仰向けにゴロンと寝転がる。
昼間には崩落した天井の岩の隙間から、陽光が薄い光のヴェールのように広間を照らしていた。こうして夜になって見上げてみても、月と星の明かりをあつめたようにぼんやりと天井が明るく見えるのはなぜなのか。
「ヴァン、食べてすぐ寝るとウシになるよ」
食器を片付けていたパンネロに小言を言われて。んモ〜〜、と鳴き真似をしてみせる。
吹き出しかけて思い止まり、精一杯のしかめっ面で「遊んでないで、起きる!…いまにコッカトリスみたくぶくぶくに太っちゃうんだから」とお説教する少女。
が、これにも少年は器用に如何ともし難い鳴き声を形容してみせて。
「…呆れた。よくコッカトリスの鳴き声なんか真似できるねー」
「これでも”愛の羽”一級ですから。免許皆伝ですから」
「え〜…。何その爽やかな笑顔。気持ち悪い。そういうの、全ッッ然似合わないよヴァン」
「『ッ』を二つも入れなくてもいいだろ!?二つも!!」
ただ、どうして天井が明るいのかなぁ、って気になって寝転がって上を眺めてみてただけじゃん!
自分ではカッコイイと思ってる微笑を「気持ち悪い」言われてムカッとして、何のかのと言い争っていると「何で寝るとウシなんだろう。他のじゃ駄目なのかな」とか妙な方向に話は末広がって行った。
「なぁ、なぁ、バルフレア〜…」
食べてすぐ寝るとウシになるのは、どうしてウシなんだ〜?………とは、聞けなかった。
物凄く沸点に近い位置まで不機嫌のボルテージを上げた鷹の眼光が、ギロリ、とこちらを睨んでいたから。そんな…、そこまで…、怒らなくったって…。
なので質問を変えてみた。
「……どうして夜なのに、天井がぼんやり明るいんだ?」
急遽、真面目に素朴な疑問に切り替えたお陰か、少しだけ剣呑な視線が和らぐ。
手にした本に目を戻し、さらさらと答えた。
「地下迷宮に入る前、洞穴を通ったときに白く発光する岩肌がところどころあっただろう。
あれは月光石の原石だ。昔話で月の光を集めて結晶化したのが月光石だ、なんて与太話があるが。殆どはミストが蓄積しやすい洞穴から採掘されてる。どこにでもある鉱石さ。
…詳しい性質や、何で石がぼんやり発光して見えるのかの説明は端折るぞ。面倒だ。お前に言っても雀の涙ほどの理解も得られないだろうしな。
ともかく、天井の崩落によってその原石が外に剥きだしになった結果」
ああなったわけだ。
関心の欠片も無さそうに、おざなりに顎で天井を示される。もう半分以上、意識は手元の活字を追っているらしく。胡坐をかいた膝の傍に、芋虫みたいにヨジヨジとにじり寄って来たヴァンには見向きもしない。
わるかったな、空豆くらいの脳みそしか持ってなくて。
どうせアホですよ、馬鹿ですよ、フン!だ。
相手にされないので不貞腐れたヴァンは、くさくさした気分でぼんやりと『光』と呼ぶには頼りない柔らかな明かりの裾を眺める。
傍近くの焚き火の明かりの、橙色の荒々しくて暖かい炎と比べると。闇色の天井を幽けく照らす茫洋とした明かりは頼りなく、どこか幻のような儚さがあった。
ずっと見ていると吸い込まれそうで、無理矢理にそこから目を逸らして起き上がる。
食事を終えて、みんな思い思いの時を過ごしていた。
いつもと何ら変わらない風景。
しかし、そこにはどこか緊張と倦怠を孕んでいる。
先ほどから少しも量の減らない黄金色の酒が、バルフレアの手の内でゆらりゆらりと揺れて。話の途切れた静けさの中で、それだけが時を緩やかに時間を刻んでる。
ゆっくりと溶けて、カラリカラン、崩れる氷に琥珀の液体が独特の芳香を放つ。
酒のことはよく知らない、ずいぶん前にフランが目を細めて「森の香りがする」と言っていたワインとは違うようだが…、何となく濃い黄金の色合いはそれに良く似ていた。
