ヴァンがウォースラに纏いついては追い払われている。
追い払う癖に煩がっているかと言えばそうでは無く、少年が押し付けた籠を律儀に携えてキノコや木の実の採集に手を貸している。時に軽口を笑ってもいた。
鬱屈とした翳は相変わらずウォースラに付き纏っており、その陰影の深い無骨な顔立ちを更に嶮しく見せていたが、数日前の夜を境に何かを吹っ切ったかの如く、今はとげとげしかった気配を穏やかに隠していた。
「もうこの位で大丈夫かしら。ね、小父様」
思索の淵に立ってた意識を、つんつんと裾を遠慮がちに引く小さな力に引き戻される。
振り返ると、少女が私の腕の中の籠に薬草が溜まったのを覗き込んでいた。満足気に見て笑って「これなら今夜のお料理の分も賄えそう」と呟いた。
その笑顔は注意して見ればどことなく強張っている。けれど、和やかに努めようとしている彼女の姿勢は、この不思議な組み合わせの道行きには救いに思えて、私は黙ってその厚意を受け取っている。少年にも言えることだった。
「これでポーション風美味しい栄養ドリンク作るんです。私、料理は当たり外れ激しいらしいですけど、お薬作りは得意なんですよ!
…王女さま、疲れてても文句も言わずに飲んでますけど…やっぱりポーションって、あの独特の風味があんまり美味しくないですよね。だからどうせ滋養の為に飲むんだったら少しでも飲みやすいのがいいかなって」
「そうか、殿下の為に…。すまないな、気を遣わせてしまって」
「あ、いいんです、いいんです!私やヴァンも飲むんだし…。
小父様、よかったら後で出来上がった物、味見して頂けませんか?」
「ああ。私で役に立てるなら勿論」

請け負うと、パンネロは先程よりも打ち解けた笑みを寄越した。
彼女は「えっと、じゃあ、そろそろ戻ろうかと思うので、ヴァンとアズラス将軍を呼んできてください」と言って、魔物避けを施した砂岩に腰掛けて砂の波間を茫洋と眺めている殿下の元へ駆けて行った。
…私が彼らを注視していたのを、彼女には悟られていたのだろう。
気を緩めているつもりは無いが、目敏い少女に口実を貰ってしまい、私は些か情けない気分で採集もそこそこに見晴らしのいい小高い砂丘の上で二人並んで何か話し込んでいる彼らの元へ歩いて行く。
程なくこちらの足音と気配に気付いたウォースラが、ちらりと一瞥をくれる。
彼の視線を追って私の姿に辿り着いたヴァンは、何に驚いているのか目を丸くした。戸惑ったふうにウォースラと私とを見比べていた彼は、採集したキノコなどが入った籠を引っ手繰って私を追い越しざま「俺、先に戻ってる!」と慌てて砂丘を駆け下りて行った。
「なるほど」
「うむ?なんだ?」
「いやこちらの話だ」
苦笑に近い、やや揶揄の混じった笑み。以前はもっと身近に感じていた笑い方が、今は久しぶりだった。状況が状況なだけに思うだけ詮無いことではあったが…。
日が暮れ始めた砂漠の地平線は、昼間襲ってきた砂嵐のせいか境界線が曖昧にぼやけている。それでも傾いても強烈な陽射しを持つ斜陽は、みるみる遠く駆けて行く少年の影を長くしていた。
「…守るべき者か」
ウォースラの感情の褪せた声音が、やや険を含んでいるのを聞きとがめ、私は歩き出そうとしていた足を止めた。
振り向く前に隣に並んだ朋友は「あれはお前の救いか」と聞いてきた。
幾つもの『縁』がヴァンと私との間にはあった。奇縁と私は彼に言ったことがあったが、本当に不思議な縁が私と彼とを結びつかせ…、ここに在る。
救い、だろう…今も確かに。彼が居なければ脱獄することは叶わなかった、彼が私を責め打擲し許してくれなければ…、今の私が私で在れたかも最早わからない。…ヴァンは脱獄してからずっと心身休まる時無く前へ進み続ける私を強いと言うが、強く在らせて貰ったのだと私は思っている。
「お前にはそうで無いか」
途端に朋友は不愉快そうな顔で鼻白む。
辟易している様子を隠しもせず「俺は貴様と違って民衆の一欠片をその全てだと思って守ろうとは思えん」と吐き捨てる。誇り高き王家の気高き騎士たる気韻は、どれだけ困窮し苦艱に苛まれても折れることは無いようだ。
もともと民草に近く、亡国から落延びて剣一本で成り上がった身でもある私は、ウォースラと私の考えの違いに、相変わらずだな、と苦笑する。が、暢気にしていられたのはここまでたった。
「だから、たった一人の見習い騎士の命の上に、数多の騎士達、同志達の団結と殿下の歩まれる道が在ったのだ。お前が戻った今は、少なくとも俺はレックスを死に追いやった己の罪を知っているが」
それはあの小僧も知っているぞ、と言われ瞠目した。
内心の狼狽と、何故話したのかと責める気持ちは、微かに眉を顰めただけでもウォースラには伝わったらしい。
「あれには知る権利がある。…お前に守られ庇われているだけが権利では無かろう。知らずにいる方が救われると言う真実でも、あれは知りたいと望む…そんな性質だ。そう思って全て話した」
似ている、とは皮肉だったのか揶揄だったのか。
ヴァンとウォースラはこの所、やけに距離が近く…親しくなったと思っていた。なのに蓋を開けて出てきたのは、安穏とは言い難い話で、だんだんと表情が嶮しくなっていく。
「…それで」
彼は泣いただろうか。
私にしがみつき、背中を掻いて弱さを曝け出すヴァン。そんな顔は殿下と再会してから全く見なくなっていた。
ウォースラは私から視線を逸らし、砂に濁った赤い地平線へと顔を向けた。
「レックスを生贄にした俺を恨むと。憎むが…、その気持ちはここに捨てて行くと」
目を閉じた瞼の裏の冥色に、さまざまな感情が躍った。
砂を踏む音がして目を開けると、ウォースラはまだ砂と雲に覆われた赤黒い夕陽を見ていた。睨んでいた。
ふと、その峻烈な眼差しが揺らぎ「俺は侘びなど言わなかった。言わせて貰えなかった。…だが、俺は赦されたのか」と零す。一瞬だけ震えた声は呻き声に近く、悔恨と慙愧の念に満ちていたが、ウォースラはそれを恥じるように「…戻るぞ。その為に呼びに来たのだろうが」と私に背を向けた。垣間見せた弱さを、一切を振り捨てた。
背中は私を…、いや全ての他者を拒絶していた。













end.
2011.11.07


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