レイスウォール王墓で手にした神授の力。
覇王の遺産、王家の証。ダルマスカ再興への希望…破魔石。
手にした時のその重みと圧倒的な存在感。だからこそ奮い立つような力を感じた。
やっと、やっと手に入れた力に、私は歓喜した。
命を賭してダルマスカに尽くした騎士たちに…あの人に…任されたような気がした。この力で祖国を奪還し、帝国の支配からラバナスタを解放する。
「やっと…」
ラスラとの誓いを果たせると、そう思ったのに。
ギーザ、オズモーネを越えての旅をおして更なる遠路は辛かろう、とのガリフの最長老からの申し出を受けて里に留まったけれど…。
これから私は、どうしたら…。

『その石は長年たくわえたミストを放ち力を失っておる』

もう失意も絶望も、私にとっては馴染んだ感情となっていた。
足元が瓦解していくような失墜感を感じながら、私はただ凍える心を抱えて黙って石を見つめた。
一人で考える時間が欲しくて、無理を言ってバッシュに人払いをしてもらった。でも、いざこうして一人になってみると途端に心細くなる。
篝火の荒々しく、どこか温かみのある明かりに慰められながら、青白い月影に照らされる桟橋に向かって歩く。
「暁の断片」を得て、神授の力を得て。
強くなれたと思ったのに…希望は虚しく潰えてしまった。
無意識に爪を立てて握り締めていた掌を開くとすっかり荒れてかさついた皮膚に赤い線が入っていた。歪に伸びた爪はざっくりと切り揃えただけでろくな手入れも出来ていない。
苦労の嵩んだ手をしていた。今まではどんなに困窮してもここまで酷くはならなかった。それがどんなに大変な心遣いと気配りの上にあったのか、今となってはねぎらいの言葉をかけることの出来ない亡き臣下のことを思うと一層自分が情けなかった。
ウォースラ、貴方は国の存続を第一に考えてくれる筋金入りの王家の騎士だった。神授の力に適う資格を有するには私は頼りなさ過ぎると思ったのね。
いつだって貴方は私を庇ってくれた。落延びた王族の末として成さねばならぬ時と場が整うまでは私が全て背負います故どうか心安らかに我らを見守っていてください、と解放軍の総指揮を執る重責からも庇ってくれた。何もかもから、救おうとしてくれた。
彼が私を見限って…、いえ、そうでは無いわ…私の王族としての資格の至らなさを憂慮して、国と王家の存続の為に帝国と交渉を持った、その心も解からなく無い。
同志として辛い時期を共に乗り越えてきた仲間だから。
道はたがえてしまったけれど、国を想う心は同じだから。
だから今は彼の心を理解している。
解かるからこそ、貴方の手を取れなかったのよ…ウォースラ。
敗戦から2年。帝国に蹂躙されるダルマスカを目にしながら、ただ絶望に身を竦ませるだけで何もできなかった。
市井に身を窶し王族としての誇りも使命も地に貶しめられ、大義に殉じた騎士達や父の、何よりも圧制に苦しむ国民の無念を晴らすことも適わずに。
その上、私の至らなさ故にかけがえの無い忠臣を喪ってしまった。

『力の失せた、虚ろなる石。
飢えておるな…、空しさを満たそうとあらゆる力を求めておる』

まるで今この掌にある冷たい石は私の心のよう。
私の刃は破魔石、とは我ながらよく言ったものだ。神授の力を失い、再興の希望を失って…うつろな心は今も、それに代わる力を求めてる。
私に力があれば、力さえあれば…屈辱に甘んじることもなかった。
ラスラとの誓いを違えることもなかったのに。
共に支えていくと、ダルマスカをナブラディアを…私達の愛する祖国を守っていくのだと。
私はナブラディアを愛し、彼はダルマスカを愛す。私達にとって掛け替えの無い大切なものを互いに愛し裏切らない。本気で真心から誓い合った。
彼は戦った。
命を懸けて、私との誓いを果たそうと。
私は誓いを果たせずにいる。
彼の様に戦うことすらできなかった。…無力だった。ただ思うばかりで。…私はあの時から何もかわらない。かわらず弱いまま。
ラスラ、私はどうしたらいい?