この手の蘊蓄は際限の無いバルフレアが、これを手に入れた夜は珍しく興奮気味にヴァンに長広舌で語ってくれたことを思い出す。
今やもう天文学的な値段がつくらしい、農業国であった旧ナブラディア国産の大麦麦芽のみを原料として、その麦芽の酵素で糖化し後に酵母を加えて発酵させて2回の蒸留とオーク樽での3年以上の熟成から出来るモルトウイスキー。
おそらく、今バルフレアの手の中にあるのは、それだ。
スペイサイドだったか…、ごく一部の片田舎でしか酒造されない類の知る人ぞ知る酒で。特徴的なのは、ふっ、と呼気に混じるピート香の花のような華やかな艶やかな薫り。
舌を焼いて喉を熱くさせる、なのに胃の腑に落ちた熱は心地よい酩酊感だけを与えて。
悪酔いは絶対にしない、と言っていた。
「………天使の取り分だ」
火が消えたように話すのを止めてしまった少年が、ぽつりと呟いた言葉に皆が自然と伏せられていた顔を上げる。
ヴァンの真向かいに座っていたパンネロは、何のことだかわからないのに「な!」と同意を求められて困った。そんないきなり以心伝心を求められても困る。
なんと応えたものか困って視線を隣に彷徨わせると、バルフレアが煩そうな不機嫌そうな顔でヴァンを睥睨しているのを知って焦った。
やばい、やばいよヴァン!最近ちょっと躁鬱気味なバルフレアさんが睨んでるよ!八つ当たりされるよ!!危ないよ!!…必死の訴えは、少年につるりと無視されてしまう。
そこへ、天然具合ではヴァンの次席を行くバッシュが「最初から話してごらん。主語が無いから私にはさっぱりだ」と止せばいいのに失言を幇助している。
…いや…失言じゃ…ない…かもしれないけど、でも、こういうタイミングでいいことを言った験しが無いって言うか。
長年、修羅場に付き合ってきたから…幼馴染としてのスキルが、条件反射で不適切発言防止を脳が勝手に警告しちゃうって言うか…。
「バルフレアが持ってる酒!」
「……あぁ?」
「え…。何で、そんな、地を這うような声なんだよ」
「続けてくれ。彼は放っておいていいから」
「…割り込んでくんじゃねぇよオッサン。俺とこいつが話してんだろうが、横槍いれるな」
「ガラが悪いわよバルフレア。…バッシュ、貴方もサラッとバルフレアの硝子のハートを傷つける言動は止めなさい」
「待て。王女さん、そりゃ一体なんの冗談だ。俺の何が硝子だって?」
「あら、当たってるじゃない。貴方、今とってもセンシティブでブロークンハートでしょう」
「フラン…、笑うな…」
「申し訳ありません殿下。…すまなかったな、バルフレア」
「素で謝るんじゃねぇよ!くそったれ!!」
「み、みんな止めましょうってば!
バルフレアさんは…ええと…そう!多感なお年頃なんですから!!」
「…………………。」
「今のが一番、クリティカルヒットだったようね。ご愁傷様」
「フラン!手を合わせるの止めて…うわぁ、ごめんなさいバルフレアさん、灰にならないで…ッ!!」
若干バルフレアが可哀想な方向で盛り上がり始めた一座に、諸悪の根源がおずおずと口を挟む。
「あの〜…続き、話してもいい?」
「「「「どうぞ」」」」
いっせいにこっち見るなよ…ッ!怖えぇって!!
元はといえば自分から切り出したことなのだが、こうまで注目されると話しづらい。みんなちょっと明後日の方向見ながら聞いてよ、と話を聞いて欲しいのか欲しくないのか微妙なことを考えつつ。
「バルフレアが持ってる酒、ずっと前に言ってた旧ナブラディア国産のモルトウィスキーだよな」
せっかく解れていた肩を僅かに震わせて強張らせた王女を視界に収めて、バルフレアは内心舌打ちをする。
どういうつもりで、今のタイミングでこんな話をし出したんだこのアホは。
まあ、奴のことだからあまり考えてはいなさそうだが。今の今までとっくに忘れていたが、確かにずい分前に酒の蘊蓄を聞かせてやったのは覚えている。
