勝気な眉をキュッと引き締めて、一文字に引き結んだ唇。
青灰色の瞳は冴え冴えとした青みが増して、頬は少しだけ強張ってほんのりと上気している。ごくり、と飲み込んだ唾がいやに大きく己の耳に聞こえ。それがさらに羞恥を煽った。
片方の手は関節が白むくらいきつく握り締められ、垂らしたピンクのリボンが指先をくすぐるもう片方は、壊れものを支えるようにそっと。
「結婚してください…っ!」
上ずって少し掠れた声。
もう相手を見据えていることすらできなくて、ぎゅっと目を閉じ。震える手で差し出されたそれは。
ブーケ。
目を瞠り絶句した少女は、零れそうなハニーブラウンの瞳でブーケと少年を交互に見遣る。
ふっくらと卵の殻のように滑らかな両頬が見る見るうちに熟れたトマト色に完熟した。はくはくと喘いだ唇が震えて、息を飲み込む。
「…喜んで」
リンゴ〜ン、と祝福の鐘が鳴り響き。
そっと重ねられた手とブーケ。
世界は今まさに二人のために薔薇色に染め上げられ……

「「ちょっと待った」」

…無かった。
大人気なく同時に突っ込みを入れたヴィエラと空賊に、出遅れた半端な格好で中腰になっている殿下と将軍。
待ったをかけられた方は、きょとんとしてお互いの顔を見合わせ。次いで二人揃って噴き出した。
「なに恐い顔してんだよバルフレア」
「やだな〜、ごっこ遊びに決まってるじゃないフラン」
だってほら、花だってこんなだし。
言われてよくよく見ると、ブーケだと思っていたものはなんと。
カリフラワー。
根元にピンクのリボンを括りつけただけのそれを、ヴァンがくるくると手の内でもてあそぶ。夕飯のシチューに使う具で、材料を切っていたヴァンの…要するに悪ふざけだった。
いきなり差し出されただけで遊びに乗るパンネロもパンネロだが。
なんだ〜驚かさないでよ〜、とほのぼのする殿下と将軍とは対照的に顔の筋肉の硬直したバルフレアとフランは。
ビックリした本気ビックリした、魂消たわ…本当に魂が抜けそうだったわ、洒落にならない遊びをするなよ、あなた達しっかり繋ぎとめとかないとそのうちマジでそうなっちゃいそうな雰囲気あるから恐いのよ。
大人の沽券だとか男の(女の)矜持だとかが、心中に渦巻いた諸々の感情を表に出すのを食い止めていた。
ヴァンとパンネロは無表情にこちらを凝視する二人を誤解して、「今度はバルフレアとフランもかててやるから拗ねるなよ」「…ねえ、ブーケだけじゃつまんないからガータートスとかしない?」と。
そんな遊び是非かたらせて下さい、と頷くバルフレアとフランはそれぞれ後ろから殿下と将軍にツッコミを入れられた。




喧嘩した。
何が発端でどうしてこうなったのか。過程はよく覚えていない。
とにかく喧嘩した。
空合いは中天を越えた太陽が西日に差し掛かる直前の雲ひとつ無い群青。日差しはもっともきつい時刻を過ぎて和らぎ、噴水広場で水飛沫と戯れていた子供達は足を浸したまま石に腰掛けている。
母親らしき女がバスケットに抱えてきたものを覗き込み、歓声を上げて手を伸ばしていた。一番おおきな女の子が小さい子から順に手渡している。
白い粉をまぶした小さな菓子には見覚えがあった。手作りなのか形が歪だが、確かロクムという煉り菓子だ。一番小さい金髪の男の子が顔中を口にして頬張っているのを何気なく見てしまった男。その視線に気がついたのか、青緑色のぱっちりした眼に見上げられ条件反射で口元に笑みを作る。走りよって来た。
「おぢちゃん、はい」
かくっ、と脱力しつつ受け取る。
…いいさ、確かにお兄さんという歳でもない。
頭を撫でて礼を言い、ムスル・バザーに向かって歩きながら口の中に放り込む。
求肥飴に似たもちもちした舌触りにココナッツの風味と、ほのかにドライフルーツの甘味。ところどころ砂糖の凝ったような味がするが、それもご愛嬌。甘ったるい菓子など苦手なはずなのに、旨いな、と味わいながらふと思い出した。
もう十年も前になるか。
あのママゴトに付き合ったのは。
子供、とひとくくりに言っても実際に正確な歳を見た目で割り出すのは難しい。大人の目だと特に。近しい年齢の「子供」からしてみれば一歳の差も大きいらしいが。その時代をとうに超えて、忘れ去って久しい自分には七つも十も同じに見える。
さっきの子供はおそらく…、まだ十にはなっていないだろう。
もしか奴が成人とともに結婚していたら…その年に一子を儲けたとしたら。あのくらいの子供がいることになるのか。そう考えると一気に老け込む気がする。同じことが己にも起こりえておかしくない、ということは男の頭の中からすっぱり抜け落ちていた。
露天に垂れる、赤に黄色に色とりどりの廂の下。
籠いっぱいに熟れた頬を並べているトマト、瑞々しい照りをみせるオレンジ、甘い匂いをさせるマラティア、青々した葉っぱのニンジン、中でも目を引いたのは今の時期珍しい花甘藍…白い花蕾がもこもこと雲のようなカリフラワー。
「いらっしゃい!珍しいでしょう、今朝入荷したばかりのセロビ産カリフラワー。大ぶりで形もいい。サッと茹でてサラダにしてもいい、シチューにしてもいける、炒め物にも最適!一玉、どうです?お買い得ですぜ」
ああそうそう、これで「ブーケ」なんて言ってワァワァ騒いでいたっけ…。
葉の部分がついたまま毟られていないので、男が根元を持って掲げると昔見た即席ブーケに見た目はそっくりである。ああ、リボンが足りないか。思えばごっこ遊びは、幸せな結婚式、で終わりだ。行く先を考えたことは無い。
男はカリフラワーをひたと睨んでいた目を閉じる。
これは遊びだ、と前置きして。有り得ない、有り得たかもしれない、虚構を思い描く。
子供が生まれて貧乏しても暖かい家庭を持って…。
「一姫二太郎三なすび…」
「え?…あっはっは、旦那、あんた面白いこと言いますねぇ。でもね、それを言うなら一富士二鷹三茄子ですよ!」
………悪夢だ。
縁起でもない。なんだ、この背筋が凍るほどの幸福な絵は。
俄かに悪鬼も裸足で逃げ出す形相になった男に、店主のバンガが血相を変えて「い、いいい、いや、スミマセン!何か気に障ったんでしたら謝りますっ」と土下座せんばかりだったが当人は気づいていない。
般若さながらの顔つきで、ふわふわもこもこしたカリフラワーを突き出す。
「一玉、くれ」