誓いを守れずにいる私を不甲斐無いと思っている?
貴方から託された「暁の断片」はただの石と成り果ててしまった。
光明の差しかけた前途は閉ざされ、今はロザリアとアルケイディアの大戦を避ける為に帝国に…私の祖国を奪い貴方の故郷を破壊した帝国に友好を訴えろと。
屈したくない。
貴方のように戦いたい。
私は解放軍を結成した時に新たに誓った。もう何も喪わない、と。奪われたものを取り返し、帝国と戦うと。今度こそ祖国を誇りを守り抜くのだと。
導いて欲しい、私を。
あの王墓の時のように、私に力を。


「ラスラ…!」


月光に幽く佇む姿は、出陣の時の彼のまま。
レイスウォールで見た彼の姿と同じく儚い夢のようで。
駆け寄った私は、こちらを振り向いた彼を確認して…息を呑んだ。
「あの人が見えたのか?…王墓の時みたいに」
「やはりあなたにも…」
困惑した。
だって彼は…ヴァンは、ラスラとは似ても似つかない。
なぜ見間違ってしまったのか…。
それほどに、今の私は心を挫いてしまっているのか。
篝火のはぜる音だけが微かに聞こえる中で、私達は始めてこんな風に静かに向き合っていた。
話す機会など幾らでもあったけれど、私は彼に…気後れを感じていたから。
ヴァンはダルマスカの民でラバナスタ市民で…そして戦災孤児。
もともと両親を流行り病で亡くし、唯一の肉親である兄と共に貧民窟で暮らしていたが、その兄も兵に取られて命を落としていた。帝国占領下で締め付けが厳しくなった地上では暮らし難くなり、止む終えず今はダウンタウンの住人だと聞いた。
私の弱さの罪が、ここに具現化している。
ヴァンと関わることは、過去の私の…今現在も、と言った方がいいのだろう…、国を守ることの出来なかった、その罪と向き合うことだ。圧制に苦しんだ民は荒廃を許した王族を責める資格がある。彼も…パンネロも私を詰る資格がある。
本当はここまでの旅の間ずっと恐ろしかった。
ラバナスタに立ち寄った際も、ダウンタウンの住人や子供達と接する彼らを避けた。彼らと向き合うことから逃げた。
私が避けているとわかっているはずなのに、彼は私に優しく…と言うと語弊があるけれど、柔らかかった。
苛立ちと焦燥に任せて必要以上にキツい言葉を向けてしまっても、笑って流してしまう。時に落ち込んでもさっさと忘れてしまう。
彼は本当に愚かで…本当に優しい。
こんな時に、ピリピリしている私に何を言われるかわからないのに、わざわざ言葉などかけて。
ヴァンは先ほどからとても言葉を選んでいるように思える。短い付き合いしかないけれど、彼は奔放な性質だと知っているから…。私に気を遣っているつもりなのかもしれない。
何度も止めてと言っているのに、まだ「お前」と呼ぶし。最低限の礼儀というものを解かってはいないようだけど。
「でも、もうやめる。逃げるのはやめる」
真っ直ぐな眼差しを向けられて、胸を掴まれたように苦しくなる。
ああ、この眼差しを知っている。
彼も…私に何も言わずに行ってしまったラスラも。
こんな風に私に視線を贈り、戦地へ向かった。これは覚悟する者の目だ。
「…オレの未来をどうするか。その答え、アーシェと行けば見つかると思う」
「見つかるかな…」
「見つけるよ」
私に頷き返し照れたように視線を逸らして橋の下を眺めるヴァン。
何も知らぬ気に、いつも笑っている彼が胸の内に、こんなにも深い澱を抱えていて。そしてそれに向き合おうとしている。
この覚悟も、直向さもある種の強さなのかもしれない。
「頑張ろうな!」
底抜けに明るい優しい笑み。
私にはまだ無い覚悟を、すでに得た力強い瞳。
…明日、ラーサーにブルオミシェイスへ共に向かうと告げよう。
彼の様に覚悟することはまだ…私にはできないけれど。今は立ち止まる時ではない。現状で出来ることを模索しよう。
隣で取り留めなく話すヴァンは、ついさっきまでの真剣な顔がまるで嘘のように幼くて。普段なら呆れてしまう所だけれど、その横顔を黙って見ていたら凍えた心が溶けていくのを感じて、久しぶりに自嘲では無い心からの笑みを浮かべた。




アーシェを待ってた。
バルフレアには「ひっ掻かれるぞお前」と皮肉言われたし、フランには「言葉を十分に選ぶことよ」と忠告された。パンネロは俺が何を言いに行く気か解かってるみたいで、不安そうにしてたけど握り拳で「頑張って!」と応援された。
いや…まだ殴られるって決まったわけじゃないんだけど…。
あー、でも生意気言いに行くんだし、アーシェも今日はいつもに増してピリピリしてるだろうから、やっぱボコられるかな。バッシュに痛かったかどうか聞いとけば良かったかも。…いや聞いた後だったら一層怖くて近寄れないな。いい音したよな〜…あの平手打ち。
…まあいいや、それでも。一発ぐらいならポーション要らないはず。
人払いを命じられてるバッシュに無理を言って通してもらったわけだけど、あまり心配するもんだからちょっとムカッときて「それなら草葉の陰からコソっと覗いてろよ」って言っちゃった。
だからもしかしたら、その辺に隠れてたりする…かな?