けれど、それがどう「天使の取り分」なんぞと言うわけのわからない言葉に繋がるのか。
「それ見てたら何か思い出しちゃって…」
「何を?…ヴァン、お酒飲まないじゃない??」
パンネロが首を傾げるのも無理からぬことだ。
少々、酒乱の気のあるヴァンは今でも仲間たちの手によってことごとく酒類から遠ざけられている。
バルフレアも知らない話をどこで仕入れてきたと言うのか。
「飲まないけどさ。ミゲロさんとこの手伝いで仕入れに着いてったりしてたから…」
そこで、酒造職人の爺さんにどやされながらいろんな話を聞いたのだ。
まだ父母も健在の頃で、初めて兄にくっ付いて店の手伝いをした時の記憶。
未だに鮮明に思い出せる。
オーク樽で長い年月を過ごすモルトウィスキーは、僅かな外気を呼吸して蒸発し一年のうちに三割程度の割合でちょこっとずつ減っていくのだそうだ。
若いうちでなければ味を損なう酒も多いが、モルトウィスキーは年を経れば経るほどに旨みを増す酒だった。長く樽の中でたゆたう酒がようやく熟成を迎えるころ。
樽の中身は全体のおよそ四分の一もの量が蒸発して消えてなくなってしまう。
ヴァンは貧乏根性で「勿体無い!」と喚いたが、爺さんは笑って幼い子供の額を小突いた。
『じっくりと長い時を経て、失うことで深みを増し、やがては最上の美酒へと成熟していくのさ』
職人気質の爺さんらしい言葉だった。
「何だか似てるなぁって思ってさ〜」
「何にだ」
「…だから、何でそう不機嫌…アー、もういいよ、勝手に拗ねてろ。
爺さんたちは蒸発して無くなるその酒を『天使の取り分』って言うんだって。
熟成期間が必要なんて、何だか人の一生に似てるなぁって。人間の人生は…もちろん虫とか花とか他の動物もそうだけど…、時間の積み重ねだろ?一分一秒が積み重なって続くと、一生、だよな。
…人間の魂には、そういう時間の中で熟成していくことが必要なんだろうな、って思った」
黙って聞いていたバッシュが溜息のような声を漏らす。
そうだな、と頷いて…ふと遠くを見るような目で焚き火に目を落とす。
何を考えているのかわからない表情だった。もしかして失言、やっちゃったかな…。
ヴァンはそこで話を止めてしまおうかと思ったが、ここで切ったら尻の座りが悪いし空気も重いまんまでヤな感じだ。初めたんなら終わらせないと。
「…じっくり、永い年月をかけて失うものも多いけど、だから旨い酒になれる。そう考えると、生きて歳を取る、ってことは凄いんだと思えるんだ。
バッシュはさ、俺よりずっとずーっと年上だから、そのぶん俺なんか逆立ちしたって適わないよ。うまく言えないけど…も〜、凄く凄く旨いんだと思うぜ!!」
絶対おいしいはず!と食べ物を褒める言い方で励まされた。
笑っていいのか突っ込むべきなのか、バッシュは笑うことにした。爽快な気分だった。
少年の言うとおり、失うことの多い人生を歩んできたと思う。
失うばかりではなく、得がたいものも得た。…だが、その表裏であると言う言葉で片付けるには…本当に本当に多くのものを喪い過ぎた。
天使の取り分、とは…。
何と優しい言葉か。
「じゃあ、私はこの中で一番、豊満だということになるわね」
豊満、と言われると思わずその豊かな胸とか腰とか尻とかに目が行ってしまう。
だがこの場合フランが言いたいことは勿論違う。
故意に婀娜っぽさを醸し出して見せたフランに対して、ヴァンはもとよりパンネロまでちょっと頬を赤くしてコクコクと頷く。
ヴァンはチラリと目をやった先で、寂しそうに目を伏せた王女を発見し今更ながらに自分の発言に慌てる。助けを求めて隣の男に目を向けるも、素気無く視線を逸らされて悄気た。
どうも、さっきからずっと、俺にだけ厳しくない?バルフレア…。
…ここんとこ不眠症で慢性的に不機嫌なのは知ってるけど、俺にばっか当たるなよな!!
