目の前で大口あけた少年が気持ち良さそうに眠っている。
もうだいぶ日は高いというのに、いっこうに起きる気配を見せない。
瑞々しいなめらかな頬を天蓋から漏れる光が時折、撫でるのだが深く眠る彼を揺り起こすには足りないらしい。
朝からパンネロに声をかけられたり、アーシェに手荒く揺す振られたり、ラーサーに遠慮がちに肩を叩かれたりしていたが。
昨夜の夜更かしが祟ってか、ぐっすり寝込んだままだ。
バルフレアは呆れ気味に目の前でのびているヴァンを見ながらも、もうしばらくすればパンネロあたりが起しにかかるだろう、と放置しておいた。
連日連夜、歩き通しの強行軍では身体がもたない…いや、旅慣れた自分やフランをはじめ下町っ子二人と将軍は構わないのだが…やんごとなき身分のお姫様にはキツイだろう。体力では無く精神的に。
なので今日は安息日。
クリスタルが近いためモンスター出没の心配の無い平地に天幕を張り、おのおの自由に身体を休めていた。
旅の途中でしばしば「安息日」を取るようになってから、当初は気ばかり焦って現状を熟考する余裕を欠いていたアーシェもだんだんと神経を擦り減らす度合いが減った。
自動的に周りを見渡すだけの気持ちの余裕を取り戻し、かくして今彼女の前には起きている時には傍迷惑なくらい落ち着きの無い少年の寝姿。
天下泰平世はなべて事も無し、といった有様で熟睡するヴァン。
それを前にアーシェはどうするのか。
何の気なしに銃を手入れするのを止めて目を向けたバルフレアの眼前で、王女が屈みこんだ。
そしてどこか緊張の面持ちで、そー…っと指を。
ヴァンの睫毛へ。