俺が粗相して神経逆立ってるアーシェにブン殴られる心配の方が8割って感じだったけど、殿下殿下ってあんまりうるせえんだもんバッシュ。お前は犬か!ての。ウォースラのおっさんをあんな形で失って、気落ちしてるっていうか…アーシェはすごく自分を責めてるし、だからいっそう殿下は私がお守りせねば!って気負いこんじゃってるんだよな…。
あんま良くないと思うけどな、そういうの。なんだっけ、同じ轍を踏む、って言うんだっけ。なんかすごく嫌な感じするんだよなー。俺の取り越し苦労ならいいんだけど。
まあバッシュには俺との約束だってあるわけだしウォースラの二の舞にはならないと思うけど。つか飼い主見つかったからって忘れてねえだろうなあのおっさん…。
背中にバッシュのものと思われる視線を感じつつ里の奥を目指す。
今日と言う今日は言っときたい事があるんだよ、アーシェに。
「今、言っといた方がいいよな」
夜陰の中で篝火の炎に照らされてそこだけぽわんと橙色に見える桟橋の奥の最長老の天幕。
まだアーシェはあの中に居る。
このところ…というか最初から、王女様が俺たち下町育ちの貧民と距離を置きたがっているのは知ってた。
俺もパンネロそういうのは敏感なんだ。
少しでも悪意に敏感じゃなきゃ、貧民窟じゃやってけない。勿論ダウンタウンでも。
でも、だからこそアーシェが差別的な意味で俺たちを嫌がってる訳じゃ無いって事も解かったんだ。
避けてるのは嫌だからじゃなくて。
パンネロが言うには「怖がってるみたい」なんだって。あの王女様に怖いものなんてあんのかな、とか言ったらデリカシーが無い!ってデコピンされた。そして悲しそうな顔で「私達はイレギュラーだから…仲間にしてもらえないのかな…」と寂しそうに呟いていた。
いれぎゅらーってどういう意味かわからないけど。
本当ならこの旅には無関係のはずの俺たちがその、いれぎゅらー、ってヤツなんだろうなー…と思って俺もちょっと凹んだ。
シヴァが堕ちてラバナスタに一時戻った俺たちは、そのまま街に留まって普通のいつものちょっと前までの穏やかで退屈な日常に戻っても良かった。…俺はそれが嫌だった。
せっかく、2年前とこの2年間に決着がつくかもしれない。
今までは諦めるしか無かった真実に近づけるかもしれない。
何よりひらかれた世界への扉を、求めていた自由へのカギを捨てたくなかった。
ずっと忘れたくて忘れたくなくて、向き合うことから逃げて逃げたいのに考えずにはいられなくて。だけど、無力で何の力も無い俺は、虚しいばかりで…。威勢の良いこと言って虚勢張るくらいしか出来なかった惨めな俺に戻るのは嫌だ。カッコ悪い。
パンネロは俺が巻き込んでしまったようなものだから、アーシェたちにくっついて行く前にちゃんと言っとかないと、って思ってラバナスタを発つ前にこっそり相談した。
「ふーん…。あ、そう。ヴァンの好きにしたら?」
プイっと顔を背けられて、ずんずん先を歩くパンネロの背中はもの凄く怒ってて。叱られることはあっても温厚なパンネロを本気で怒らせたことは無い俺はもうオロオロして右往左往した。
取り敢えず後ろを付いて行ったけど、声をかける勇気は無くて。
パンネロの背中の羽を引っ張った。