「俺たちにとってのオーク樽は、永い年月もそうだけど『場所』と『出逢い』もそうだと思う。
俺たちは一人で生きてるわけじゃないし、自分だけの力で全部を補うことなんて無理。…例えばさ、バルフレアが今どんなにカッコつけの気取り屋の気障男でも…」
「おい」
「煩い、ちょっと黙ってろ。
赤ん坊の頃はオシメをしなきゃならないわけで…」
「赤子に架せられた宿命なんだ!義務だ!当たり前だろうが!」
「サイレス」
「……ッ!!!」
謂れの無い八つ当たりの的にされて、とうとうキレたヴァンは情け容赦なく魔法で隣の男を黙らせた。致し方ないことだったので、他のメンバーは見てみぬフリである。
「その必要不可欠な人の手や場所や時間、それからずっとずっと歩みを重ねて行った先にも永い年月とか場所とか出逢いとかがあって…。
アー…えーと…うまくいえないけど。
その時その時に、幾つもの大切なものが俺たちの中から無くなって…喪ってしまったとしても、さ。俺たちが今の俺たちになるのに、必要なものだったんじゃないかって…」
アーシェは何も言わなかった。
反論も拒絶もしなかった。
祖国を蹂躙され誇りを奪われて、苦節を耐えてきた憤りも悲しみも…。それに疲弊して、全てを投げ出してしまいたくなって、そんな自分を嫌悪して。どうしようもなく、眠れない夜のしじまに歯を食い縛った。
…愛おしい人を、愛する家族を、喪った。
同じ痛みを知っている彼が、生半可な気持ちで口にした言葉ではないとわかっていた。
まだ、喪うことが必要だった、なんてことは言えない。
そんなことを受け入れてしまえば、この心は張り裂けてしまう。
「…まー、俺も偉そうなこと言える身分じゃ無いけど」
そう言って口篭り、初めて俯いて視線を揺らがせたヴァンの目には何が見えているだろう。
灰色に沈みかけた青灰色の瞳に、今も生傷に喘ぐ心の底が垣間見えた気がして。
思うより先に口をついて言葉が出ていた。
「私は、天使の取り分、と言う表現は好きよ」
言えるのはこんなことくらい。
それでも、ヴァンは「そっか…」と言って照れ臭そうに笑った。
ムスっとしているバルフレアにエスナをかけてやり「ごめんってば〜」と肩に抱きついては邪険に追い払われているヴァンと、彼らを眺めて苦笑してるバッシュ。
仕方の無いお互いの相棒を見やって呆れた顔をしているフランとパンネロ。
意地を張るより甘えにかこつけてヴァンにセクハラした方が得策だと判断したバルフレアと、天然にあるまじき冴え渡る直感で不穏を察したバッシュの双方がヴァンの頭上で冷戦を始める。
不意に、どうしてか、瞼に熱を感じる。
慌てて瞬きして湿気を目から追い払った。笑うか怒るか、そういう場面だ。泣く所じゃない。
それなのに胸が苦しく熱かった。
いつだって焦燥に身を焦しながらも、心は明日の曙陽を恐れていた。先へ先へ、走りたいのにいつだって足は竦みそうになる。
……貴方と、貴方たちと、出逢えてよかった。





カラリカラン、涼しげな氷の揺らめく黄金色。
新しく注いだ酒はもうこれで五杯目。いくら飲んでも酔えない気はしていた。
ヴァンの指摘した通り、この酒はそんじょそこらじゃ手に入らない。旧ナブラディア国産のモルトウィスキー。確か名前は極東ふうの…『花木蓮』だったか…。
蓮の花の香りがこんな匂いなのかは知らないし、見た目も黄金色もしくは琥珀色の花をつけるのかも知らないが。良い銘だと思った。美しい名にしおう美酒だ。
「…穴が開く。どうせ起きてるんならこっちへ来い」
「バレた…」
「隠してるつもりだったか、アレで。いいから来いよ」
「むぅ」
視線で穴が開きそうなくらいに毛布の隙間からガン見していた少年を招き寄せる。
今日はこの糞ガキに始終やられっぱなしだ。
常日頃、片手間にからかっては「いつかギャフン!て言わせてやるからな!」「ぎゃふ〜ん」「ッカァァァー!ムカつく〜!!」などと言い合っていたのに。
まさかこんなに早く、本気で「ギャフン!」と言わされる羽目になるとは思わなかった。お兄ちゃん、もうちょっと覚悟が必要だったよ。そんなに早く巣立たないで…まだピヨピヨでいて…。
………ピヨピヨがそれなりに成長してちょっとは立派な羽のピヨピヨになったことは、まあ、認めてやろうかと思う。ああ、これは、かなり負け惜しみっぽいな。いかん、今日は全てのことに対してネガティブ志向に陥る傾向にある。
「生意気言った。ごめん」
「何で謝る。悪いことしたのか、後悔したのか。そうじゃないなら、謝るな。
男は一度口にしたことは、ちょっとやそっとじゃ曲げちゃならねぇんだ」
バルフレアの言葉でやっと俯きがちだったヴァンが顔を上げる。ついさっきまでマジ寝入りしていたらしく、眦が赤い。眼差しもトロンと温く、頭はともかく身体は「眠いよ〜」と訴えている。