こちょこちょこちょ。

「うわっ!!?」
飛び起きたヴァンは一瞬何が起きたかわからない様子だった。
が、目の前で呆れ顔をしているアーシェを見て盛大に顔を顰めた。
「…おはよ」
「おそよう。…いい加減に起きて。もう昼よ」
「……ソレ、するなって前言わなかったっけ俺」
ぼさぼさの頭を手櫛でかき混ぜながら、ヴァンがぶすくれて欠伸を噛み殺す。
王女は腰に手をあてて見下ろしながら眉を寄せていたけれど。
視線はそれほど厳しくなく、むしろ機嫌が良さそうに思える。
「言われて無いわ、私はね。嫌なら声をかけた時にさっさと起きたら?」
「…………」
「効果覿面ね。教えてくれたパンネロに感謝しなくては。今後はあなたが朝ぐずる度にコレで起こしましょう」
あいつ〜…、と幼馴染にブツブツ文句を言いながら顔を洗いに外に出るヴァン。後にアーシェがついて行った。
おそらく外で手伝いを申し出たラーサーと共に洗濯物を干しているパンネロに悪戯成功の報告をしに行くのだろう。くすくす笑いあう乙女二人に挟まれて、ますます臍を曲げるヴァンが目に浮かぶ。
全くいいように遊ばれている。
少しは学習したらどうなんだ…。いやそれが出来ればヴァンじゃ無いな。
自分と同じように剣の手入れの片手間に彼らの様子を見るともなく見ていたバッシュは、嶮しい目元を幾分か和らげて苦笑している。
よく見れば手元の剣は自身のものではなく、ヴァンが昨夜磨く途中で放り投げた短刀だ。脇にはパンネロの弓もある。安息日くらいは武器に触れることなく自由にしていて欲しい、という傍から見れば甘やかしとも思える彼の親心だ。
ヴァンにしろパンネロにしろ、父性を刺激されるらしいこの将軍は、表向き淡々と実は甲斐甲斐しく彼らの面倒を見ている。
ヴァンは見紛いようもなく隠しようも無くアホだが。
この将軍も実は相当にアホ…というか人が良い。
よく軍人なんぞ務まるもんだ。
公私を厳然と区別しているにしても、あまりにもあまりだ。
無表情にそんなことを思いつつ、作業を再開するバルフレアの耳に忍びやかな笑い声が聞こえた。
「落ち着かないのね」
「お前は落ち着くのか?」
相棒はその問いには答えなかった。
ただ黙ってバルフレアの横顔を見ている。
この空気。
始終ピリピリと張り詰めているよりは良いが。少し安穏としすぎじゃないのか。
雨上がりの心地良い陽気の外も、その中でひと時の安息に戯れる少年達も。
「癇に障るのはあなた自身のせいよ」
「…………」
「私に時が訪れたように、あなたにも近いのかもしれない」
エルトの里に入る直前「焦っているでしょう」と図星をさされ閉口したことを思い出す。
焦っている、確かに。
相棒に「過去は捨てたんじゃないのか」と言える立場じゃない。
逃れたつもりで絡め捕られ、因果と向き合うことを余儀なくされる自分には彼女を揶揄する資格は無いのだった。
里を離れブルオミシェイスへ向かう途中に、資金稼ぎと装備の補充を理由にまだ平原に留まっているのも、バルフレアが時間を必要としていることに気付いたフランの提案だ。最近、どうも格好のつかない所ばかりを相棒に晒している気がする。
「時、か…」
銃を脇に置き、こちらに視線を注ぐ相棒を見やる。
いつもと変わらぬ泰然自若として、静やかな美貌は…以前よりどこか柔らかな表情を浮かべるようになった。
彼女は逃れた「時」と向き合い、何かを得て里を後にしたのだろうか。
「焦ることは無いわ。少なくとも今は…」
温かな陽光の差し込む天幕の入り口に視線を向けたフランは、初めて見るような笑みを口元に浮かべた。
つられてその薄い天蓋に視線をやったバルフレアは、サッと幕を上げて差し込んだ光に目を眇める。
「昼飯だって!」
笑顔で言う少年のプラチナゴールドの髪は陽光に溶けて蜜のように艶やかだった。そこだけ見れば傾国の美姫も顔色無しなのだが…。
ところどころ寝癖はついているし、寝起きそのままで外に出たため、上半身は裸のまま。しかも靴も履かずに素足でウロついている様子はまるっきり子供で興醒めだ。
素直に砥石を片付けて腰を上げるバッシュと何やら楽しげに会話しているヴァン。憮然とした面持ちで無言のまま二人を眺めるバルフレア。
「たまには素直に憩うといいでしょう」
呆れたようにフランが呟く。
そんな解かり難い拗ね方ではヴァンには伝わらないわよ?
しかし臍曲がりな彼女の相棒は「あんなクソ餓鬼を構ったくらいで気が晴れるか」と嘯き、意固地に銃の整備を止めようとしない。
私の知っている彼はこんなに感情的で子供っぽかったかしら、と嘆息するフランは再びヴァンに目を向けた。
つれない女神のオマケでくっついて来た少年。
なかなかどうして、物言わぬ宝よりも彼の方が私達に影響を与えている気がする。
「滔々と紡がれる譚詩曲も良いけれど、幕間劇が無くては楽しくないわ」
黙って目を伏した相棒を見てフランは思う。
ヒュムの生涯は瞬く間に過ぎ行くけれど、それをあなたは生き急ぐように駆けるけれど。
今は幕間。
冒険の狭間のひと時を憩う余裕くらいあってもいい。
「…チッ」
舌打ちして立ち上がったバルフレアが将軍と親しげに話す少年の方に歩いて行く。
いきなり話しに割り込まれ、次いでわしわしと頭を撫でまくられたヴァン煩わしそうにその手を振り払う。バルフレアが何か二言、三言告げると顔を真っ赤にして掴みかかった。
それを軽くいなして、少年が寝乱したままの寝床から彼の上着を拾い上げてバサッと被せる。
しぶしぶそれに腕を通すヴァン。
ついさっきまでの陰鬱さの欠片も見せずに、飄々とした態でからかうバルフレア。
その横ではバッシュが甲斐甲斐しくも黙って少年の寝床を直してやっている。
フランは苦笑しながらその様子を眺めていたが。
いつまで経っても天幕から出てこない仲間に業を煮やしたアーシェに叱り飛ばされる男共と一緒に、ぽかぽか陽気の外へ出る。
敷布の上で昼食を広げ、ちょこんと座ったパンネロとラーサーが居た。
転がり込むようにヴァンが座り、引き摺られて男二人も席に着く。
白い眼で彼らを眺めてパンネロの隣に腰を下ろす王女。
ヴァンにせっつかれてフランも座り込み。
いつもと変わらぬいつもよりも何となく穏やかな昼食が始まった。














end
2011.05.01(再掲)


inserted by FC2 system