「…何?」
「お、俺はアーシェたちと行く!だから…」
「だから?」
「だから、その、パンネロも…行こう?」
「え!?」
振り向いたパンネロに目を皿のようにされて見られた。
当然だ、あんな危険な苦労だらけの旅を終えてやっとの思いでラバナスタに帰って来たのに。…あー…どうしよう、愛想尽かされるかも俺。
ビクビクしならが反応を見ていると、パンネロは俯いて溜息を吐いた。
「ヴァンはいっつも黙って無茶やって失敗して…。私がどんな気持ちで後ろに付いてってるかなんてちっとも考えてないんだろうな、って思ってた」
…ごめん、それ正解。
こんな事でもなかったら、一大決心してアーシェ達に付いて行こう思わなかったら。多分きっと今も自分のことばっかでパンネロの事なんて考えたりしなかったと思う。
「もう一人は嫌って言ったでしょ?
ヴァンが行くなら私も行くよ。行きます。行くしかないでしょ…心配だし」
迷惑かけてゴメンナサイ。
面倒ごとに巻き込みまくって、更に一緒に行こうとか言ってスミマセン。
もうひたすら小さくなるしかない俺。
「さっきはまた自分勝手に決めて私の事置いて行く気なんだって思ったから、頭にきちゃったの。…私もこのままラバナスタに戻りたくないんだ」
顔を上げたパンネロは酷く物憂げだった。
こんな風に沈み込んだ表情を見るのは久しぶりで、俺はそわそわした気分になる。大変だ、慰めないと、どうしよう。挙動不審になった俺を見てパンネロは「もー…、情けない顔しないの!」と苦笑しながら肩を叩いた。
「私もヴァンと同じよ。今、覚悟を決めてるの」
「覚悟…?」
俺、そんな大層なことしたっけ?
そう思ったのが顔に出てたのか、パンネロに呆れたような目で見られる。
「私達、前に決めたよね」
「ん?」
「悲しいことは言わない、って」
悲しいこと、はたくさん。
戦争が始まって、パンネロの兄弟が戦線から還って来なかったこと。
敗残兵を一時的に店の倉庫に匿ったことで反乱分子と見做されてパンネロの両親が殺されたこと。ナルビナに従軍した俺の兄さんが…失意の中で死んでしまったこと。間もなく帝国軍の圧政が敷かれて、住む場所を追われてダウンタウンに行くしかなくなったこと。
泣いてる暇があったら生きる為に稼がないと!ってことで、俺たち二人はお互いに凹むことは言わないと約束し合った。
「毎日、忙しかった。ダウンタウンの子供達の面倒も見なきゃいけないし。
ミゲロさんのお手伝いも、他のお店にも御用聞きに行ったり、片手間にしょうもない悪戯するヴァンに怒ってみたり」
しょうもない…、うん、そうですね。パンネロには俺、頭が上がらないよ。
と言うか今後は足を向けて寝られません。
「ヴァンはいつも笑ってたし、私も笑っていようって思って。
でも、結局それは逃げてるのと同じ。悲しいこと、考えないようにして。
無かったふりをしても、心の何処かでビクビクしてた。ラバナスタに新しい執政官が来た時、とても怖くて…ああ私、忘れてなんか無い、今も辛くて悲しくて憎くて、でも何もできなくて虚しい…そう思ったの。
こんな風に王女様たちと関わらなかったら、私はまたソレに蓋をしてた」
臭いものには蓋ってヤツだな。…あれ、ちょっと違う?
