何、どういうこと?」と教えて教えてせがむ少年の頭を抱え込んでいる。
「さー、終った終った、一度バーフォンハイムに戻るぞ」
報酬を頂いたらすぐ出発だ、と踵を返した彼に倣って皆が歩き出す中。
パンネロだけは俯いて自分の爪先を見詰めていた。
…さっき、私は何を考えてたんだろう。
自分でちゃんと考えます、と突っ撥ねてフランを避けていたくせに。フランが違う誰かを隣にしているのを見たら……哀しくて、それだけじゃない、苦しかった。
考えなくてはいけないことがまた増えて、パンネロは悲壮な溜息を吐く。
「パンネロー!何してんだよ、早く来いよ〜!!」
ヴァンが振り返って手招きしていた。
その手はパンネロに向かって差し伸べられて、眼差しはどこにも行かずにそこにある。
慌てて走ろうとしたパンネロは、不意に足を掴まれたように立ち止まった。行きたい。あそこに行きたい。ヴァンは今、私を待っててくれる。走らなきゃ。
それなのに、震える足は萎えてしまって一歩も先へは進まない。
焦ってつんのめるように歩き出そうとしたパンネロの肩に、ふわり、と手が重ねられた。
「ゆっくり、私と歩きましょう。皆、どこにも行かないわ」
フランの言葉は強張った心の中を溶かしていった。
そうだ、皆、一緒に歩いてる。こうして私が立ち止まったら、待ってくれる。
父母や兄達や…レックスのように、置いて行ってしまうことは無い。
「私…トロくて…たくさん、時間かかるよ…?」
「ええ、いいわ。それでいい」
するり、と二の腕を滑ったフランの手に、掌を掬われるみたいに握られた。冷たいのに温かな、大きな優しい手だった。
俯いたまま、まだ顔を上げないパンネロの視界にフランの手に柔らかく包まれた自分の手を見つける。さっきとは違う、引き絞られるような痛みが胸に走った。
恐る恐る顔を上げて隣を見ると、フランもパンネロを見下ろしている。
見たことも無い、優しい眼差しだった。
「フラン…」
「私は貴女と歩きたいのよ。私の隣に居てちょうだい」
眼を見開いた次の瞬間には可愛い顔を、くしゃ、と歪めて。
目の前の私の二の腕に額をあてる彼女。…私がどんなに言っても、やはり、彼女は自分で自分の足で立ち走る方法を見つけてヴァンに追いつくのだろう。
私はそれを側で見ていることしか出来ない…、いや、させて貰えない。
健気なものだ。いじらしいものだ。…私はそれが…彼女が、欲しいのだ。愛おしいのだ。
一歩、一歩。ゆっくりと。
パンネロとフランは前へと歩みを重ねる。
種族も年齢も立場も違う、歩幅だってこんなにも違う。
けれど、繋いだ手を握り締めて、二人は寄り添って歩き出した。













end
2011.05.01(再掲)


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