早々に毛布で簀巻きにして転がした方がいいか、とも思ったがうつらうつらしながら半ばこちらに寄りかかるようにしてくるヴァンの旋毛を見つめる。
寝ぼけてるなら丁度いい。
「ヴァン」
「うー…ん?」
「お前が無い頭を絞って考えたことはな。
貴族の出身で賞金稼ぎでハンターで後に空賊になり海賊を経て盗賊に身を窶し、最期は小説家として死んで逝った…今や稀代の文豪と名高い男の辞世の一言だ」
「じせい…?」
「『一人の人間の年齢というものは、感動を誘う。それは彼の全生涯を要約している。
その人間のものに他ならぬ成熟は、実にゆっくりと育てあげられてきたのだ。
多くの障害を克服し、多くの重い病いから癒え、多くの苦悩を鎮め、多くの絶望を乗り越え、たいていは意識されなかったが、多くの危険を踏み越えて育てあげられてきたのだ。
多くの欲望、多くの希望、多くの悔恨、多くの忘却、多くの愛を経て育てあげられてきたのだ』ってな。一文だけの抜粋だが…どうだ、お前の『天使の取り分』はこういうこったろう?」
「んー…そう、なの、かー…」
駄目だ、思ったより夢の住人だコイツ。
だらしなく口を半開きにして、もうすでに首は白河夜船を漕いでコックリコックリ。
今から情けないことを言うのだから、そうして記憶にも残らず忘れていてくれればいいのだから別に構いはしないが。
毛布ごと肩に圧し掛かって、バルフレアで暖を取るようにひっつく身体は隅々まで知っている。
その発達途上の若木に宿る精神も思考も、知ったつもりでいた。
……熱鉄を呑むようなこの想い。
これは明らかに、焦燥と嫉妬と憧れだ。認めたくないことだが。
「…なぁ」
「うん〜…?」
「ここみたいなゾンビまみれの遺跡はともかくとして、お前はいつでも斬り込み隊長で何度言っても真っ先に無謀に未踏の場所へと走って行っちまう。
…お前は足が竦むことはないのか」
今の、この俺のように。
対峙することを何処かで恐れ、先の見えない闇の中で立ち竦むことは無いか。
「……すくむ。けろひっひょらふぁあ〜ぁぁう」
「欠伸しながら喋るな。わからん」
「ここまれ、いっしょにあるいてきひゃんらお。行き着く先まれいっしょだお」
一緒に居る、共に歩く、ここまで今からこれからも。それだけ。
それこそが、俺の強みで支えで自信なんだ。竦むよ。そりゃ竦んじゃうよ。
ぜったい地獄見るって解かってて、過去と対峙するのは誰だってキツイ。俺だって怖い。
でもさ、あんたはさ、そこから逃げて逃げて逃げ切って空賊になって、放埓三昧に生きているのにそれなのにまだ自由に憧れてる。
俺はあんたに…あんたという空賊の中に自由を見てた。自由の幻想を。
ダウンタウンで俺に「本当の自由とは何か、よく考えてみるといい」と静かに語った元・空賊の言葉を思い出す。
外の自由を手に入れることは、比較的に簡単なのだ。…簡単、と言ってもきっとたくさんの苦労や覚悟が必要になるんだろうけど。
内の自由を手にすることは、それよりもきっとずっと難しい。
バルフレアはそれが欲しくて…、多分俺が欲しい『自由』もそういうことなんだと思う。
自由って何だろう。
過去からの解放って何だろう。
アーシェが求める『強さ』ってなんだろう。
…俺たち人間の『弱さ』って、そんなに無価値な力なんだろうか。
わからないよ、わからないから一緒に歩いているよ。
だから、あんた達と歩く一歩なら、俺は立ち竦んだりしないんだ。
こうやって旅を行くことが、あんたにとって何かの足しになればいいけど。
バルフレアは寝ぼけてると思っているのだろう、妙に優しい手つきで前髪を撫で上げられたヴァンは頬が緩んだ。気持ちいいのと、くすぐったいので。
はっきりしていた思考も、疲れた身体に引き摺られてゆらゆらとあやしく霞んできた。
伝えたい気持ちの半分も言えないまま、すぐ傍に暖かく感じる呼気の花の薫りを深く吸い込んで瞼が落ちる。
ことり、と寝入ってしまった少年を毛布ごと抱えたバルフレアは「勘弁してくれ…」と呻いた。頬も耳も熱くなり、深くにも眼窩が潤むのを感じた。
あんなに酔えない酔えないと思っていたのに、今や立派な酔っ払いだった。
まだ、何かが起きたわけではない。
起こすとしたら今から、起きるとしたらこれからだ。
心地いい酩酊感に任せて微睡みながら、久しぶりに夢も見ない深い眠りに堕ちていきながら「手を引いてやるつもりで、逆に背中を押されていたのは俺か…」と低く笑った。
熱鉄を呑むような想いは…極上の酒より喉を焼き、内臓を爛れさせる。
そして、何よりも男を酔わせ、安らがせた。













end
2011.05.01(再掲)


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