見てみぬふり…か、パンネロもやっぱり同じだったんだ。
ああ俺って本当に情けない。パンネロより一個年上なのに、お兄ちゃんなのに、ずっと一緒だったのに。自分のことで精一杯で全然…。
「ラーサー様に出会って、王女様たちと旅をして。
しんどいこともたくさんあるけど、凄いなーって、世界って広いなーって、吃驚したり感動したりすることもたくさんあった。
私は飛空艇なんて興味なかったけど初めて空を飛んで…とっても気持ちよかった。ヴァンが夢中になるのも納得!って感じ」
追っ手から逃げてる最中に何を悠長な…って怒られそうだけど、と少し肩を竦めて見せる。
よかった。嫌なことばかりじゃなかったんなら。何より空を気持ち良いって思ってくれて。
パンネロが俺の手を取って、小さい頃してたみたいにギュッと握る。
「帝国は怖くて嫌!ってそればっかりだったけど。
ラーサー様みたいに穏やかで真っ直ぐな人も居るんだって解かって…興味があるの、この先がどうなっていくのか。
王女様にバレたら興味本位なんて許せません!て怒られそうだけど。だけどこの国の行く先に縋るものの無い今の私たちにはその程度の理由で充分だと思わない?
怖いけど、きっとこの先も迷ったりするけど、このまま旅を続けたら…私、変われるかもしれないって。
ビクビクしてるだけじゃなくて、乗り越えて…。
…一人じゃ心細くてもヴァンと二人でなら、怖いのも半分だしね」
俺の幼馴染はピカイチだ。
正直、俺も一人ではビビってて…そんな気持ちも解かってくれる。
パンネロの手を強く握り返して、俺たちはミゲロさんに挨拶に行き、皆が微妙な顔で物言いたげな視線を向ける中、何食わぬ顔で旅に同行した。気付けばそこに居た…ふうを装ってここまでどさくさに紛れて付いて来たものの、やっぱりこの辺でちゃんとアーシェに話を通しておきたい。
で、俺が先陣切ってアーシェに今夜、挑んでみるわけだ。
女の子を矢面に立たせるわけにいかないだろ?
何もこんな日に…、って感じだけど。ひっ掻かれるのも打たれるのも覚悟の上だ!気合入れろ俺!男を見せろ!頑張るぜパンネロ!でももしかの時は骨は拾ってくれ…。
ドキドキしながら桟橋に立っていると、アーシェが天幕からこちらに歩いてくるのが見えた。
その顔は篝火の橙色の明かりを受けていても、白くていっそ青白いようにも見える。…こりゃ相当、凹んでるよ。大丈夫かな。
アーシェ自身の心配とこの後の俺の行く末を思って戦々恐々していると、不意にアーシェが足を止めた。
硬直した表情を泣きそうにひき歪めて。
この表情には見覚えがあった。


「ラスラ…!」


レイスウォール王墓で王子の幻影を見た時のアーシェ。
俺に彼の面影を重ねて見る彼女を見て、普段からは想像できないとても脆い女の子の顔を見て…胸が痛んだ。奪われてどんなに口惜しかっただろうか。苦しくて情けなくて辛かっただろうか。アーシェはラスラ王子の命が帝国に奪われてからずっと…、今まで数限りなく奪われてきたんだ。喪ってきたんだ。それがやっと報われる為の手懸りとして掴んだ破魔石をまた奪われて、一番心の支えにしてたウォースラまで亡くして、どんなに寂しいだろう。
パンネロの言う通りだ。アーシェだって何もかも失ったんだ。俺と…俺たちと同じで。
似ている、なんて思ったことがバレたらプライドの高いアーシェのことだから絶対に引っ叩かれるだろうけど。
俺が兄さんの幻を見たのはきっと俺が破魔石の力を求めていたからだ。だからアーシェもその力を求め続ける限り見るはずだ…、ラスラ王子の幻影を。アーシェは破魔石の見せる過去の幻影にどんな意味を見出しているんだろう。
桟橋の上で俺たちは色んな話をした。
初めてアーシェが怒る時以外に俺とちゃんと目を合わせてくれたから、嬉しくなって下らない与太話もたくさんした。