個人用のターミナルドックの明かりは落ちていた。
天井の遮蔽板は薄く十字に開き、そこから傾いた夕暮れの空が覗く。昼日中には空の端に引いていた薄い雲がたなびいて、なだらかな漣を刻み斜陽を享けてゆるく光っていた。
見仰いだその十字架に一度目を閉じて、今から行う愚かな遊びの成功を祈る。
出る前と変わらず散らかった制御盤の横の作業場。近寄って、製図台に放置された図面を覗き込む。
主翼と胴体の接続部からグロセア機関への連結、船体の腹の部分から尾翼下に搭載した主砲と新たに固定武装する機銃・機関砲の釣り合いを取るにはどうしたらいいか、航続距離を伸ばすために取り付けたジェネレータの落下式増槽が返って全備重量を重くしてないかどうか…。
蚯蚓がのたうっているような汚い文字で、最高速度、最大加速限度、急降下速度、巡航速度、離艦速度、着艦速度、平均上昇時間、実用上昇限度、最大航続時間、最長航続距離…と細かく綿密な計算が書き込まれていた。
高度と速度を保つ最大の武器として、シュトラールは可動式の「三枚重ねの鷹の爪」と揶揄される特殊な構造の両翼を六基ものグロセアエンジンを全開しても堪えうる重構造にしてあるが、ここに記された飛空艇の設計図には速力をエンジンに頼るのではなく、もっと基本的な…原点ともいえる部分に着目している。
揚力の源である翼についていろいろと捏ね回しているのが面白かった。
男の頬に深い満足と、胸を刺す痛みに似た寂寥の笑みが浮かぶ。
一枚一枚を丹念に眺めて、もとの位置に寸分違わず置きなおした。
さあ、いよいよだ、気合を入れろ俺。…遊びだけど。
手元の「ブーケ」を見下ろして、空色のリボンにおかしなところは無いかチェックした後。誰も居はしないとわかっているのに、なんとなく前後左右を確認してそっと結び目にキスを落とした。
昇降口の前に立ち、ロックを解除する。
しん、と静まり返った船内。開錠した音がしたのにいっこうに開閉しない昇降口を訝って、歩み寄ってくる足音が聞こえる。その硬い具足が船内の床を踏む音に、咥内が干上がった。
こめかみが熱くなり、ドッドッドッ、と早鐘を打つ鼓動が耳元で唸る。
これは遊びだ。
遊びだというのに。
カリフラワーのブーケを少女に突き出した少年の林檎のようだった頬を思い出す。
遊びなのに、遊びとは思えないほど真剣な、演技とは思えないほどの高揚した表情も。なぜなのか、昔は理解できなかった何かが今は解かる気がする。
ああ、喉に絡まる焦燥、胸から上は熱病でもやったかのように熱いのに「ブーケ」を握った指先は冷え凍えて、首から肩にかけては妙な力みが入って痛い。
逃げ出したいほど恐ろしいのと同時に、期待が腹の底から湧きあがって止まらない。
目の前に現れた青年は、昔の面影のまま。だが、もう視線の高さはそう変わらない。鈍色に沈みかけた青灰色の瞳と見合うと、用意した気の利いたセリフは全て忘れた。
「結婚してください」
瞠目して絶句した青年は、男が予想していた困惑も猜疑も見せなかった。
ラバナスタの大聖堂から晩鐘が鳴り響き、紅茶の中を揺蕩うような沈黙の中。微かな衣擦れと、押し当てられた柔らかなぬくみ。
少しだけ擦り合わされ、下唇を吸って離れていく。ロクムよりも他のどんな砂糖菓子よりも甘い余韻。
「喜んで」
って言うか、俺もうあんたとそういうつもりでつるんでたけど?と笑う青年に、もう一度。今度は深く眩暈がするほどに。













end
2011.05.01(再掲)


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