どうしたことか今夜の王女は寛大で、俺たちは穏やかな雰囲気のまま「おやすみ」を言って別れた。…後は任せたパンネロ。
天幕で王女を待っているはずの幼馴染にエールを送った。




宛がわれた天幕に戻るアーシェの背中を見送った俺は反対方向の木陰に歩いていく。すぐに目当ての人が姿を現したので呆れた。何となく視線を感じていたし、途中からそれを隠そうとしなくなったからわかっちゃあいたが…。
「あんた、本当に覗いてたんだ」
「す…」
「『すまない』はいいよ。仕事だもんな。そりゃ夜中にアーシェ一人じゃな」
先手を打ってツンケンした言葉をぶつけると、バッシュは困惑してやはり「すまない」と言った。
舌打ちして歩き出すとついて来る。…おい。ついて来んな。なんだよ。
ご主人様は向こうだよ、さっさと追い駆けて行けよ。苛立って歩幅を広げて一気に離れようとすると、後ろから利き手を掴まれた。ゾッと怖気を震って振り放しざま「あんたよく騎士やってて相手の利き手握ろうなんて真似しやがるな」と言ってやると、バッシュはそんなこと考えも及ばなかったと言う顔でびっくりしていた。
…本当にこいつのこう言うところがムカつく。
そりゃあんたに習うまでまともに剣も握れなかった俺だけど、ナイフはまだあんたよか巧く扱う自信あるんだよ。俺のこと必要以上にガキ扱いして軽んじるのを止めろと言いたい。すっげー汚い言葉で言いたい。こいつの中ではキラキラで稚くてやわやわなんだろう俺の形したふざけた幻想叩き壊したい。けど…
「すまなかった」
「………。」
その叱られた犬みたいな表情やめてください。
ドン引きしたのと距離を置きたくなったのと出所不明の罪悪感で、思わず敬語でつるっと言いそうになったのをグッと飲み込む。
じっと見下ろされて後退りたくなる。これだよ。これのせいでいつも言えないんだよ。
いい歳してなんなんだよ。可愛いと思ってんのか可愛いよ許す。
「あのさ…ちょっと、いい?」
「なんだ?」
俺は今日、頑張ったんだ。あのアーシェ相手に命の危険も顧みず苦手だけどシリアスに決めて来たんだ。ちょっとくらいご褒美、欲しい。俺にだって旅の仲間にこんな深刻なことがあった夜にそういうつもり無かったんだけど、今ので欲しくなっちゃった。
「背中貸して」
頭に?をくっつけるバッシュを強引にその辺の飼料蔵の陰に押し込んで後ろ向かせた。
目の前の広い背中に心置きなくしがみつく。温かさに頬を弛めて額を押し付けていると、バッシュの背中が緊張した。何か身構えているふうだったけど、気にせずぺたーっと抱きついたまま寄りかかる。
…こんなことしてるからバッシュにガキ扱いされちゃうのか俺は。だったらバッシュばかり責められないな。全身で凭れてもびくとも揺らがない硬いけど温かい背中に頬を預けて目を閉じていたら、不意にどうして犬みたいにアーシェの後ろをついて回るバッシュに苛々していたのか理由が腑に落ちた。
アーシェは強そうで脆くて、でも強くあろうとしてるのに。それなのにバッシュが構うことで、俺はアーシェが弱くなるんじゃないかってムカついてたんだ。必要以上に気を回したり甘やかしたりするのは返って背伸びしようとしている人間からすると軽んじられてるみたいに思えて、たとえ混じりけなしの純粋な厚意だって腹立たしかったり困惑するだけだったりするもんだ。
俺はアーシェに弱くあって欲しくないんだ。
…ウォースラを潰したみたいにバッシュを潰して欲しくないんだ。
「…そういうことは前からしてくれ」
脇から胴に回した手の甲にバッシュが手を重ねてきた。目を開けて見上げると篝火の灯りから遠い暗がりでもわかるくらい耳朶が赤い。
ちょっと真面目な思索に耽りかけてたのに、いろいろと不真面目な浮ついた感情が湧き上がってくるのを抑えられなくて考えてたことが全部吹っ飛んでしまった。
えっ…。いやー、さすがに今夜は…、ここでは、ねえ…?
「抱きつくだけでは寂しくないか?」
こ、これはもしかして。あれ?え?さそっ……。ええー…マジか。どうしよう。
そりゃあ可愛いな抱っこしたいって暗がりに連れ込んだのは俺だけど、分別くらいあるからさ。
この頃全然してないからかな。…だってあんたやるとなったら凄い癖にする前は往生際悪いって言うか、とにかく躊躇するじゃん。ウォースラが居なくなってからこっちアーシェもあんたと距離を詰めざる終えなくなってお互い相手を量りあってるみたいだったから、こっちも遠慮してそんなに誘わなかったのに。
背伸びして目の前の金髪の後ろ髪にそっと鼻先を寄せると、草いきれの充満した空気の中でもバッシュの匂いが嗅ぎ取れた。いいんだろうか…。
腹の上を滑らせた掌でシャツの内側を撫でようとしたところで「残念だ。このままでは君の頭を撫でられない」と言われて、俺は脱力した。
そうか、そうだな。あんたそう言う奴だよな。
「…………」
「肩を抱き返してやることもできないし」
「………………」
「背中をたたいてもあげられないな」
「……………………〜〜っ」
ガバっと身を離して、前に回りこみ突進する勢いでバッシュに抱きついた。
しっかりと抱き返される肩と背中、髪に感じる吐息の暖かさにバッシュが笑ってるのだと知った。…口惜しいけど気持ちいい。くっそー、弄ばれた気分。バッシュは俺が敗北感と羞恥心と脱力感に浸ってるなんて想像もついてないんだろうな。あーあ…。
払拭しても余りあるくらい、気持ち良いからいいか。細かいことは気にしないんだ!俺は懐の大きい男だからな!!
「…ありがとう」
胸の中に収まって懐いていると、いきなりバッシュにお礼を言われた。
何か有り難がられるような良いコトしたっけ??
不思議に思って顔を上げ、こちらを見ていたバッシュと目が合う。
同時に固くて大きな掌で髪をかき上げられて、冷えた夜の空気の中で触れる体温にゾクゾクした。また変な気分になりかけるから、背中はともかく腰を撫で回すのは止めて欲しい。
「私では殿下のお心を宥めて差し上げられなかっただろう」
「…そういうつもりじゃないよ」
別に慰めようって思って言ったわけじゃない。
それどころか玉砕覚悟で生意気言いに行っただけなんだよ、俺は。
居心地悪い思いがして、そそくさとバッシュから離れようとしたけどバッシュは俺を放してくれなかった。
耳元に低く囁かれる。
「私は殿下が転ばれるたびに靴紐を結って差し上げるつもりは無いのだ」
「え…」
それって、アーシェのことをウォースラがしてきたようにまでは甘やかす気は無いってことか。
エンサ砂漠で初めてビバーク地点を決めて天幕を張った日、アーシェの前に跪いて「お靴を…」とやったウォースラのことを見て爆笑した俺と、笑われた意味を察して顔を真っ赤にして怒鳴ったアーシェのあの一幕を見られていたのか。
普段馬鹿にしてる俺から指差して笑われたのがよほど屈辱だったのか、それ以来アーシェは自分の世話は自分で焼き始めた。
ウルタンエンサ族しか耐えうるものでは無いとされるほど厳しい環境を、臣下に甘えることなく踏破したアーシェは気位ばかり高い王族と言う俺の偏見を見事に突っ撥ねてくれて、その行動に裏打ちされた自尊心の高さと意地を貫き通す強情さには感心したものだ。
「転んでも…、何度転んでも自ずから起き上がって先を見据え、御決断頂きたいのだ。だから今この機会に安易にお慰めすることが殿下の御為になるかと踏み切れなかった」
「ふーん。あんた俺が思ってたより……」
言いかけて止めた。顔を上げようとした俺の頭を掴んで伏せさせる手が、やんわりとだけど絶対に仰のかせてくれなかったし、前髪掠める溜息がとても辛そうだったから。
「いいんじゃねえの?それでいいんだよ、たぶん」
「…そうか」
「たぶんね」
「……うむ」
それからは無言だった。よく干された乾いた牧草の匂いと草いきれの匂う飼料蔵の廂からは、降るような満天の星空が覗いていたけど、俺達はお互いの肩口に額を押し付け合って相手の体温と匂いとに寄り添って目を閉じていた。














end 2011.05.01(再掲)


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